蝉は可哀想な人生とかグーグルはデジタルだけという間違った思い込みに目からウロコポロリ
「蝉って、何年も土の中にいるのに、地上に出て七日で死んじゃうんだって。かわいそうだよね」
これは、映画『八日目の蝉』の中で千草(小池栄子)が言った台詞。それに対して恵理菜(井上真央)がこう言います。
「ほかのどの蝉も七日で死んじゃうなら、別に悲しくないよ。もし自分だけ、八日目まで生きて、仲間がいなかったらその方が悲しいね」
蝉は一般的には7年間くらい( 種類によっては 3~17年 )土の中にいて、羽化のタイミングでようやく地上に出てきて、7日間で死んでしまう。可哀想な人生。
ジージージージージーと外からの蝉の鳴き声を聞きながらTwitterを見ていたら、田口ランディさんのこんなツイートが。
そうなんだ、土の中で7年間ジーっとしているのかと思っていたけど、「わりと活発に動きまわっている」んですね。
よくよく考えたら、モグラはほぼほぼ地中にいるのに可哀想だとは思わないし、深海魚も可哀想だと思ったことはない。蝉も幼虫の時に地中で動きまわっているなら、蝉の一生の中でも地中時代が地上時代より楽しいのかもしれないですね。
それで蝉について調べたら、こんな記事を見つけました。
ここに書いてある地上時代の蝉が、なんとも切ない。
夏を謳歌するかのように見えるセミだが、地上で見られる成虫の姿は、長い幼虫期を過ごすセミにとっては、次の世代を残すためだけの存在でもある。
オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして、オスとメスとはパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵するのである。これが、セミの成虫に与えられた役目のすべてである。
繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。
子孫を残すために地上に出てきて、繁殖行動を終えると、死ぬ。
木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。そして、その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。
空を見上げて、死ぬ。
蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや
けいこしゅんじゅうをしらず、いちゅうあにしゅようのせつをしらんや
意味:蟪蛄(けいこ)(夏ぜみ・ひぐらし)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、この虫は、どうして今の朱(しゅ)陽(よう)(夏)が夏であることを知りえようか。
〈浄土真宗 本願寺派 九条山 淨教寺のサイトより〉
この文は、親鸞聖人が『教行信証』に曇鸞大師の『浄土論註』を引用されたものということですが、その伝えたい内容に納得しまくったのでした。
蝉は春や秋を知らない。だから、 この虫は夏ということも知らない。というようなものである。 ただ春夏秋冬を知っている人間が、 蝉が鳴くのは夏だというだけである。
蝉は、春も秋も冬も知らないんだから、夏という概念もない。人間が勝手に蝉が夏に地上に出てきてジージー鳴いて死んでいくと思っているだけで、蝉自身が夏の7日間しか生きられなくて悲しいとは思っていない。そもそも知らないから。
この地上こそが最高の世界で、7日間しか地上にいられなくて繁殖行動という役目を終えたら死んでしまう蝉はなんて可哀想なんだと、ぼくは完全に人間視点で考えていました。
蝉は人生のほとんどの地中時代が楽しくて幸せで、外になんて出たくなかったかもしれないのに、自己中心的に見すぎていた自分に反省です。
Googleにも変な思い込みをしていました。
ぼくがデザイナーとして仕事を始めた1990年は、版下という紙で印刷への入稿をしていて、デジタル入稿なんてものは世の中に存在しなかったんです。
印刷する用紙も、光沢紙やマット紙を何十種類もの紙見本帳の中から見比べて、かなりの時間をかけて決めていたのですが、最近の若いデザイナーの中には、紙を選ぶ基準は「ツルツル」か「ザラザラ」でしかないという人もいると聞いて、なんだか寂しいと思っていました。
Googleは隅から隅までデジタルでしか何事も行わない企業なんだと勝手に思い込んでいたのですが、これを読んで「デザイナーは触る必要がある」というところに、わかってるな〜!と、改めてGoogleが信頼できる企業だと嬉しくなりました。
今はパソコンで検索すればたいていのことはわかってしまうのですが、自分の経験から言っても、大量の本の中から直感で自分が探したいイメージを探そうとすること、探していたイメージじゃなかったけど偶然見つけたアイデアの素が結果的に良かったこと、これらは本に触れたからできたことなんです。
目からウロコポロリ
これからは何事も、もっと裏側まで調べて、もっと先まで想像していきたいと思います。
『八日目の蝉』の後半で千草(小池栄子)がこう言います。
「あのさぁ、前に蝉の話したよね。七日で死ぬより、八日目の蝉のほうが悲しいって。私もそう思ってたけど、違うかもね。八日目の蝉はさぁ、他の蝉には見られなかった何かを見られるんだもん。もしかしたらそれ、すごく綺麗なものかもしれないよね」
実際には八日どころか環境さえ整えば1ヶ月くらい生きる蝉もいるそうなので、地上時代に夏だけでなく秋の綺麗な季節を満喫して満足して死んでいく蝉もいるのかもしれないという、豊かな想像もできますね。