タスマニア 時を旅する その六
ポートアーサー…歴史の皮肉か
「ごろつきどもをすり潰して更生させてやる」
ポートアーサー流刑場は、オーストラリア本土の刑務所でも手に負えない囚人が集められたとされる。イギリス本国から派遣された監督官は、過酷な使命感から、徹底的に沈黙を強いる独房や完全な暗闇の懲罰房まで設けた。
「ここまでやるか―」。病院や教会、洗濯場、農場監視小屋などちょっとした都市並みの施設を備えた流刑地跡に立って、ヨシオはそうつぶやいた。
広大なサイト内にはゴルフカートのような電気自動車も走っていて、声をかけたら無料で好きなところまで運んでくれた。できるだけ歩行を避けたいヨシオは重宝した。
なぜ流刑地跡にこれほど人々は惹かれるのだろう。風光明媚なリゾート、クレイドル山を上回るほどの観光客だ。過酷な歴史と囚人たちの苦痛を想像して、自身の安全と自由を噛み締めているのか。
ヨシオはガイドにいたずらな質問を投げかけてみた。
「脱獄に成功した囚人はいたのか?」
「一人もいなかった。一人もね」
ガイドは胸を張って語気を強めた。
リッチモンド…
10日間のタスマニアの旅。ヨシオは最終日にホバートに戻って1泊するつもりでいたが、ポートアーサーからホバートに帰る途中の街リッチモンドのホテルをとった。空港の目と鼻の先でもある。
リッチモンドは19世紀前半の入植時の雰囲気を残す。オーストラリア最古の石橋がある街としても知られる。ちょうど200年前の1823年に流刑者によって造られた小さい橋で、近くにある教会の尖塔を背景に橋を見ると、おとぎ話の世界だ。
この街にもポートアーサーより古い監獄跡があって公開されていた。
ヨシオはこの旅のちょうど4カ月前の2022年11月、たまたま受診した胃カメラ内視鏡検査で喉の奥に腫瘍が見つかっていた。下咽頭がんと診断され、12月、地元のがんセンターに入院、手術を受けた。
がんは切除されたが、2年以内の再発率が高い病気とあって毎月の検査が課された。70歳を前に否が応でも残された時間を思うようになった。
タスマニアをレンタカーで運転しながらの一人旅は、ヨシオには小さな冒険でもあった。途中、昼ごはんはアイスクリームしか通らなかったほど疲れてもいた。
この旅でヨシオは何を得たのか、振り返っても分からない。
ただ宿なしになりかけたオートランズでオーストラリア人に助けてもらった日のことと、クレイドル山のボタングラスの茎を飾っていた霧雨のしずくは忘れないだろう。
(おわり)