「笑顔の行方」~人生は人喜ばせ合戦
こちらの企画でバトンを受け取りました~ ↓ ↓ ↓
チェーンナーさん、実は「はじめまして」なんですね。お名前はいろんな方の記事でお見掛けしていて、ちょいちょい覗かせていただいてはいたのですが、こんな形でお近づきになれるとは思っておりませんでした。大変光栄です! ありがとう惠さん!
というわけで、わたしは惠さんからバトンを受け取りました ↓ ↓ ↓
「人生は人喜ばせ合戦」とは、なんと素敵なテーマなんでしょう。とはいえね、喜ばせ…と言われてわたし、だれかを喜ばせようと意識したことあるかな?と考えたのですが、すぐには思い浮かばなくて、ちょっと考えてしまいましたよ ⇐ プレッシャーに弱いのね笑
もたもたと考えてるうちに、他のバトンがじゃんじゃんタイムラインに上がってくるじゃないですか。出遅れてしまう…と焦りつつ、わたしも滑走致した次第です
ひとを喜ばせる…というと、やっぱりそんな顔ですよねぇ「よろこぶ顔」
子どもの頃は真っ先に自分の親に喜んでほしくていろいろしますよね、無意識に。でも親は、子どもがなにをしても喜ぶものなんですけどね、悪いこと以外は(一一")
そんなわたしのよろこぶ顔=「笑顔」に関するエピソードを振り返ってみたいと思います。題して「笑顔の行方」です ↓ ↓ ↓
笑顔の行方
子どもがなにをしても喜べる親…それはまぁ「親ばか」と言われるような無償の愛なのでしょう。自分が大人になってはじめて知る「よろこび」がここにあります
でも子ども自分にはそんなことは理解できないから、気を引きたくていろいろするんでしょうね。そこから既に合戦は始まっているのかもしれない ⇐ あまりいい意味じゃないけど
よろこぶ顔が見たい
最初はみんな単純にそう思っていたと思うんです。でも知恵がついてくると、自分が「いちばんに喜ばせたい」がために少々喜ばない手段を使ってしまったりするんですよね。自我が出てくると更に、方向性が変わったりして兄弟げんかが勃発してみたり、喜ばせいちばんのりで褒められるを競うわけです。ひとり「褒められたい合戦」ですよ
喜ばせるって、意識するとなんだか途端に不器用になりますね。純粋に喜んで欲しいと思えば、別にそんなに頭を捻ることはないと思うんですが、大人になると特にカッコつけたり、いらぬ策を講じたり…余計な装飾やら鎧が邪魔して、笑顔が強張ったり?
そこで思い出したんですけど、子どもの頃、だれだったかは忘れてしまいましたが、いつも笑顔のかわいい女の子がいたんです
笑顔が顔についてるひと
そうまさに、笑顔しか見たことがないというか、そんな子がいたんです!
当然その子は人気者だし、いつも誰かがそばにいて、それがものすごく羨ましかったんでしょうねぇ。だから、その子の笑顔を真似てみたりして…
でも、根本的にかわいい子は笑わなくても「笑顔」に見えるんです。真似したからといって同じ顔にはなりません
わたしも普通に楽しけりゃ笑っていたと思うのですが、自分の顔って見えないじゃないですか。だから自分は、あの子のように「笑顔じゃないからダメなんだ」わたしのは「笑顔じゃない」って、思い込んじゃったんですねぇ
でもね、真似をしてみたところで「苦笑い」になるわけですよ。自然に笑うってけっこう難しいというか、むりやり笑う感じでね、うまくいかなかった
ひとり「作り笑顔合戦」始まりました。これ、恥ずかしいことに結構長いことやってました
小学校の音楽の時間、先生に「口を大きく開いて」「お腹から声を出して」「口角をあげて」なんて言われませんでした?
歌をうたうと笑顔になる
そういって歌っている先生の顔は全然笑顔じゃなくて、変な風に口を開ける怖いおばさんって感じだったんですけど、やっぱり褒められる子はまた笑顔がかわいいわけですよ。ちゃんと歌う顔が笑顔に見えるの
そこで、あぁ歌うたうときのあの顔をすれば「かわいくなれる」のかぁと、また勘違いするわけです。しかも趣旨が変わってきてる。成長につれ女の顔がちらつき始めると、喜びの前にキラキラを求めるんですね。だから今度は、合唱部のいちばん上手な子の歌うときの顔を真似することにした
そうなってくるともうひとを喜ばせたいとかではなく、いつのまにか自分が「喜びたい」になっていて、なんだか嫌なことになってくるんです。ひとり「ほくそ笑みたい合戦」です
苦笑いと歌う顔
このふたつが合わさった顔を想像してみてください。ただの不細工です。そうやって捻くれた子ども時代が作られていくわけです・・・・って、いやいや、こっちも趣旨が変わってきた(>_<)
結果、ひとり相撲になっていたということなんですね
でも、ひとりで笑っててもつまらないですよ。「笑顔」に固執しすぎて、なにが面白いんですかって当時のわたしにはわけが解らなくなっていたのでしょうね
そんな成長期のある時、スーパーでばったり幼稚園の時の先生に会ったんです。少し大きくなった教え子を見て、先生はそりゃぁ喜んでくださいました。だからわたしも、当時マスターして自信に満ちていた「作り笑い」をご披露しながら受け応えたんです。そしたら先生、すごいことを言いました「たゆちゃん、笑顔が変わらない」って。えっ? え、えぇぇぇ!?
実は苦笑いが顔についてた
ってことですよね? 無邪気に笑っていたと思っていた幼稚園の時代から、わたしって「作り笑いしてたの!?」かと思ったら、それまでの自分が否定されたような? これがわたしの「笑顔の行方」の到達点かよと思ったら、愕然となりました
そしたらもう、なんだかどうでもよくなって、それから(ようやっと)作り笑いをすることはやめました
そのあとどんな顔して笑っていたのかは思い出せませんが、本来の目的はだれかの「よろこぶ顔」だったはずなんですよね。だいぶ歪んでしまいましたが
でもねひとつだけ、間違ってはいないと思うことがあって・・・・
ひとを喜ばせるにはまず自分も笑顔になる
無表情は別として、こちら側が臭い顔をしていると、あちら側に「なんかあった?」「機嫌悪い?」って思わせてしまうでしょう? それは、なんとなく子ども自分から解っていて、だから変に盛り上げようとか、機嫌を取ってしまうきらいにあったんですね
わたしは父方でも母方でも最初の子どもであり、最初の孫だったので、下の兄弟姉妹やいとこたちができるまでずっと大人の中にいたから「顔色を窺う」癖がついてしまっていたんでしょうね。大人って、わりといつも難しい顔してるんですよね
だから自分が大人になったら、自分の都合で子どもに嘘をついたりごまかしたりしないようにしようって、固く誓ったんですけどね。いや、いつも嘘をつかれたりごまかされたりしていたわけじゃないんですけれど、なんとなく解ってしまうこともあり…
そんなわたしは、相手の顔色を窺うばかりでなく、相手の顔を読んで、結構わがままに育ってしまって( ̄▽ ̄;){ははは
それでも!
子どもの前では笑顔でいたい
これだけは純粋に、我が子を「悲しませたくない」「喜ばせたい」って、素直にできることだったの。長きに渡るわたしの「笑顔の行方」も、ここにきてようやっと「人を喜ばせる合戦」にたどり着いたというわけです
いやぁ、長かったなぁ・・・・てか、未熟?
ここまでお付き合いありがとうございました~!
ということで、次のバトンは・・・・
みらっちさんです↓ ↓ ↓
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みらっちさんの言葉はやさしくて、痒い所に手が届く感じがします
みらっちさんとはこちらの企画でもお世話になっております ↓ ↓ ↓
サバランて、なかなかケーキ屋さんで見掛けることがないから、こんな風に語り合える場所が出来てわたしは大いに嬉しかったヾ(≧▽≦)ノ
こちらもみらっちさん ↓ ↓ ↓
吉穂みらいさんとしてもご活躍なさってます
続々、バトンが渡っています ↓ ↓ ↓