シンデレラコンプレックス
第7話 『現実に生きる乙女はたくましい』5
理不尽なことをされれば、受けた傷や衝撃は、当たり前に痛いし辛い。
理不尽を受ければ「仕返ししてやりたい」と思ってしまう。どうにかして同じ苦痛や同じ思いを「味合わせてやりたい」…そう思うのが道理だろう。だが、お姫さまは仕返しなどは考えないのだ。
痛みや辛さは、自分の「不甲斐なさ」だと感じる。
傷つき、落ち込み、最後に怒りが湧いてくる。たいていの人間は、その怒りを、受けた相手に「ぶつけてやりたい!」と思ってしまう。だが、仮に仕返しができたとして、すっきりするのかと言えばそうではない。解決どころか傷を深めてしまうこともある。
そうして、同じことをしでかしてしまった自分を、蔑み、嫌悪して後味の悪さを噛み締めることになるのだ。
我慢強く、なにごとにも屈しない信念の持ち主はどうだろう。
きっとその理不尽は「自分の与えた誤解」なのだと理解し、そうさせてしまった自分の責任と受け止めるのだろう。更には、相手も自分も気持ちよく「和解」できることを思案するのだろう。
受けた痛みはそのままに、もうそんな思いを「だれもしなくてもいいように…」と、心を砕く。お姫さまとは、そんな精神の持ち主なのだ。
そんなこと、考えられるわけがない。そう思う反面、自分はなんて「醜い」のだろうと思う。
本音は、後味が悪くても「自分の欲求を満たす」方がいい。お互いのことを考えて状況を変えることより、悪態をついて怒りを吐き捨てる方が楽だし、簡単なのだ。
お姫さまは「勇気と優しさ」をもって、いつもそう教えてくれていた。
「歩多可が、嘘をついている」
もしくは、
「歩多可は、わたしに隠しごとをしている」
そう感じるのは、決して気のせいではないはずだ。
だが、それを追求できるほど、自分たちは近しい位置にはいない。
お互い、理解しているようで、肝心なところはいつも遠慮している。そこが義姉弟というところ。
屋敷内での歩多可はいつも「高みの見物」を決め込んでいた。
それはただ、自分は無関係なのだと「傍観」するわけではなく、どうすればうまく切り抜けられるのかと「機会」を窺っているという策士の顔をしていた。
大人にはそんな姿が生意気に映っていたのだろう。歩多可が怒鳴られたり、殴られない日はなかった。
特に口数が多いわけでもなく、だれに逆らうわけでもないのに、大人をイラつかせてしまうだけの威厳が、歩多可には備わっていたのだ。
由菜歩は、そんな歩多可を危なっかしいと思う反面、羨ましくもあった。それが家督の威厳なのかと、こころの中では認めていたが、素直にそれを伝えられるほど、気持ちは追いついていなかった。
由菜歩は、歩多可にこそ、劣等感を感じていたのだ。
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