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よるべなき男の身辺事情

男は周りの人間から「ハナブサ」と呼ばれていた

正体を隠しているわけでもないが、
ひとによってはその名を使い分けられていた

年齢不詳、国籍不明、ジャンルの当てはまらない職業
謎の多い男ではあるが
だれもが口を揃えて言うには、

とにかく「イケメン」である…ということだった


一見遊び人風情ではありましたが、仕事に際しては大変生真面目…と、いいますのもハナブサはなかなかに厳しい目をお持ちでございましたから、仕掛けの最中は特に人を寄せ付けない峻厳さ、鋭敏さが窺えたのでございます。

「ハナブサの旦那が行くよ」
「ハナブサ様の御一行だよ」

ハナブサは出掛ける際はいつも、異国の目と縮れた髪を持つ棒っ切れのような風来坊と、力自慢だけが頼りのようなガタイのよろしい男、それと左片腕がなく右の目の潰れた小汚い小男、の、3人のお付きの者を従えておりました。そこに、我が物顔でついて歩く女「美奈」。美奈は、勝手について回っているに過ぎませんでしたが、特にハナブサはなにも言いませんでした。

とはいえ、このところの彼はよく町に姿を現すようになったということで、町の女が浮足立っておりました。それまで硬派で通してきたハナブサに、女がまとわりつきだしたことが原因とも言われております。ですから、女たちのハナブサを追う眼差しは嫉妬に狂っておりました。
当のご本人様はそんなことには介さず、ただひたすらに身を研ぎ澄まし、全身を耳にして周囲に気を配って歩いているのでございます。

「枷(かせ)屋のぼんがまた気がふれちまったんだってさ」
「へぇ、じゃぁ今は行き方知れずかい…?」
「なぁに、またひょっこり帰ってくるさね」
「いつものことみてぇに言うが、帰るたんびにあぁもやせ細ってちゃ先が思いやられるってもんだ」

とある畳屋の前を通った時のことでした。外で張替えの作業をする職人たちの噂話の一端に、ハナブサがついぞ気にかけていた呉服問屋の話題が耳をついてきたのでございます。
ハナブサはお付きの中では見栄えのましな、ひょろりとした男に目配せし、
「お美奈。ちょっくら用事を頼まれちゃくれねぇか」
と、声を掛けた美奈の方には目をくれず、顎に手を当て、瞬きの瞬間鋭い目つきを投げかけました。
「なんだい? 厄介払いかい」
不機嫌ではあるものの、湿った声音と甘えた視線を忘れない美奈は、そのなりだけでハナブサにしなだれかかるような有様でした。普通の男であったなら、容易くその目に惑わされもしましょうが、
「おふくろ殿に芳賀屋の淡雪でも買っていってやっとくれ」
そんな言葉を言いながら、ハナブサの目は既に遠くを見ており、そうなると周りが見えなくなることを知っている美奈は観念し、言いつけのままに行動せざるを得ないのでした。
「あいよ。…ほら、行くよ」
目をしばたたかせ、美奈はひょろい男に声を掛け、つまらなそうに歩きだします。
男は軽くハナブサに会釈をすると、財布を受け取り更に頭を下げ、一歩下がって指示を待つのが礼儀でございます。行き届いた師弟関係が、実に気持ちのいい瞬間でありました。
「帰りに夕餉の支度を頼まれとくれ。今夜は湯豆腐にしよう」
棒っ切れのように細長いその男は、再度ハナブサに頭を下げ、急ぎ美奈のあとについて行かれました。

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「それにしてもあれじゃぁ、枷屋の旦那も商売あがったりだね~」
「跡取り息子があれじゃぁな」
「な~に、あそこは番頭の作平次(さへいじ)が継ぐことになってるんだって噂よ」
「作平次…ちょいと頼りない気もするが」
「それでもあのぼんよりはましなんだろうさ」
「ちげぇね」

ハナブサの目配せで、お付きの残りのふたりのうち小男の方が職人の方に歩み寄りまして、
「どこぞの屋敷で出入りでもあるのかい」
忙しなく手を動かしている職人らに声を掛けたのでございます。
「ぇあ?…なぁに、つい先頃カラになったお屋敷があってね。長く患った御仁が最後に過ごした家だとかで、家具やらを寺が預かっていたものを売りに出してね。この畳もまだ使えるってんで引き取ってきたところよ」
「へぇぁ~。そいつぁどちらの…?」
「さぁて、そんなことまでは知らねえなぁ。なんだい兄さん、おこぼれに預かりてぇって寸法かい」
そう言って振り返った職人は、小男の姿にぎょっと致しました。
「あぁ、ちょっと物入りでね。このなりじゃぁ仕事もままならねぇってんで…」
そう言って、小男はわざと左肩を突き出して見せたのです。その仕草に、一瞬の間があって、少し引き気味の職人のひとりが、
「あぁ、屋敷なら、与瀬町の手前に差し掛かった峠のところで、高~い塀に囲まれたさみしいところさね」
面倒臭そうにあしらいました。
「へぇ、与瀬…そうかい。そりゃぁ知らなくてあたりめぇだぁ…。ありがとよ」
小男はそれだけ聞くとスッと、引き下がりました。なんでも「引き際」が肝心と申しますが、通りすがりの風のように、相手の脳裏に自分の印象を残さない程度の間合いで立ち去るのが妙技でございました。

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ここ最近のハナブサの仕事は『追い出し屋』といういわゆる地上げ屋を生業としていらっしゃいました。
それは決して雇われではない「野生の勘が彼を動かす」とでも申しましょうか、彼の仕事に一切の隙はなく、殺伐としていていつも余念がないのだと周りの人間は申します。

ただひとつを除きましては・・・・

なぜならハナブサには、今、たった一つだけ弱点とも言える気を惑わすものがありました。

「最近奥に越して来た女の素性は?」
「へぇ。どこぞの旗本の後家さんらしいんですが、主亡きあとは厄介払いされたらしいす」
「女自身は、北の方から流れて来たらしいが、身寄りはねぇようで…」
「北…」

ハナブサは現在、仕込みの最中にありました。標的になりましたのは伝馬町に看板を構えております呉服問屋「枷屋」所有の裏長屋で、川沿いに面したそれはそれはのどかな集落でございました。実はこの「枷屋」というのが問題の要因でありまして、ハナブサはその息荒く鼻を利かせたという始末にございます。

「今、長屋の差配人はだれだ?」
「治郎兵衛っていう、こう…恰幅のいいおっさんで」
右手で自分の腹回りをなぞるようにしめす小男は、主に情報集めが持ち回りのようでした。
「扱いにくい男かい?」
「これが大の甘い物好きらしく、年中大福持って歩いてるようなやつなんですわ。ですから、あまり細かいことは頓着しなそうな野郎です」
「独り者なのかい?」
「なんでも身内が、谷中の水茶屋の女将だとかで…。ひょっとしたらなじみの女はいるかもしれませんが、調べますか?」
「いや…欲のねぇやつは使えねぇ」
「あぁそら、井戸の手前に住まってる傘屋の娘が通いの女中を世話してもらったとかで」

「水茶屋の女中ねぇ…」
ハナブサはそう言うと、ちょっと悪い顔をして見せました。そんな時、女が横を通ろうものならば、あっという間に惚れこんでしまいそうな、とにかく艶のある顔でございました。
「…ならば、病持ちの貧乏人を探して長屋に住まわせるんだ」
「へぇ…」
物腰やわらかに、実に手際よく、ハナブサは淡々と作業を進めるのでございます。その有様が小気味よく、手下どもはハナブサの下を離れられないという次第であります。
「じゃぁ…あっしは今日はこれで」

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追い出し家業はじっくりと時間をかけ、巧妙に仕掛けられていくのが常でございます。その敷地内に物売りとして入り込みましたり、または長屋に住まってそこの住人共々反対運動を起こしてみたりも然りでございます。なによりもあくどいのは、とにかく信用を得た住人たちを相手取り「さもあらん」とやりのけた末に、犠牲者よろしく速やかに消えて居なくなる所業にありまた。それらは所詮、寄せ集めの人足たちでしたから、追及の仕様もないのでございます。

ですが、滅多にハナブサ自身が仕込みの最中に出張っていくことはありませんでした。あくまでも遠巻きに、彼は目利き役であり、汚いことはすべて手下どもが喜んで働きますので、なんの苦労もございません。そこで役に立つのが3人の連れということなのでございます。

「準備万端整いやした」
「そうかい。なら…身元のはっきりしねぇ浪人を雇え。突然いなくなってもだれも探さねぇ輩がいい」
「へい…」
「そいつにひと暴れしてもらって…身持ちのいい長屋の住人を散らすんだ」
「へぇ」
「それと気性の荒い大工だ…夫婦者がいい」
「そっちも身元が知れねぇ方がいいんで?」
「気性の荒い輩ってぇのは、ひとっところには落ち着けねぇもんだよ」
「なるほど…」

ハナブサには狡猾な異国の手下があり、その名を「レ・ドアン・フォン」というなんとも発音しにくい輩がございます。まわりの者共は頭が悪い上に、彼の名を正しく聞き取れておらずに「ホン」と呼ばれておりました。ですが彼はそんなことは一向に構わず、生きるためにはなんでもしなければなりませんでしたので、なんと呼ばれようがとにかくハナブサの役に立ち、ハナブサに愛想をつかされないよう努力するばかりでございました。
ホンは江戸に在る町人にはない目の色をし、まるで火で炙ったかのような肌の色をして、いつも高みから鋭い目つきで物を見ておいででした。そして、異国人ながらの視点からいつも面白いことを思いつくのだそうでございます。それに飽きるまではハナブサの右腕として「働いていられる」という仕組みが成り立つのです。

次に控えますのは力自慢の大男、その名を「山鯨の伝」と言いまして、頭が弱く自分で考えて行動するということがようようできない輩でございます。とにかく力持ちというだけで、どうやら頭だけでなくいろいろと鈍いところがあるようで痛みをあまり感じない体質のようなのです。
ヤマクジラ…とはウドの別名でありまして、体ばかりが大きくあまり役に立たないこの男の、いつしか呼び名となりました。挙句、人に指図されないと行動できない彼は「木偶の坊」のようでもありましたから、元の名前である「伝」をもじって「でく」と、呼ばれておるようです。

最後に控えますのは「片輪の一筑(いっちく)」と申しまして、片輪の名の通り左腕がなく、右目の潰れた気味の悪いなりをした小男で「びっこ」と呼ばれる輩でございます。なんでも幼い自分に父親に捨てられ野犬に腕を食われただの、カラスに目を突かれ潰れただのと悲惨な逸話がございましたが、本人含め実のところを知るすべはございませんでした。
初めはハナブサの御母堂様の見世物小屋に雇われておいででしたが、なにせ気味の悪いなりなもので、お金にはなりますが、なにより御母堂様が生理的に受け付けないということで路頭に迷うところを、ハナブサが引き取ったという話でございました。なにより彼はすばしっこく、どこにでも潜り込めるという得意技がございましたので、ハナブサにはよく役立ってくれているとのことです。

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