うちにきたわけ
毎度実家に帰るときはワンコも同伴です。いつも忙しくしている人にはその行動が呑気に見えるらしい
「犬を飼う余裕がある」「犬の世話をする時間がある」「犬にかまけている」その言葉の全てにマイナスな感情がついている…こちらが罪悪感を覚えるほどに
でも、それは余裕ではなく投資(これも語弊があるか?)・・・・もう子どもと同じなの。だって言葉は通じなくても家族には変わりない。呼べば答える、拗ねることもあれば、喜びもする。それがペットを飼う理由ではないけれど
実際、わたしは身内から見たら吞気な人間でしょう。なんの苦労もなくのほほんと生きていて、ともすりゃ好き勝手やって自由…忙しい人には、そんな風に見えるのかもしれない
でも、忙しいその人は自分でその人生を選んだんです。それこそ当時の行動を周りの人間は「親不孝」と言っていた。そういうの見えないんですね
気づいていて皮肉を言いたいなら、まぁその人の人間性なので仕方がないですが、見えてないならなんだかその人だけじゃなくて、周りを囲んでいる人たちもつらいな…なんて。余計なお世話なんでしょうけど
わたしもかつて忙しい人生…というか、息苦しい場所を選んだことがあり、その頃は「なんとかなる」と思っていたけれど、わがままなわたしは自分のわがままを押し通して今に至ります
もしもわたしが連れ歩くワンコが室内犬でなく外飼いだったなら、マイナスな感情は湧かないのでしょうか? いいえ、多分違うと思います。実家に犬がいた頃はそんなことはなかった。今のわたしが気に入らない、のんきに見える…としか表現できないけれど
昔のわたしならきっと「なんで?」「なにがいけないの?」って反発心もあったかもしれないけれど、不思議とこのことにそう感じることはなかった。もちろん「言わせておけ」っていう意地悪な感情でもなく、そんな風に見る人もいるか…っていうさみしい気持ち
わたしがこのことを思い出したのは昨日の朝、友人の記事を読んでから ↓ ↓ ↓
いいんだけどね・・・・って、ホントそう。今週末実家に帰る予定なので、余計に思い出したのかもしれない
いろんな人生がある。わざわざ「わたしはこうなのよ!」…って言って回る人はないけれど、でもマイナスな感情をぶつける人は言っているようなものなのかもしれない
秋だからだろうか・・・・なんか切ないなぁって思ったの
でね、この記事を読んで、なんとなくしんみりしちゃって、でも「あれ? 少し前に同じような感情が湧いた…」と思って遡って探した別の記事 ↓ ↓ ↓
こちらの記事を読んだときに、シーム♀とむーちょがバトンタッチした年のことを思い出したんです。もう3年も前になるけれど、いろいろと思い出の詰まった年でした。わたしが最も成長を感じた年だったのではないだろうか・・・・そして極めつけがこちら ↓ ↓ ↓
生き物はみんな使命を持って生まれてくる!
なんだかね、と~っても腑に落ちたのです。あぁそういうタイミングだったのかな…って。あまり上手く伝えられないから読み取ってください
冒頭の話から随分と話が脱線してしまったように感じますが、わたしの回路がこの様につながって、わたし的にすっきりしたので紹介させていただきました