近況メモ(2021/06/21)

あぁ、、暇だ。退屈だ……。

何か刺激的な、複雑極まるような問題はないか?

あまりに刺激がなさすぎて、

Q.かっぽじるのは?

のような極超短波な酷いクイズを電波よんよん受信しては、それを慰めに過ごす日々である。

ちなみに、こたえは「耳の穴」である。ひどい。。

いや、時間的には暇ではないのだ。あれもこれも、やるべき仕事はある。むしろここ数ヶ月は、仕事に脳も時間も割かれて過ごしていた。暇というより、正確には退屈なのだ。

刺激的な問題のストックもあるにはあるが、既に大方答えがでてしまったので、あとは、いかに伝わりやすく書き下すかに苦心するのみで、進んでも進んだ気がしないのだ。下書きは溜まり続ける。

そんな日々だが、なんだろう。もっと、こう、わくわくするような、インタレスティングなエクササイズを、この気怠い日々に、ぶわふぁっと、脳の清涼剤をぶっかけて欲しい。わたしは問題がほしい。そうすれば、耳の穴みたいなジャンキーなクイズを受信する必要などないのだ。

どこかに、どこかに、問題は、、


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おっ?


# 協議クイズ(2021/06/15)
解答を「協議」で決められないだろうか、というコンセプトです。「正解」を知ってて、あえてべつの解答を用意するのもアリです。 (2021年6月15日22:44 @minhaya_nowa)


にゃーんさんだ。
協議クイズ。ほぅ。そういうものもあるのか。

興味深い。いくつかリプもついてる。

セットク力、ソウゾウ力。おもしろい!!これだ!!

絵画という馴染みがない分野というのも丁度良い。
さぁ、ゲームが始まるぜよ(>_<)

■「ソウゾウ力」と「モウソウ力」

ふむ。既にリプがついている。

にゃる。

絵から感じた印象をもって、頭にストックした、ありえそうなストーリーを連想し並べている回答が多い印象。いずれも「ソウゾウ力」寄りの回答となるのであろうな、これらは。

「ソウゾウ力」寄りの回答という話ならば、モンタージュ理論宜しく、適当に絵の順番を並び替えてストーリーをでっち上げるというのが面白そうだ。同じ絵であっても、それぞれ何か違ったストーリーがみえてくるものだ。4種類の絵を並び替える組み合わせなので、4!=4×3×2=24通りである。

この中から思いついたストーリーで、一番「モウソウ力」が高く面白いものを選べばよい。

いや、「モウソウ力」ではない、「ソウゾウ力」であった。想像、そして、創造。

妄想とは、脳科学辞典とやらによると、「明らかな反証があっても確信が保持される、誤った揺るぎない信念」であるそうだ。根拠のない、対話のない、自己の独り善がりの思いつけはモウソウであり、ソウゾウであるとは言えないだろう。

ましてや、ヒトの思いつきというのは、よほどの着想の仕方でなければ大体に似通るもので、深さ1の浅いものしか出てこないのが常である。だとすれば、モウソウのような想像では、もう一方のソウゾウ(創造)力も得られぬだろう。エデンの園はおろか、頭の上のハエにも届かない。

その点で、事実に基づき、正しく楽しくソウゾウすることが大事である。これは、実にエレメンタリーなことだと思う。

  ◇  ◇  ◇  

ぐだめきが長くなったが、本題に入ろう。

先ずはパッと見の第一印象。4つとも作風が大きく変わっているな、ということだ。

グループ分けすると、「③」、「④」、「②と①」の3つといった具合か。

印象的だが暗めで不安定、ヒトらしからぬ「③」。

非常に重くも力強い。群衆画でありながらヒトの形が描けている「④」。

「②と①」は、いずれも女性と猫。

「②」は裸婦と猫。「③」と比べるとヒトを描けてきている。あと、ネコかわいい。

「①」は中央に少女、よく見ると腕の中に猫。描線は細く明るい。少女はよく描けているがヒトでない感じもする特徴的な少女である。しかし、迷いはなく素直に描かれているような印象をうける。

ここだけで先ず推測してみると。

少なくとも「③ → ② → ①」の順番で描かれているのが推し量れる。


この世には常にそうである原理原則、世界の約束というものがあり、世にある物事は、いずれもこの約束事に反しないように存在している。

今回使うのは、世界の約束「絵は上達こそすれ、下手になることはない」だ。

「幼稚園児が描くような絵をかいてほしい」と言われた場合を思い浮かべてもらえば、イメージがつくだろうか。幼稚園児の描く絵というのは独特の味わいがあるもので、大人になってから同じように書こうとしても困難なものだ(幼稚園児レベルから絵が上達していない場合は別だが、、、)

ベテランの先生は、幼稚園の絵画コンクールの応募作で、親が書いたものか子供が書いたものかがわかるという話も耳にしたことがある。

人間という生物は、発達するにつれて、モノをよく観察し特徴を詳しくわかるようになってくる。幼稚園に通うタカシ君がぐちゃぐちゃに引いた線について、「何を書いたの?」と聞いてみれば、「りんごだよ!」と自信満々に答える。確かに赤いクレヨンで書いてある。だけど、隣に書いたテントウムシと何が違うのか。。。だけど、タカシ君には、りんごとテントウムシに見えるのである。

絵を上手に描けるかはどうかは、まず、ものをしっかりとみることができるかによる。ものを細かく観察し解像度があがると、イメージと違う線はノイズとなっていく。熟練すれば、線が洗練されるほど「これではない」線が見えてくるのだ。一度リンゴの解像度があがれば、タカシ君のようにノイズなくりんごをみることはできない。


ということで、「絵のうまさ」という順で並べると、③が一番下手で、①が一番うまい。書いた順番も、その順番に並ぶ。間違いない。

③が一番見えておらず、①が一番見えた上で書いている。

感想としては、

③:意図の確固たるものが見えてこない。模索段階という説もあるが、おそらく他者の作風を真似たもの?

②:幾分か身体の形が描けているが、構図が若干不安定。そして猫かわいい。

①:洗練されている。無駄がなく、そして、人物でありながら、不思議な人物を描いている。


んで、④をどこに置くか。これが難しい。

かなりよく描けている。構図も三角形でぴっちり。しかも大勢の人をここまで力強く描くというのはなかなかの技量と胆力が必要だ。その点で、技量の観点から少なくとも③、そして②よりは後だと推測されるのだが、①とどっちが後になるかが悩ましい。

画題を選ぶときの心境を考えると、戦争という強い出来事のあとで、④のような作品を描いた後で、①のようなスガスガしい絵を描けるほどに人は強いのか?とも思えてくる。


「絵は上達こそすれ、下手になることはない」という世界の法則だけで、これだけのモノが見えてくる。

無論、例外もある。意図的に下手に書こうとしたり、目が見えなくなったや手が動かなくなったなど物理的な理由だったりで、うまく書けなくなることはあろうが、基本的に人のモノの見え方、捉え方というのは細分化こそすれ退行することはない。その観点で、認知症が進んだ人や、記憶喪失した人物が絵の画風がどう変わっていくのか?というお話を調べるのも少し興味深そうだ。(あと、別人が成り代わりで書いてたというパターンもあるか)

  ◇  ◇  ◇

ここから先は、知識で補足していこう。

一体この作者はどのような人なんだろう?

■作者の人となり

この絵の作者について言えることは、

「戦争帰りの海外留学経験者」であるということ。

さらにいうと、「日本人の男性」である。

わかってしまう。


なぜ、そうだとわかるのか?

ひとつひとつ論理をひも解いていこう。


先ず、「戦争帰りの、海外留学経験者」について。

絵に描かれている人物に注目してほしい。

①は金髪の少女。②も金髪の裸婦。③は黒髪女性も含むヨーロッパ人形を抱えた女性。いずれも西洋人である。なぜならば、金髪の日本人はいないから。

一方、④。画像が粗くて詳細をみれないのだが、目を凝らすとヒトのようなものを区別でき、そのシルエットでわかることがある。そう、日本兵である。日本人が果敢に戦っているのだ。

④の絵のみに注目してみると、この絵をどういう経緯で書いたかが薄っすらと見えてくる。

先ず、この絵はでかい。

なぜか?それは画像が粗いからである。他の絵と同じサイズであれば、もっと鮮明に人が見えて多くの情報を得ることができたはずだ、くそぅ。あと、これだけの人々を小さいキャンパスに描くというのもキツイ話だ。たくさん人がいるので、でかい絵だと考えた方が自然である。

そして、この絵はすごい。

力の入り方がすごい。ここまで気迫があふれた日本兵を描けたということは、おそらく外国人ではなく、愛国心を持った日本人であろう。しかも、これだけ大きな絵を描いたということは、それなりに大家であろうと推測される。海外で有名になり、何か事情があって戻ってきたのだろうか。お国のために戦争にかかわり、そのあと、いや、その最中かもしれない。この絵を描いたのだろう。これだけの絵を描いたということは、戦争を実物で見ていた、従軍していたまであろう。その他、④で特徴的なのはこの色使い、一面が茶色、土気色で全くカラフルではない。もっというと、油彩画だと思われるが、戦時中は油絵具も高価で貴重品だったろうから、戦時中に仕上げたものとも思える。

あと、日本人だろうというのは、①と②にもヒントがある。線が細く、色が薄いのである。西洋といえば油絵である。おそらく、筆も和筆なんかを使っているのでは?というのは補足的に推測できる。

あと、画家なら必ず自分の名前を入れているはずである。②がわかりやすい。左下に書いてある。画像が粗くて読めないが、T?Fとjみたいな字の上に司のような感じが見える。おそらく漢字だ。アルファベットと漢字を使って外国人の絵を描くということは、西洋で活躍する日本人という推測がたつ。

サインは大事なのだ。「あつまれ!どうぶつの森」で鍛えた審美眼をなめてもらっては困るぜよ。「ちみつなめいが」を見分けた時に、落款の有無で偽物と見抜いた経験がここで活きるとはおもわなんだなも。

義経寺の絵馬の話で愛弟と交わした話でないが、ひとつ見えてくると他も見えてくるものだ。④の絵の右下にもサインのようなものが見て取れる。おそらく、T?Fとjの形が見えるが、小さい。やはり、この絵は大きい。


日本人で、海外にいて、戦争関係者となれば、

若かりし頃、海外に絵画の勉強のために留学し、何か世間的な事情があって日本へと帰ってきて、その技量を生かして戦争画を描いたというストーリーがみえてくる。

というわけだ。

もっというと、生活のために苦労したのではないか?とも思う。

絵は描きたいから書くという面もあるが、生活など、書かざるを得なくて書くということもあろう。写真が普及する前であれば、絵の需要といえば、お金持ちの肖像画や、宗教的な裸婦画というのが常であろう。④が戦争(日本軍)だとすると、戦時中に大きな画材を使えたとすれば、国からの求めにより画をかいたといのも筋が通りそうだ。その点でいけば、①は自分で描きたいものを描いている感はある。

ただ気になるのは、④が日本の戦争だとして、たしか、日本は敗戦していたはずである。いや第二次世界大戦でない?いや、この装備と規模は日中戦争などではない?と思うが、知識がないな。。まぁ、ともすると、①と④の順番について、戦争の後に①のような絵を描いていけるのだろうか?相当の心持、精神構造をしていないと描けないのでは?とも思われる。いずれにしてもどちらともいえないか。むぅ。


ふぅ。とりあえず、ここまで見えて来た事実から人となりを推測してみたわけだが、誰だろうか?

持てる知識と相談し、最後の追い込みかけよう。
獲物は、あと少しだ。

  ◇  ◇  ◇

整理すると、

・日本人 ・海外留学経験者

・戦争関係者 ・T?Fとjのサイン

ふむ。

とはいえ、思い浮かばん。。
やんぬるかな。

ぢつと絵をみる。
わからぬ。。


ところで、①~④の中で、どの絵が好きか?といわれると、②と①の猫が好みである。中でも、猫がはっきりしている点で②がよい。

①もよいのだが、どうしても中央の少女が構図的に極まる。その少女もどこか奈良美智の少女をリアルにしたかのようで、非実在で少し気味悪さを感じてしまい苦手である。その点で②がよい。女性が猫を邪魔していない。

しかし、②に描かれたこの女性。何というか、何だか、これもこれで人っぽくない。どちらかというと、右を向いた魚のような、シイラやマンボウみたいな印象を受ける。魚と猫。面白くはないか?白身魚であろう。魚だとすれば。

ふむ、

少女、猫、裸婦・・・白肌、、猫、 ふむ・・・。


あっ!💡🐱💡

わたし、モンパルナスのキキ!
こっちは、ネコ!名前はまだないわ!

すべてがつながった。この人物で間違いない。 

その人物とは、Fj。

乳白色の白肌と猫の画家、
レオナール・フジタ。


藤田嗣治(ふじた・つぐはる)だ。




■解決編

町の書庫に赴き、こたえあわせをする。

色々と面白い。

④の作品『アッツ島玉砕』は、日本軍から依頼されて作ったものであった。となれば、右下の署名は漢字で書いてそうなものだが、日本が敗戦した後で塗り直したものだそうだ。元々は皇紀で2603年としたものを西暦に、漢字で嗣治としたものをローマ字に変えたのだそうだ。

さて、こたえあわせだ。
順番だが、③→②→④→①の順である。

青年フジタ氏は黒田清輝先生の美大卒業後に親の金でパリに留学後、ピカソやマティスに出会い衝撃を受ける。作風を模索しつつ生きるが、やがて戦争がはじまり日本からの仕送りが途絶える。この中で作風を模索しつつ生活のために描いたものが「③」の絵だ。

エコールドパリの一員となり、活躍、入選。白い肌と猫の画家として一躍有名となる。白い色使いと細い線の表現は当時のヨーロッパにはない独特な日本的な表現であった。この時期のものが「②」。

新たな表現を求めて南米などの海外をまわり様々な作風を経ている中、フランスがドイツに占領されたこともあり、日本に帰国。戦争画の製作を国から依頼され、南洋の方に従軍。その経験ももとに気合を入れて描いた渾身の一作のひとつが「④」の戦争画である。ちなみに④の舞台アッツ島はアリューシャン列島にあり、藤田氏は従軍していない(まぁ、玉砕しているので、いたら死んでるから当然といえば当然だが)。
今までの経験から、想像し、創造したのだ。まさに、ものすごいソウゾウ力だといえよう。

そして、戦後は戦争に加担した絵を描いたことから日本にいずらくなり、ニューヨークを経てフランスへ逃亡。余生をフランスで過ごす。このころは、生涯のモチーフとしていた少女と猫を極める。「①」のその少女は実在の物ではない非実在の想像上の少女。巨匠・フジタの永年のソウゾウ力の賜物であったのだ。

1959年には、ノートルダム大聖堂にて洗礼をうけ、「レオナール」の名で生きることとなる。晩年には、通称「フジタ礼拝堂」といわれる教会の装飾・壁画に取り組み、人生最後の大仕事を終えたときには、80歳であった。教会の壁画にはフレスコ画で、キリストの生涯が描かれているが、同時にまた、フジタ自信が思い描くキリスト教を描いたものでもあり、「レオナール」の元であったレオナルド・ダ・ヴィンチと思われる人物や、最後の夫人であった君代夫人も描かれていたという。

1968年1月、ガンのためこの世を去る。享年81歳。彼の遺体は、フジタ礼拝堂に埋葬され、巨匠はソウゾウの中で永い眠りについた。


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……ということがあったのさ。

「はぁ……。さいですか。それで、土日にクイズの作問ノルマも満たさずに、耳糞みたいな問題を提出して、書庫に入り浸っていたと。まじ、耳糞ですね。」

いや、なかなか面白かった!

通常なら、わざわざ、一人の画家の人生や作風、その他もろもろを調べようなどとしないからね。

空腹が最良の調味料である。という格言があるが、人の頭も同じで、何もなしにモノゴトを覚えようというのでは入ってこないものだ。脳が、もう一杯です!入ってくるとこなどないよ!と言ってくる。

そこで、危険をあおる。

あなたの脳はスカスカですよ、と。こういった疑問が残っておりますがね、お気づきでないですか?と。

とすると、脳みそさんの方は、そのミッシング空間を埋めようと必死で物事をさがしまくり始める。

その過程を眺めるのが、まぁ、楽しいのだ。

あと、耳糞ではなくて、耳の穴ね。かっぽじるのだからね。

「まるで、他人事のようですね……。」

そうさ他人さ。自分だってね。

気持ちよければ楽しくて、

不安ならば必死に動く。

そんなもんさ。

「その調子でお仕事も頑張ってほしいものですね。はぁ….…。机の端っこで先週買った『ナビつき!つくってわかるはじめてゲームプログラミング』が寂しがってますよ。あと、近況の下書き、もう賞味期限を2週間は過ぎて腐ってますし、ほかにも推敲中・編集中の雑文がいくつあるのやら。。」

ノープロブレム!解くべき問題は既に消えた!

明日やることは明日やろう!

さぁ、明日は週に一度しかない月曜日!
頑張っていくぜよ!!😆

(終)

こたえ ③→②→④→①

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澤木恭介
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