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父と喫茶店

記憶の中に、どういうわけか父しかいない時間がある・・・・

わたしの父は、わたしが幼稚園に入る頃はまだ勤めに出ていたと記憶しているが、物心つく頃には自宅の隣の小さな工場(こうば)でひとりで仕事をするようになっていた
自営業というと自動的に「経営者」となるわけだが、父はひとりだったし、たまに来る工具屋さんが父を「社長」と呼ぶことには違和感を感じていた。「社長? だれそれ」ってなもので、お父さんはただのお父さんであってほしかったのだ
自営業は自由業、ひとりきりの小さな工場は「社長」と呼ばれているほどの稼ぎがあるわけではない。よって土日祝日関係なく、朝から晩まで父は工場で働いていた…と思う

土日は働いていた…から、家族で出かけるのは「お正月」や「お盆」の親戚まわりくらいで、その他はGWの山登りと「夏休み」の日帰り旅行くらいだった。でも時々、朝から母親がいない日があったのだ。母は専業主婦だ。仕事をしているわけでもなければ、車の運転もできないのに、なぜに朝から不在だったのか…今ではよく思い出せないが、父が作業着を着ていない日だったからおそらく休日だったのだろう
そんな時の父はわたしと妹を連れてドライブに出掛けた。朝から「お母さんがいない」ということは、お昼ご飯は当然「外で…」ということになるが、そんな日は決まってわたしたちが建物の外装だけで気になった喫茶店に入った

父と出掛ける回数がそれほど多くはなかったせいか、記憶の中にとても鮮明に残っているシーンがある

できたばかりの白木でできた喫茶店は「駅」という名がついたお洒落な建物だった。田舎町にはそれまでに見たことのないログハウスみたいな造りで、奥にはドラムセットや立ってるギター(おそらくチェロ)、ピアノが置いてあり、壁に大きな外国の国旗が飾ってあった。店主の趣味だと言っていた気がする。店内で演奏を見たわけではないが、そんな光景を想像しながら過ごした時間はとてもわくわくしていたことを覚えている。初めての喫茶店でメニューもよく解らずに頼み、子どもの目には大きなエビフライが出てきて、わたしたちには食べきれなくて、申し訳なかったことも思い出した
のちに、自分で車を運転するようになってから友人とその喫茶店へ行ってみたが、ドラムセットなどの楽器は撤去されていて、大きなエビフライのメニューも変わり、子どもの頃のようなわくわくもなかった。挙句しばらくするとそこはフィリピンパブになり、キレイだった白木の作りの壁はショッキングピンクになっていた

エビフライ

それは夏で、エアコンが寒いくらいだった・・・・
背の高いムーミンの家のような屋根をした喫茶店は「朝」と名のついた天井の高いお店だった。子どもだったからなのか、とにかく天井が高く広々としていて、羽の大きな扇風機(シーリングファン)がゆっくりと回っていたのが印象的だった
階段の途中にも席があり(多分中二階?)、室内が普通の家とは違う様子が不思議で楽しかったことを覚えている。実はここの記憶がいちばん曖昧なので自信がないのだが「もう一度行きたい」と思っていたのに、結局行かず仕舞いのうちになくなってしまったお店なのだ。だからなにを食べたのかすらも思い出せない。でもとにかく「もう一度行きたい」と思うほどお洒落な内装だった

かき氷

少し大きく…いや、少しじゃないかな? 中学生か高校生くらいだったように思う。その時はわたしと父のふたりだけだった。なぜそんな取り合わせで喫茶店に入ろうと思ったのかすら思い出せないのだが、やはりその時もわたしが「どうしても入ってみたい」と言って、蔦の絡まる建物で4分の3が屋根に覆われている面白い形の喫茶店に入った
わたしはその喫茶店で初めてねってある牛乳で仕上げた本物の「ココア」を飲んだ。生クリームが行儀よく円を描き、優しい色のココアはとにかく甘くて美味しかった。お腹が空いていたのに、喫茶店に入ってしまったからメニューがパスタとサンドイッチくらいしかなくて、今なら喜んで長居できる場所だけれど、その当時は子どもだったから物足りなさを感じたことを覚えている。でもその物足りなさはきっと、父の食の好みに合わないメニューだったから申し訳ないと思った物足りなさだった。けれどわたしは、ちょっと暗くて、珈琲の銘柄ばかりがたくさん並んだメニューのその喫茶店がいちばん忘れられない
けれどもやはり、そこもいつの間にかなくなってしまった。子どもの頃からずっとあったから、大人になってもずっとあると思っていたのに、ずっと店の前を通り過ぎるだけで「もう一度」と夢みるだけに終わってしまった

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わたしはずっと「喫茶店」に行ったことがないと思っていて、いちばん古い記憶も高校時代友だちと行った駅前の、マヨネーズで炒める焼うどんが出てくる「喫茶店」が初めてだと思い込んでいた・・・・

今回こちらの企画に参加させていただくにあたり「思い出のお店」とあり、ふと亡くなった父といった喫茶店を思い出しました。最初の喫茶店は残念な結果に終わり、次の喫茶店はうろ覚えすぎて曖昧だったけれど、でも父と喫茶店に行くときはいつも初めての場所で、多分父も入ってみたいけれどひとりでは入れない場所だったのではないかと、今考えるとあの当時の父の行動が、今のわたしに「似てるなぁ」なんてクスリ…と笑ってしまった




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