トラブルのパターンにはまった?
ヨシオがイスタンブールの地を踏んだ2023年10月、黒海を挟んだ北ではロシアによるウクライナ戦争が泥沼化の様相を深め、南ではイスラエルとハマスの紛争が激しさを増していた。
「旅行にはタイミングが悪いか…」とヨシオは思ったが、現地では表向きに戦争の影は見えなかった。後で知り合った日本語ガイドのトルコ人も「確かにウクライナ人の観光客は来なくなったが、ロシア人は変わらず来ている。中東からも特に影響はない」と話していた。
実際、イスタンブール初日、ヨシオはホテルが「送迎付き」と勧めるボスポラス海峡半日クルーズに参加したところ、中東各地からの旅行者で賑わっていた。
それにしても何と迫力と活気にあふれた海峡か。
ニュースで黒海からの穀物輸送の要路、などと報道されるようにひっきりなしに巨大な船舶が観光クルーズをかすめて通り抜ける。ヨシオの地元、明石海峡とスケールが違った。
トルコ共和国はちょうど2023年10月、建国100年。あちこちに巨大な国旗がはためき、第一次大戦の敗北からトルコを守った建国の父、ムスタファ・ケマルの写真が掲げられていた。
共和国は疲弊したオスマン帝国を廃し、イスラムと社会を分離して西洋型の国家をめざして建国された。ペルシャ文字をやめ、アルファベットを採用したほど徹底した改革だった。オスマン帝国を否定することで共和国が生まれ、地域大国として存在感を増してきた。
しかし21世紀に入り、エルドアン大統領の下、地中海世界に君臨したかつてのオスマン帝国の記憶がよみがえりつつあるのか。
愛国心が満ちているような光景をヨシオは各地で見ることになる。
ヨシオが参加したボスポラス海峡クルーズは「送迎付き」との案内で出発場所までは乗り合いタクシーに乗ったものの、帰り便がなかった。同乗の観光客も「どうなっているんだ」などと不満を口にしているように、ヨシオの耳には聞こえた。
しかし、自力で帰らないと荷物もベッドもない。ガイドブックの地図とスマホを頼りに、ごった返す夕方の旧市街の中、ヨシオは足を棒にしてトラムの駅を探し何とかホテルの最寄り駅までたどり着いた。支払いはイスタンブールカードというプリペイドカードしか使えない(ようにみえた)。駅でチャージできるのだが、ヨシオも含め観光客は端末機の前で苦戦していた。
クレジットカードの表示があるのに、現金しか受け付けないからだと思われた。それともカードの銘柄が限定されているかもしれない。確かにトルコでは、VISAはだめだがMasterならOKという端末もあった。
困っている観光客に地元の人が手ほどきをする光景があちこちで。前の人が片付かないと、自分がチャージできないのだ。
ホテルへの帰り道を確認してほっとしたヨシオに、流ちょうな日本語で声がかかった。
「『地球の歩き方』をお持ちだから、日本の方ですね」
中年のおやじの穏やかな表情。あまりにも自然な口調に、ヨシオは警戒心を忘れた。もし日本でなら、見知らぬ外国人に呼び止められてどう反応するか。
この辺が外国の街での不思議なところだ。日本語で話しかけられ、無下にあしらえないという日本語話者へのリスペクト?と言うか小さな愛国心が働くのか。
「日本のどちらから? そうですか、私は2年間そこで働いていました。(スマホを開き)ほれ、この写真、友達のスズキさんです。今は近くのいとこの店を手伝っています」
ヨシオはまるで旧知の友と出会ったかのように話し込んでいた。それほど持って行き方がうまい。
「そうだ。知り合いがいい旅行社をやっています。ちょっと寄っていきましょう。すぐそこです」
そこでカッパドキアツアーを売り込まれ、同じ調子で絨毯店に案内され……。
これは「地球の歩き方」の「イスタンブールで気をつけよう」のフルコースから、睡眠薬強盗と偽警察官を除いたようなもの。「歩き方」に「日本なら路上で話しかけてきた人に気軽についていきますか?」ときっちり書いてあるではないか。
で、ヨシオはどうなったのか?
ツアーの売り込みや絨毯店、それぞれ付いて行ったものの、すべて「今は疲れていて分からない。明日また来るから」を繰り返した。嘘ではない。
おやじは次第に冷たくなっていく。柔らかい親切な表情に、諦めと面倒臭そうな雰囲気が漂い始める。
「もうしんどいから今日は帰りたい。ホテルはどっち?」
「あっち」とだけ言って、おやじは雑踏に消えた。
まあ、彼らもある意味、仕事熱心なのだとヨシオは思った。観光客から犯罪以外の方法で収入を得るのは、それこそ口八丁手八丁の世界だ。
ホテルを目前に、ヨシオにまた日本語が飛んできた。
「いい絨毯です。見るだけでいいですから」
「……」
「あなた! 正確な日本語で話しかけているのに、無視するとは失礼ではないですか!」
(ごめんなさい。でも何で叱られないといけないのか…)