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入学が9月になると男がもらわれたいモノとアレの歌が消滅する予測に目からウロコポロリ

今朝の『スッキリ』でコメンテーターのロバート・キャンベルさんが「日本も大正時代までは9月入学だった」と言っていたことが気になって、日本の入学の歴史を調べてみました。

江戸時代の寺子屋、私塾、藩校はいつでも入学を認めていて、明治時代に西洋の教育制度にならって学制を敷いたけど、しばらくは随時入学が残りつつ、高等教育ではドイツや英国をお手本に9月入学になっていって、明治19年に発足した東京帝国大学(現 東京大学)も9月入学だったそうです。

明治19年の12月に徴兵令が改正されて、徴兵対象者の満20歳の男子の届け出期日が9月1日から4月1日になったことから、「九月始期のままだと、壮健で学力がある人材が陸軍に取られてしまう」(佐藤秀夫「学校こと始め」より)という危機感があって、高等教育機関や高等師範学校(筑波大学の前身)が4月入学制を採用したことから拡まっていって、同じ頃に国が会計年度を7月〜翌年6月だったのを、4月〜3月に切り替えたことも4月入学に影響しているようです。

そして、文部省の指導によって大正10年に日本の学校は完全に4月入学になったそうです。

入学が4月始まりになったのは、軍と役人の都合だった

というのは驚きでした。学生ファーストな理由ではなかったんですね。

世界の国を見ても、4月入学は日本と韓国だけで、ほとんどの国は夏休みが終わってから入学します。北半球のオーストラリアやニュージーランドも夏休み終わりの1月末に入学するそうです。
よくよく考えると、日本の学校って4月に始まって3ヶ月ちょっとして勉強やクラスに慣れた頃に、長〜い休みに入っちゃうので、流れができてきたところでプツッと途切らせちゃう中途半端感ありますね。
一年間の授業を終えて、区切りである長い休みを挟んで、新学年を迎える方がノーマルですよね。

真冬の受験は大雪やインフルエンザ(これからは新型コロナも)などトラップがたくさんあるので、そういう意味でも夏受験の9月入学が良いと思うし、この新型コロナをきっかけに一気に改正してほしいです。


と言いつつ、卒業&入学が、春ではなくなったことを想像してみたら…

ある2つのものが消滅する

ことが脳内に浮かびました。

卒業式といえば、女子が憧れの男子から制服の第2ボタンをもらうという行事があります。
卒業式が7月になるということは、着ているのは、夏服。
夏服の場合、男子は学ランやブレザーを着ていないから、第2ボタン自体が無い。シャツの小さいボタンなんてもらっても嬉しくないし。
金色のあの第2ボタンをもらう儀式が消滅してしまう。
もらう方も、もらわれる方も、両方のドキドキも消滅してしまう。
なんか寂しいなぁ。

ぼくが好きな卒業ソング、斉藤由貴の『卒業』(1985年)は「制服の胸のボタンを〜」で始まるのですが、この"制服の胸のボタン"こそ、まさに第2ボタンのことです。

松田聖子の『制服』(1982年)も大好きで、どちらも大好きな松本隆さんが作詞をしているのですが、『制服』は「卒業証書 抱いた〜」と卒業で始まり、『卒業』はさっきも書きましたが「制服の胸のボタンを〜」と制服で始まるのは、もしかしたら松本隆さんがわざとタイトルと歌詞の始まりを逆に仕込んだ遊びなのかと思って、2010年にTwitterにそのことを書いたら、なんと、ご本人が答えてくれたのです。

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偶然なのか〜
これは、ビックリして、答えてくれたことに感動しました。


卒業ソングもいろんなパターンがありますが、切っても切れないものってなんでしょうか。
それは、です。
桜がテーマの卒業ソングは、「さくら (独唱)」森山直太朗、「桜」コブクロ、「桜の木になろう」AKB48、などなど名曲がたくさんありますが、卒業式が真夏になると桜自体がないので、今後は新しい桜の卒業ソングは消滅してしまいます。2つ目の消滅はこれです。
卒業ソングを聴くと、桜が散る風景が自然と浮かんでくるのですが、真夏の卒業だと、その感覚もなくなっちゃいますね。これも寂しいなぁ。

目からウロコポロリ

時期がズレることで、何十年もかけて行われてきたことが消滅してしまう。

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でもそれを逆手にとって、森山直太朗が「ひまわり (独唱)」とか、すぐに出したら最高ですね(笑)。


まぁ、本当に9月入学になるかはわかりませんし、かなりハードルが高いとは思いますが、もしそうなったとしても、何年かしたらみんな慣れちゃって、20年もしたらその頃の若い人には入学が4月だったこと自体が驚きになるんでしょうけど。


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