ね・ん・り・き~👋《子どものお遊び》
わたしは子どもの頃、念力で欲しいものが手に入れられると本気で信じておりました。もちろん子どもでしたから、それを「念力」とは理解してはおりませんでしたが・・・・
単純に、念じれば、手に入ると思っていたのです
そんな風に言うとわたしがものすごく物欲に卑しいように感じられますが、例えば、家にお客様が来るときに、特別なお菓子が用意されたとします。もちろんわたしたち子どもの分はありません。でも、お客様がそのお菓子に手をつけなかった場合は、自動的にわたしたちのものになるんです
ですから、わたしはそのお菓子をお客様にお出しするときに念じるのです。「食べないで~」って。まぁ、子どもにはありがちなことです。一応良識もあります。子どもだからと言って、さすがに「食べないで」と直接は申せません。「どうぞ」と言って差し出します
お客様がふたりづれ、まして夫婦だったりしますと、大概旦那さまは甘いものに手を出したりしません。もしくは奥様と半分ずついただいて帰る方もいたりしますが、ひとつでも残れば、念力の成功となるわけです
そんな些細な偶然の賜物を、わたしは自分の力と信じていたわけです
これは若干、先日の『憑依(笑)』に似た事例ではありますが、これ、別に物欲しそうな顔や、捨てられた子ネコのようなうるんだ瞳を持っていなくても上手くいくんですわ
ある時、わたしは祖母に連れられて、祖母の友人のお宅へお邪魔しました
祖母がわたしを連れて行くのは、子どもは飽きっぽいので、そのお宅から早く帰るための口実でした。でもわたしは、人見知りもしなければ、他人の家で充分リラックスできるだけの精神の持ち主でしたので、祖母の思惑には添わなかったかもしれません
祖母の友人は歯が弱かったので、お茶菓子には赤ちゃんのお菓子が混じっていました。知ってますか『ハイハイン』。わたしはあれが大好きで、祖母について行くのはそれが目当てだった
あとあとよく聞いてみますと、最初に行ったその日に本当は「あげよう」と思ったのだそうですが、わたしはふたり姉妹なので、ひとつしかないそれを持って帰って「ケンカになってもいけない」と思いとどまったのだそうです
なるほど、確かにわたしたち姉妹は激しいケンカをよくするので、そう思われたのも仕方ありません。ただ、ドレッサーは家具なので、ふたりで「仲良く使えるのではないか」とあとから思い直した…とのことでした
こういうことは子どもの頃には結構ありがちな話です。出掛けて行った先で子どもが喜びそうなものがあれば、大概の大人は「持って帰りな」と言ってくれたりします。ドレッサーの時のように、あからさまに欲しがらなくても「これで遊んでもいい?」と声を掛けたり「〇〇がある~」と好奇の一言をいうだけで手に入る場合もあるのです
子どもだったからかもしれません。ですが、わたしはそれを自分の使える魔法のように感じていたのでした。ですから、ことあるごと念じることは辞めませんでした
このお話には続きがあります
長くなりそうなので《実践編》として別記したいと思います
お付き合いありがとうございました