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おとなの通信簿
先日、友人との会話の間に面白いことを聞いた
そもそもそんな話になったのには、わたしの日頃の生活が怠惰すぎる故に「これでいいのか」とネガティブ発言をしたことからなる
わたしはいわゆる専業主婦で時間が余っているにも関わらず、家事に専念するでもなく食べたい時に食べ、眠くなったら昼寝をし、暇さえあれば漫画を読んでいる・・・・ところから始まり、これって「生きる意味」があるのかと言ったところ「しあわせじゃん」との会話の延長だった
確かに、しあわせなのかもしれない
開き直るでもなく、現実問題そんな生活を口にすればわたしもそう答えるだろう。ただそれが自分に置き換えられたとき「これじゃやべぇよな」と思ったからこその「生きる意味」発言だったのだが、生きる意味などひとそれぞれだし、なにに幸せを感じるかもまたそれぞれなのだ
もともと出不精で仕事をはじめアクティブに活動することを良しとしない自分にとって、今の生活は感謝してしかるべき現状と言える
子どもたちは成人しそれぞれに自分の道を歩んでいる。わたしの子育ては終わったといっても過言ではない状況で、これからは自分のことだけを考えて生きて行けばいいわけで、病気を抱えるでもなくほどほどに健康で好きなことができることになにをネガティブに構えているのかと改めて思った
実に贅沢ではないか
そんな話の流れで子育てがひと段落したわたしたちは「よくやったよ」という結論に至り、ふと通信簿の話になったのだ
聞けば30代の頃、今のわたしたちと同じ年齢くらいのひとに「この歳になると大人の通信簿が出るんだよ」と言われたことがあるのだそう
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年齢を重ねると上っ面だけの付き合いをしてきた人はそれなりに、真面目にコツコツ積み上げてきた人は相応に、それは生活の豊かさや人相に出るのだと言われたことがある、と
なるほど自分の周りを見てみれば、思い当たる節は多々ある
成功すれば見返りがあり、失敗すればなんらかのペナルティがある
なんでも積み重ねなんだな、と思った
さて、通信簿というと国語算数理科社会・・・・とそれぞれの成績が数字で表されている。大人の通信簿に教科は記されない。だとしたらどんなものがあるかしらと考えてみた
国語 ⇒ 仕事、日常業務、作業、タスク、
数学 ⇒ 家計、経済、
理科 ⇒ 子育て、育児、保育、教育、
社会 ⇒ 社交上の付き合い、義理その他、
英語 ⇒ 国際交流、異文化交流、
音楽 ⇒ 趣味、趣向、娯楽、
技・家⇒ 家事(料理、掃除、その他)、日曜大工?
保体 ⇒ 健康、運動その他、Diet、
美術 ⇒ 美容、ファッションその他、
こうして並べてみると、あまりいい数字を出せないような気がしてきた
保体はどこまで行ってもあひるの行水になりそうだ (;^ω^)
もちろん数字ではないし、こう評価が正解というわけでもない
ただこういう積み重ねが人相や生き方に出てくるのだと言われると、厳しいひとは皺がいっぽん以上多いのかもしれないし、呑気なひとは笑い皺が細かく刻まれているかもしれないということだと、わたしたちは解釈した
記事を書くにあたり「通信簿」で検索を掛けてみると、面白いものがいくつか出て来た
一般的な学生の「あゆみ」や「通知表」に始まり、生徒からの「先生の通信簿」やら、作業工程における「業務成績表」「改善提案」、はたまたトイレの「お掃除チェック表」まで実に様々なテンプレートが出てくるではないか
そう考えると、いくつになってもわたしたちはそういうものに縛られているのだなと思った
まぁそれがあるからこそ向上するものももちろんあるのだろう。表や数字に表すことで足りない部分がわかれば、なんでもよくなるために気づきを得られることもある。平和にいい感じに活かせるといいなと思う
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