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純愛は死ね

ただ相手が好きということを恥ずかしくて言えずに、「推し」という言葉に逃げたり、片想いを認めたくないからセフレという曖昧さに留まって愛を感じられない人間のなんという多さ。

浮気とか不倫って言葉が存在し、それらの言葉は特別な時に使われるわけではなく、テレビや身の回りで起きていることから、浮気や不倫という現象はこの国ではよくある事実だということがわかる。

こんなことを言うと、まるで自分がセフレもできず、浮気をしようにもできないほどの芋ブスコミュ障根暗陰キャが僻んでいるように見えるかもしれない。

そう言われれば答えはYESかもしれないなぜなら、度重なるフラストレーションでずっと奥歯に物がはさかっている様な、全身のあらゆるところがむず痒い様な、小テスト全部できた人から帰っていいよと言われ自分は全部終わったけどまだ誰も席を立っていないあの教室のもどかしさの様な、そんな歯痒さがここ数日続き、日常のありとあらゆるものにヘイトが向きがちだからだ。

芸術とはきっと、世界と自分との狭間に存在するのだろう。だから、世界と同じお前らに芸術は見つけられない。

いつの間にか俺は世の中の常識から置いてけぼりにされた。

だから俺はいつか、自分の愛する人と愛する子ども、幸せな家族を築いて、そんな家族以外の人間に精子や膣を分け与えるほど俺はバカじゃないって、承認欲求を満たすためだけの幼稚な遊びに興味はないって、そんな暇があれば今目の前の家族を愛せよって、早くそう言えるように今の現実と向き合うんだ。

俺の純愛をバカにした、嘲笑ったお前らに分からせるんだ。そんなつまらないことしてないで、俺についてこいよって。

つまるところ、この記事で言いたいのは、セフレがいる人間が嫌なのではなく、そういう人たちと自分のギャップに苦しむ自分自身が嫌だと言うことだ。

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