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時代にのる・・・・?

ふとしたことに、風の時代は女性性が重要視されるのだと聞きました

女性性とは、ざっくりと「受け身」なのだそうです
とはいえ、お姫さまのように白馬の王子さまを待ってる…だけではダメなのでしょうが、それがどういうことであるかをちょっと考えてみました

最近男性性女性性の違いについて、友人と話す機会があり、それは見た目の容姿や性別にかかわらず、ひとの持つ性質のようなものだということで、男性ホルモンとか女性ホルモンみたいなものかな~と、わたしは解釈したのですが・・・・違うかな?
ほら、髪の毛は女性ホルモンで、多い少ないによっていろいろ変わるから、そういうことなのかな~って思ったのですが、違うか笑

女性性とは決して「化粧して着飾る」ことではない

まぁ確かに、身なりを整え化粧して出掛ける姿を「戦闘服」と言っていた時期もありましたから、そういう意味でそれは男性性ということになりますね
では、男性性とはなにか…ともうしますと、リーダーシップだったり、積極性を指すのでざっくりと「行動力」とでも申しましょうか・・・・
ですから、着飾って出張っていく行為そのものが男性性となるわけですね

わたしの説明解釈が的を射ているかはちょっと怪しいですが・・・・

更にこれらは、男だから男性性が強いとか、女だから女性性が強いということもないようです
だからといって女性性が強い男性が「なよなよしている」のか…というと違いますし、勇ましい女性が「がさつである」というわけでもない。強いて言うなら、女性性の特徴のひとつが「おしゃべり」だとしたら、無口な女性もいるし、べらべらする男性もいる。ひととして男性性、女性性の偏りはあるにせよ、それが一概に性別に影響している…というわけではない、ということなのでしょう

女性性とは「受け身」である…と言いましたが、具体的にはどのようなことなのか・・・・

一般に言われているのは「受容」「包容力」「やさしさ」「しなやかさ」「調和」などですが、漠然としていて解らないかも知れません
先ほど「着飾ることが女性性ではない」と述べましたが、だからと言って、自分に構わず、髪もぼさぼさですっぴんである…ことがそうであるということもない。上に述べたことを例えるなら「理想のお母さん」って感じ? やさしくて、なんでも受け止めてくれて温かい…そんなイメージ
そして、そればかりではなく「頼る」「従う」「流れに身を任せる」という解釈もあるのです。そういうとなんだかなにもできない役立たず…のようにも聞こえますが、こういうことにマイナスな解釈はないとわたしは思っています

の時代の前はの時代でした
土の時代はガツガツしていて体育会系、まさに「昭和」って感じ? もちろん「昭和」だけが土の時代というわけではありませんが、男性性が強かった時代ともいえます。そしてその名残はそこかしこに、まだまだ残っているのでしょう。やって当たり前、いやなことがあっても我慢、キャパオーバーだろうが気合、根性…など、ちょっとしんどいイメージ。今の世に合いませんね

小学校の時、給食を食べきれなくて、お掃除している光景を見ながらいつまでも食べていた…なんてことありませんでしたか? 今は、無理に食べきらなくてもいいし、そんなことしたら即訴えられちゃいますからね

風の時代は無理をしなくてもいいんだぁ~

とは、わたしの心のひとりごと・・・・
これは極論ですが、受け身であるということはひとりで頑張らなくてもいいということなんだと思います

頼る・・・・助けを求める、甘える
従う・・・・自分の感情を素直に受け止める
流れに身を任せる・・・・我慢せずに心の声を聴く、そして休息

これはすべて、自分を大事にするってことなのではないかと思うのです
自分を大事にする…ということが蔓延すると、思いやりが生まれ、他人にも優しくできるということになるのではないかと・・・・

だからね、きっと風の時代は「甘え上手」がうまくいく秘訣なんだっていう結論に至ったわけです。ちょっと強引な解釈かもしれないけれどね
人生一度きり、自分のために「わがままになろう」ってこと。もちろん他人に迷惑をかけるという意味でのわがままではなくてね、自分を喜ばせるためのわがまま(ある意味努力育成)をしましょうってことではないかと…

わりと、甘えられないひとって多いんです。相手のことを考えすぎてね、自分の考えを飲み込んでしまうというか、気を遣い過ぎるというか、そういうことですね。素直に、わたしは「こうしたい」「こうしてほしい」っていうのはわがままでもなんでもなくて、無理をしないための解放でもあるのでしょう
男女関係なくね、おもいあたりませんか? 家族や友人に対して「言ってくれればいいのに」っていうこと。自分にとっては大変なことで「言えない」ことも、他人(この場合は家族や友人、自分にとって頼れる相手)にとっては「そんなこと…」頼ってくれればいいのに…「水臭い」って、そういうことなのかもしれないってことです

ひとはひとりでは生きていけない

とかなんとか、当たり前のことが、気を張り過ぎて当たり前じゃなくなってるんじゃないのかな?

子どもが必要のないものを目だけで欲しがり「買って買って」とせがめば、それはわがままですが、やんごとなき理由から「お願い」と言われれば、かわいい(*´ω`*)ってなりませんか? それがこの先の未来や輝かしい将来に繋がるかもしれない
大人だって、欲しいけど高いから…とか、出掛けたいけど自分だけ…とか、いろいろな遠慮が妨げになってしまうけれど、ちゃんと話をすれば「そんなこと」って「かわいいやつめ」って、なると思うんです。うまく説明できないけれど

自分を大事にする…ってことは、わがままでもおねだりでもなく、お互いに穏やかで円滑に過ごすための手段なのかもしれません。自分を大事にできないひとは、ひとにやさしくなれない…なんて言葉もありますしね

もちろん、甘やかすとも違います

おねだりではない甘え上手…というとちょっと難しく考えてしまうかもしれないけれど、自分を大事にするうえで「無理をしない」「我慢しない」という感情は、お互いを思いやる関係にある場合、甘えられたら「助けてあげたい」とか「守ってあげたい」という包容力に変換されるのではないでしょうか (´艸`*)

皮肉ではなくね、共存、調和を考えて行動すれば、自ずと優しい気持ちになれるのではないかと、話を突き詰めていくうえで出た答えです

みなさん、世渡り上手になりましょう


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たゆ・たうひと
いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです