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缶を拾って渡れるか。



  犬が下北弁を喋る時季になりましたね。



  夏頃にまた様子がおかしくなって、何とか活動できるくらいに戻って、CCB公演も終えて、いまは普通の社会生活を身体になじませることに重きを置いて生活していますが、まだ受け付け難い事は多いですね。


やはりひとの多い場所はきついです。
電車はなるべく混雑する時間帯を避けて乗りますし、買い物もだいたいはひとの少ない深夜帯に行きます。

劇場に観劇に行って終演後面会ができる場合も、とにかくひとの多い場所に滞在したくないので何かしら理由をつけてすぐ外に出るというのがほとんどです。
もちろんその後ご挨拶とお礼の連絡を必ずします。


ひとの多い飲み会もまだ受け付け難いです。

昔は別に何とも思わなかったのに、むしろ飲みは必ずと言っていいほど参加してたのに、1年ほど前から、本当に苦手になりました。

ひとの多い飲みの場に行くことを想像するだけで息が苦しくなる時もあります。
「これ!」という理由はよく分かりませんが、
ここ数年飲みの場でいい思い出がないのがトラウマみたいな感じになってる、というのはあると思います。

親しいひとたち4~5人と飲みに行く分にはそんなに抵抗はないですが。



  今まだひとの多い場所を受け付けないのには、
いろんなひとの細かいところを気にしすぎてしまうというのが理由のひとつにあると思います。

全く関係ない他人の雑な所作とか、横柄な態度とか、正しくない言葉使いとか、そういうところにばかり目や耳が行って気にしてしまって、腹立たしさと情けなさをおぼえるのです。
「なんでこういうふうにしないかね…」「そこはそうだろ」
そもそもこれが自己中心的な考え方ですし、自分は心の狭い人間だなと言えますが、そう思ってしまうのです。

なるべく自分は品行方正な生き方をしようと心がけていますし、この世界に生きるほとんどのひとが品行方正な生き方をしようとしてるはずです。
でもそれが自分の思うものとかなりかけ離れていて、自分が違うと思ったことを多くのひとが至って普通に行っている現実にかなり落胆してしまいます。
そして
「それは違うだろ」「そうすると迷惑だろ」
そう思って腹立たしさと情けなさをおぼえます。

自分が復帰しようと頑張って目指しているこの世の社会が、自分が思っていた上等な世界とは全くかけ離れている現実を目の当たりにして、
「自分よりも出来上がった人間が社会を形成してるのに自分よりも劣等な行為を息を吐くようにやっている」
「なんでこんな世の中なんだろう」「なんでこんな世の中に生きているんだろう」
と嘆いて幻滅するばかりです。

もちろんそんなひとばかりではないのは大前提です。

でもそんなひとにばかり気が行ってしまって、そう思ってしまいます。全く関係のないひとばかりなのに。
「自分は自分。他人は他人。」そう割り切れられればいいのですが、どうしても気になってしまうのです。
こんな無駄でタチの悪い干渉気質も早くどうかしたいです。

そう思って、
「なんでこんなに自分は生きづらくなったんだ」「自分は残念だな」
と自己嫌悪で虚しくなることもしばしばです。


こういうものが積り積もって、世の中が嫌になり、ひとが嫌になり、ひとの多い場所に行くのが嫌になり、外に出るのも嫌になりました。


この感じがピークに達したのが夏頃。それから3ヶ月くらい経ち、いくらか緩和はされてきましたが、支障のない程度になるのはまだまだ遠い未来だと思います。

そんな世の中だと思い込んでしまっているせいで、まだひとの多い場所は受け付け難いですし、必要最低限以外ではあまり外に出たくないです。
それと外に出たくないのは、いろいろ気にして腹立ったり情けなくなったり虚しくなったりっていう本来不必要な考えをめぐらせて疲弊するのが嫌だからというのもあります。

そういうことを考えないようになんとか頑張ってポジティブなことやクリエイティブなことを考えるようにしています。
社会生活になじむ作業も自分なりに頑張っていきます。



  こんな感じを理解してくれるひとがいたら幸いです。
私みたいに自分で勝手に生きづらくしてる人間がいるということを。

以前のように自らこの世から消え去ろうと思うことはなくなりましたが、まだまだこの世に生きる希望を見出したとは言えない状況なので、
それをしっかり見出して、ちょっと明るめな生き方ができるように努めてまいります。





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