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よるべなき男の素性

時は江戸の世…
江戸は「粋」上方は「雅」こそが至上の町人文化
そんな渡世の物語

男は筋肉粒々汗臭さより、遊び人や優男がモテた時代
江戸のファッションリーダーは「歌舞伎役者」に「妓生」

人気の職は「火消し」に「芸者」と派手好み
さてさてどんな人情噺が出てきますやら…乞う御期待!


江戸のとある町はずれに、その姿を見るだけで溜息の出るような見目のいい男が棲んでおりました。その者が町に出る際はいつも腰ぎんちゃくがついておりまして、とはいえそれらは友でも身内でもない「生きた壁」の如く男を囲んでそぞろ歩いており、なんとも異様な光景でもありました。男はそれを由とするわけでも甘んじる様子もなく、彼にとっては腰にぶら下げる印籠か煙草入れの根付けの如く、そこにあるのは主従関係のみでございました。

そんなわけですから、
「あ~また今日もともをお連れだ…」
「芝居見物にでもおいでかねぇ…」
「あ~ん、相変わらずの仏頂面で」
「今日も拝顔できたっ💛」
「そうそう。日に一度、これがないとやる気も出ないねぇ」
このように、到るところでひそひそと、柱の陰や水桶の陰などからコソコソと、今日も今日とて、年齢を問わない女たちのため息がそこかしこで漏れ聞こえてくるようでした。

しかしながら、でございます。そう周りからちやほやとされているようで、当の本人はいつも孤独でありました。彼は知る人ぞ知る大変に裕福なお家柄のお育ちでありましたが、まわりにはなぜかそれらは伏せられてあるようで、そのような孤独と妖しさが相まって、それがよるべなさを抱える要因と申しましょうか、大変に謎めいた人物のようでございました。

特別な人間というものは、特別なものをも持っているようでございます。
この男の周りは実に賑やか華やかでございまして、異国の目と縮れた髪を持つ棒っ切れのような風来坊と、力自慢だけが頼りのようなガタイのよろしい男、それと左片腕がなく右の目の潰れた小汚い小男の3人が常にまとわりついておりました。それらの輩はここ最近、三崎あたりに流れ着いた難破船の水夫、あるいは難破船を襲ったであろう異国の工作船の生き残りではないかという噂もあるようです。

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さてさてこの色男、周りの人間からは「ハナブサ(英)」と呼ばれておりました。務めて正体を隠しているわけでもございませんでしたが、ひとによってはその呼び名を使い分けられているようでもありました。だれに対しても同じ態度を貫く様からは少年のようにも成人のようにも見て取れ、そこから年齢を探ることはできず、やさ男に見えてその肌は浅黒く、着物を着ていなければ異国の住人と見間違うかのような容姿をして、遊び人風情のなりはいったいなにを生業として生活しているのかとても想像がつかないなど、実に謎の多い男でございました。ですが、だれもが口を揃えて言うことには、とにかく「イケメン」である…ということでございました。

ハナブサというこの男、見てくれは30代前半に見られるようですが、正しい年齢を知る者はございません。62.7寸(190cm)という身の丈は、軒をくぐる時以外は「見目形」「風貌」と行った見栄の武器にもなりまして、町を歩けばその美しさに必ず女は振り返り、妖艶なその風情と生きざまに男はついぞ声を掛けたがるというわけでございますが、いずれも彼の眼力にそれ以上の接近を許された者はいないということでございます。

ですから、
「なにがそんなにいいのかねぇ?」
などと、世間を知らない輩どもが陰口を叩きますと、一斉に周りの女どもの痛い視線を食らうのでございます。
「ぉぃ~、やたらなこと言うと…」
「おぉっと。はぁ…おっかねぇ、おっかねぇ」
このように、やれやれと肩を竦める次第なのでございます。
「ったく、なんだってんでぇ」
「でもよぅ。一度でも一緒に仕事したやつぁ、その腕前に惚れ惚れするんだという話よ」
「ほへぇ…まぁ一生分の銭でも貰えるんなら話は別だがね」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。一生分の銭どころか、一生分の女も夢じゃないってことだ。でも、」
「ほぇぁ…そいつぁ…」
「期待するなよ」
「なんでぇ条件付きかよ」
「そりゃそうだ。奴のお眼鏡にかなったモンだけが味わえるってぇ代物だ」
「けぇ~っ」

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ハナブサはとにかく見目奪ういい男でありましたから、彼に就きたい男や、身の回りの世話を焼きたい女はあとを絶たなかったということでございます。

「あぁ、ハナブサ様。話し掛けたいけれど近寄れない…」
「まぁまたそこがいいんじゃないか」
「一遍でも立ち止まってくれないかねぇ…」
「そりゃぁ、無理なこった」
それは、町娘だろうが吉原の女だろうが一緒でございました。
「でも、あぁいつも周りを固められてちゃぁね…」
「それもこれも、あの女のせいさね」
「ホント、ずうずうしい女だよ。でも…」
「あぁ。度胸だけはあるらしいからね」
まだまだ、親しみを得るのは難しいようです。

そんな棘を孕んだため息をものともせずに、彼に執拗に付きまとう女がひとりおりました。
その名を「お美奈」といいまして、いくらか行き遅れに見えるその風情は、自らを「武家の娘」だと吹聴しているあたり、作法はまぁまぁではありましたが素性は定かではございませんでした。ですがこの女、相当にしたたか且つ粘着質でありまして、なにやら強引な手口を使ってまでしてハナブサの内縁の妻に納まったという話でございます。そうしておきながらもそれに満足できずに、彼に近づく女を目の敵に、ことごとく、そして甲斐甲斐しくもご丁寧に排除してまわっているのだそうでございます。

「ヒデさ~ん。お団子買っていきましょうよ~」
お美奈はハナブサを「ヒデ」と呼んでおりました。それが本名なのかどうかということはどうでもよろしいことでございまして、それはお美奈が好んで勝手に名付けたあだ名のようでありました。そうすることでお美奈は「自分は特別な存在である」ということをまわりに牽制して歩いているようでございました。
「ヒデさんったら…」
こうして甘えた声を出し、たとえハナブサに鼻であしらわれようとも、それを「愛情の裏返し」と解釈、都合のいいように受け止めることを由とするふてぶてしい女でございました。
「ねぇ。芝居見物なら成田屋でしょうよ。成田屋のごま団子が食べたいわ」
武家の娘と申しながら、百姓のように日焼けしたその肌はおしろい程度では隠しきれずに、年齢に見合わない派手な着物でハナブサの周りをクルクルとよく回る、まるで猿回しのそれか、親犬を追いかけまわす仔犬ようなものでございまして、その様はこのあたりではすっかりと名物になっていたということです。

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ハナブサは人目を避け、まるで隠れるようにして町はずれに居を構えておりましたが、表向きは「飾り職人」を名乗っておりました。それというのもハナブサは意外に手先が器用なようで、てなぐさみにと竹を使った小物、簪や耳かき等を好んで細工しており、それらを姑息な手下の輩どもがハナブサの許可を得て町で売り歩いたところ、大変に評判がよくいいお客がついたためらしいのです。彼の住まいは竹林の中ほどに在り、材料には事欠かなかったので、良い小遣い稼ぎにはなっていたようです。品物が売れた暁には、手下どもは料亭の板前を半ば強引に連れ帰り、屋敷に材料を運ばせハナブサの為と称して宴を催し、ご相伴に預かるのだそうです。

問題のその簪ですが、時に自分でも気に入ったものには屋号よろしく「英」と記しているようで、その印が施される品物は上がないほどに値が付くというばかばかしいおまけ付きでございました。ですので、最近では大奥にまでもその噂が広まり、いろいろと厄介なことになっているようでございましたが、長くなりそうなのでその話は後日と致しましょう。

ハナブサに関してそれ以外は、名のある「旗本の御曹司である」とか、武家の殿様の「忘れ形見である」などと噂は数多にございましたが、彼の父親はどうやら異国からやってくる工作船やら密漁・密航などの不審船を相手に商いをしているらしいというのがいちばん有力な情報でございました。少々黒い噂でございますのでだれも追及する者はおりませんでしたが、実のところ彼の父親の存在はその所在すら表に現れてはいらっしゃらないようなので、それを確かめるすべは一切ございませんで、もとよりその姿を見ることは滅多なことではかなわないということでございました。それとは真逆に母親の方は、実に目立つ行動をしておりまして、時折彼の様子を見にどこからともなくやってくるようです。

ハナブサの御母堂様は見世物小屋を仕切っており、なにやら面妖ないで立ち、、、、の輩を暗い屋敷の中、鍵をかけて「飼っている」という嘘か誠か解らない話でございまして、ただその見世物小屋は「庶民の娯楽」というにはなかなかに高額な木戸銭を要するようで、その中身を知る者は少ないようでございました。父親同様こちらも曰くありげではございますが、ふっくらとした赤い唇としなるような身のこなしが大変に優雅で美しく、いつも異国の衣装を身に纏っているということも手伝ってか、ご本人様は大変な評判なのでございます。御母堂様はその界隈では「花魁にも負けない」と好評のようで、各大名方の高値の花でもございました。すべからくして、彼の容姿は母親似なのだろうということです。

そっけない彼の代わりに、美しい母の世話を焼くのはお美奈でございました。それはそれは神経を使い、とにかく気に入られようと励んでございます。普段は邪魔のような体ではありましたが、したたかなお美奈の行動はハナブサにとりまして、そこだけは「使える女だった」ということでございます。

しかしながらそれを知らない御母堂様でもありませんで、そうそう良いお顔をお見せすることはなかったようでございます。
「姐さん。今日はどちらまで…?」
そうなのでございます。御母堂様はお美奈に自分を「ねぇさん」と呼ばせておいででした。決して「てめぇ様のいいようにはさせまい」と「母御」と呼ばせることはありませんでした。なかなかに、御母堂様も食えない女なのでございます。

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