タスマニア 時を旅する その一
ホバート…南半球の酸素の粒
意外にもホバートの街は起伏に富んでいた。タスマニアはオーストラリアの南端、北海道ほどの広さとあってその首都という単純な思い込みから、ヨシオは札幌のイメージを持って降り立った。
しかし、かつての捕鯨基地として栄えた港街である。深い岸壁は南半球一の良港といわれた。確かに札幌のようにゆったりとした区画はいかにもオーストラリアなのだが、神戸や長崎さながらに坂や丘があちこちに走っている。もう若くないヨシオのような旅人にとって、歩き回るには多少の覚悟がいる。
あれからちょうど3年か―。ヨシオには感慨深いオーストラリアである。
パンデミック前夜の2020年3月、娘のヒロコとユウジ夫婦が借りていたゴールドコーストのアパートメントにせいぜい滞在2~3週間のつもりで妻キョウコと訪れた。
ところが新型コロナウイルスのパンデミックにより、国際便は3月下旬から一斉に運休し、オーストラリアの各州もロックダウンに突入していった。帰国のめどが立たないまま、常備薬の入手や観光ビザからブリッジビザへの更新など想定していなかった豪州生活。とはいえ現地の運転免許証を取ったり、州内を旅行したりと、ちゃっかり楽しんだ日々でもあった。
結局、ヨシオ夫婦の滞在は半年に及んだ。2020年9月、ブリスベンからシンガポール航空でチャンギ空港経由、関西空港へ。シンガポール航空が大規模なリストラに踏み切る直前、アジアのハブとして世界の旅人で賑わったチャンギは人気のないゴーストタウンと化していた。
あの閑散としたチャンギをヨシオは忘れることができない。
コロナ下の3年。ヨシオは今年2023年末、70歳となる。それまでに、底抜けたピーカンの青空の下をもう一度ドライブしたい。そんな焦りにも似た気分もあってヨシオとキョウコはゴールドコーストを再び訪れた。そして、ヨシオはずっと狙っていたタスマニアへと一人で飛んだ。
「寒い!」。3月中旬とはいえ、日中30度超えの日が続くゴールドコーストからホバートと降り立った途端、ヨシオは寒風にたじろいだ。
確かにゴールドコーストから空路2時間半ほど、南極寄りなのだ。関空からなら樺太に飛んだほどになるのか。
北半球と異なり、タスマニアの東西には大海しかない。東にニュージーランド、遙かに南米やアフリカはあるものの、日本のように偏西風でつながった中国や欧州など大気に影響する産業社会と、タスマニアは隔絶している。
そのせいか、ホバートの植物園で息を吸い込んだヨシオは「空気が違う」と感じていた。肺の底まで酸素の粒が染み込む。もちろん人間に酸素の味が分かるわけもないし、そもそも空気に味があるのかどうか分からないが。