愛は続いているか…
実家からの帰り道、高速道路を走っていると、わたしはいつも「このひとでよかった」と運転する夫の横顔に安堵する。特になにがあるわけではない、ただの帰省の途中だ。それでもいつも、帰り道でふと思い出しては、その都度再認識するのだ。
結婚すると、ときめきや恋心は「失われる」というが、自分はどうだろうかと自問する。そして「まだ大丈夫。わたしはこのひとが好きだ」と、自分の心の声に安心した。そんなことをしてしまうのは、自分の気持ちがいちばん信用ならないと思っているからかもしれない。
自分は恋愛体質ではあるが「熱しやすく冷めやすい」ことを自覚している。過去に付き合っていた相手とも3年もてばいいほうだった。それは彼氏に限らず友だちに関しても同じことが言えた。だからわたしには「仲が良い」と言える友だちはいないし、胸の内を吐露できる相手もいない。
たまに、どうでもいい相手に本音を漏らしてみたりする。BARで隣り合わせになったサラリーマンや、付き合いで出かけた先の喫茶店のマスター、取引先のおしゃべり好きな人…なんかがそれだが、大抵「でもあなたには、そんな心配はないでしょ」と返され、苦笑いで曖昧なうちに流されてしまう。
なにを根拠に「心配ない」のか、ひとのことなどどうなるか解りはしないのに…それとも、危機感がないのだろうか?
確かに、切羽詰まった状況ではないかもしれないが、まったく気持ちがないわけではい。よほど呑気にとらえられているらしい。
そんな自分の恋愛に対する遍歴から、結婚前はよく会社の同僚や結婚した知り合いに、将来を誓い合った相手をまだ「好きだと言えるか?」とよく聞いていた。新婚さんは聞かずとも顔を見ればよく分かる。だから飲みの席での上司や、給湯室に入り浸る女子社員に、なんとなくインタビューめいたことをする。
大抵の上司は「そうじゃなきゃ一緒にはいない」とか「空気みたいなもの」と当たり障りなく答える。まぁそんな飲みのついでの会話の中に、本気で本音をさらす人間などいやしない。それは充分解っているつもりだが、部下の前で格好つけているのか、案外灯台もと暗しなお花畑なのか、意外ととんちんかんな答えの中に本音が混じっていることもある。
当たり前だが、男と女では答え方が大幅に違う。女の方が現実を見ている気がする。
「結婚はそんなことばかりじゃない」と答える今どきの若いママや「お互いの利害が一致していればいい」という子どもを持たない冷めた同期に、浮気をされていても「今更生活を変えられない」という諦めモードのお局や「ただの同居人」とあからさまに嫌悪感を示す者もいる。かつてはそこに「愛」があったはずなのに…。
だれしも笑顔がこぼれて仕方の無い時期があったはずなのだ。
愛は途切れるものなのか、愛に終わりはあるのか、愛は続いているのか…
結婚を決める時はみんな、まさか自分が「離婚」するなどと思いもよらないことだろう。そして夫や妻に選んだ相手をいずれ「嫌い」になる日が訪れようとは夢にも思わないことだろう。なにがそうさせるのか…同じ夢を持ち、同じ方向を向いて歩んできたはずの「愛」が「結婚」によって歪められてしまうのだろうか。
まぁ、そんなことに悩んでいられる余裕があるうちは、まだまだ…ということなのかもしれない。壊れる理由は様々で、ほんのちょっとのボタンの掛け違いで亀裂が走る。ひとの心はそんなようなもの…頑なであり、脆いもの。
帰り道の高速道路で自問するとき、いつか自分にも「もうだめかもしれない」という言葉が浮かんでくることがあるだろうか。そんなことを考えながら夫の横顔を眺めるのは、ちょっと品がないだろうか。
そんな日が来ないよう、せいぜい夫にはこの高速道路を気持ちよく往復してもらうことにしよう。