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ランニングと状態把握〜無理をしない難しさ

いつもより少しペースを上げたジョギングをスタート。約20kmの距離を程よい負荷で走る予定だったが、スタートして2kmくらいだろうか、少し胃にムカつきを感じ始める。
吐きそうなほどではないが集中を妨げてくる嫌な感じだ。
ただあんまり良くない状態からスタートして途中から回復してくることも珍しくない。特に早朝ともなれば、動き出しが良くないのはよくあることだ。
「途中からきっと良くなる」
内心で自分を励ましながら歩を進める。

1周約3kmのコースには2箇所、急で短い上り、下り坂がある。
1周目を終えて、2周目の最初の上り坂を終えたあたりで胃のむかつきは強くなり、脚への疲労感がどっと押し寄せる。
気温やコースの条件を考えてもこんなきつく感じるペースではないはずなのだが、何かがおかしい。
次第に集中力を保つのが難しくなり、第一の妥協。ペースを落として、予定の距離だけは走り切る、に切り替える。

ペースを落とすと胃のむかつきは収まってくる。
しかし2回目の坂が来ると一段と脚への疲労感は増して、もう走り続けることが苦となる。

「なんかダメだ」
なんとか支えてきた気持ちも一気にきれ、予定の3分の1もいかない6kmで終了。

これまでにこんな経験がないわけではない。ただ自分のことをよく分かっているつもりになっていただけに、今日やる練習に対して自分の状態が大丈夫じゃないことに気がつけなかったことがショックというか、何か不思議な感じだ。

指導の場では「余裕を持って走りましょう」「今日は無理をしすぎないように」など声をかける。
ただ難しいのは余裕を持つというのも曖昧な表現で、どのラインから無理をするになるのかも解釈の仕方が異なる。
そこでランニングの練習では数字を活用することになるのだが、走る距離、コース、ペースは数字上固定でも、人の身体は常に変動的だ。なので前回余裕を持てたペースが今回も余裕があるとは限らないし、前回無理したペースが今回も無理したペースとも限らない。

分かった気になった時にズレが生じると戸惑いが起きるのだろうか。

問題ないと思っていた練習が全くできずに戸惑う自分。なぜ大丈夫じゃない気づけなかったのか。
こう考えているとある女性の話が頭をよぎる。
「大丈夫と思っていたんです。全然無理なんかしている気もなくて。でも通勤で電車に乗っていると急に涙が溢れ出てきて。その日は仕事ができませんでした」

その話を聞いた時は自分はそんな状態になるまで気づかないなんてあるのだろうか。無理をしてないなんて嘘だろ。内心疑問に思う点は多々あった。

「大丈夫と思っていた。無理しているつもりもなかった」
ことの重大さは違うが大丈夫ではないことに気づかなかった点に似たようなことを感じる。こういうことなんだなと。

「無理は良くない」は分かるが、どこに無理のラインがあるか分からない、変動しれいるから難しいのだと。

分かった気にならない。自分も他人も常に変動しているということを忘れない。

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原口孝徳
日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。