1988年のプロレス
平成プロレス研究にさきがけ、1988年という年を振り返る。
『お前有田だろ』では1987年のアントニオ猪木について語られているが、1988年も引き続きアントニオ猪木の斜陽は続く。トレーニング中に足を骨折しIWGPヘビー級王座を返上。藤波辰巳が沖縄で有名な飛龍革命を宣言し、その後、ベイダーとの決定戦を制しIWGPヘビー級王座を獲得。長州力は延髄ラリアットで猪木をシングルで破り存在感を示すが、ワールドプロレスリングはゴールデンタイムから土曜夕方へと移行され、視聴率は低迷した。
一方、全日本プロレスではジャンボ鶴田、天龍源一郎が2大エースとして君臨。天龍革命により試合内容は劇的に激しくなり、後の四天王プロレスへと続く礎となった。また御大ジャイアント馬場はラッシャー木村と兄弟タッグを結成し、明るく楽しいプロレスを展開。90年代の明るく楽しく激しいプロレスは築かれつつあった。
1987年に長州力の顔面を蹴り解雇された前田日明は第2次UWFを旗揚げ。格闘色の強いスタイルと近代的な演出で一大ブームを起こす。
全日本女子プロレスではクラッシュギャルズ全盛期が過ぎ、極悪同盟で一世を風靡したダンプ松本が引退。ブル中野、北斗晶ら90年代のスター達が頭角を現し始める。
ジャパン女子プロレスのリングで大仁田厚が復帰。剛竜馬らはパイオニア戦志を発足し、後のインディー団体乱立への先駆けとなるのであった。