神様のいるところ
わたしは、空港の荷物を預けるベルトコンベアーのようなものに乗せられた無知で無垢な神さまが、そわそわしながらそれぞれ「魂」という不確かなものになって分配されて落ちてくる…と思っている
コウノトリがbabyを連れてくるかのようにゆっくりと、それぞれの使命をもって運ばれてくるのだと妄想している
そうやってちいさな神さまたちはわたしたちの中に秘かに存在しいて、オーバーリアクションで采配を振るうのだ。そう、激しく躍動しオーバーリアクションで采配を振るうのだ。が、振るってはいるけれど、神さまというものはご存知の通り目には見えない「奇跡の存在」。なので、こちらには当然、その活躍は聞こえてこないし伝わらない。よって、神さまの渾身の采配は大概が失敗に終わる
失敗は神さまも嫌いだ。だから一緒に落ち込む
落ち込むと神さまはお隠れになる。これがブルーな気分⤵⤵
成功すれば神さまも喜び、気分も高揚する。これがテンションあげあげ状態⤴⤴…と、解釈すれば日々の浮き沈みも納得させられるではないだろうか? と、もちろん、自己満(*^。^*)
稀に勘の良いひとや、才能に恵まれたひとは、この神さまの采配をキャッチできるようだ。なんとなく~な感覚でチャンスをつかむ癖がつく。だから勘も鋭く、どんどんレベルアップする。そうして培われたものが「才能」であり「天職」であり様々な分野の玄人の中で耀く
その昔、わたしの中に神さまがいると言った友人がいた
だからきっと神さまはそうやってわたしの中で、わたしを叱咤激励しているのだと思っている。まぁ半信半疑ではあるが考えようによってはうまいこと毎日を乗り切れなくもない
さて「才能」は? 「天職」は? 一体どうやって見極めれば良いのか
「好きこそ物の上手なれ」とはいえ、それらが「才能」や「天職」と必ずしもイコールだとは限らない
努力で成し得るひともいる。努力で引き寄せ、自分のものにできるひともいる。でもきっと、それは稀
好きでも芽の出ないひともいる。好きでも上手くいかない時もある。嫌いなのにやってしまえるひともいる。なかなかうまいこといかない現実ね
でも、好きはやめられないのよね。芽が出なくても上手くいかなくても、どうしても離れられないの。それでいいと思うのよ
そんな時の神さまは、ものすごく汗をかいていそう。芭蕉扇のような大きな扇持って、必死で采を振っているのかもしれない
小さい頃から才能に溢れ、早いうちからそれを発揮できるひとは前世も同じことをしていた…なんて言われたりするけれど、なんだかそれって生き急いでる気がすることがある。特に小さい子を見ると、そう感じてしまう
でも、好きだから止まらないんだな
事情があって途中リタイアしなきゃ行けなくなったひとは、軌道修正というか、人生で2度「才能」とか「天職」に出会えるチャンスがあるひとなんだと思う。それこそ神さまの采配の振るいどころ、なんじゃないかな
わたしは神さまの声をうまくキャッチできているだろうか?
その昔は無条件に、信じてやまなかった夢が現実に押しつぶされて、「そんなもんだ」って流されて平和だったのに、突然思い立ってここにいる。神さま「そりゃないぜ」ってなもんで恥の上塗り状態な気もするけど、楽しい
たまんねぇ(*´ω`*) やめらんねぇ(*ノωノ) でもコワイ
ちょっと未来をチラ見したい気分…神さまもう少し、激しくオーバーリアクションください。わたしの脳みそ、雑念多いですか? 聞えません(笑)