デッサンとランニング
デッサンを習い始めて半年が経ちました。といっても開始してから半年が経過しただけで、半年間毎日描き続けたわけではないので経験としては随分浅いものです。
それでも何かを新しく学ぶというのは「初心にかえる」上で役に立つ方法だと思います。
長いこと経験してきたことに対して、初心にかえると口にするのは簡単ですが、初めてやり始めた時の気持ちを思い出すのは実際には難しいものです。
さてデッサンを始めて、または新しく学ぶ、ということを始めて学んだことはいくつかあります。
1.対象を見る。客観的視点の大切さ
絵を描く上で初心者の間違えの一つに対象をあまり見ずに自分の想像ベースで描いてしまうことがあげられます。実際目の前の対象がどうであるかより、「こういったものは〇〇に違いない」などと自身の主観が優先され現実よりも想像上のものがベースとして優先されるとうまく対象を描くことはできません。
コーチングの場でも指導する相手がどういった状態かよりも「このくらいでは走るべきだ」など指導側の主観ベースが強すぎるといずれ大きなズレが生じます。
予想していたよりもうまく走れない練習はよくあります。「こんなはずはないのだけどな」と思うこともありますが、間違っているのは私の考えで、現実ではありません。当たり前のことではありますが、この感情に抗うのは中々難しいのです。指導するランナーをしっかり観て、現在の状態はどうなのかを知ることがトレーニングを組む上で大切です。
見の目は弱く、観の目は強い、という宮本武蔵の言葉があります。そこにあるもの以上を見てしまうことを見の目(主観的)、そこにあるままのものを観ることを観の目(客観的)いいます。
観の目、客観的視点を鍛える上でデッサンはいい練習になっています。先生からも「こんなにしっかり対象物を観ることは中々ありませんからね」とよく言われます。
そのようなことからデッサンでしっかり対象をみることの大切はランニングの指導にも大きく役立っています。
2.小さく進む
描き始める前にはどこから書き始めようかなどと色々と考え始めてしまいます。いきなり上手に仕上げようと考えるほど描き始める(スタートを切る)ことに躊躇しがちになってしまいます。
「まずは大まかに輪郭をとって描いてみましょう」よく先生から言われる言葉です。
ごちゃごちゃ考える前に、どうやったら上手に描き上げられるかを考える前にまずは大まかに描き始めることからです。
デッサンを習う前に「なぜ自分の絵はこんなにも下手なのか」と思うことはありました。
第一の理由は「いきなり仕上げようとする」ことにあると思います。
いきなり完成品に近づことせずに、大まかに輪郭をとり、対象を観ながら徐々に修正を加えていく、シンプルな作業を繰り返すことです。そして一つの視点からでは気づきにくいこともあり、時々、遠目から観たり、角度を変えてみると気づかなかった線のズレがわかる瞬間があります。
早い段階で小さなズレを修正することは大切です。まぁいっかと放っておくと、いずれ大きなズレへとなって修正するのがとても面倒になります。そうと分かっていてもついつい見過ごしてしまうガチです。
立方体の絵を描いている時、面の大きさのズレを何度も修正して途方に暮れていると、たまたま通りかかった水彩画の先生が「立方体や本などの面の大きさは本当に苦労しますよね。私も下書きの段階で毎回苦労します」という声をかけてもらいました。壁に飾ってある先生の水彩画は見事なものです。上手な絵を観ると、その人はあっという間に仕上げてしまったのではないかと思ってしまいます。しかし完成品からは想像もつかない、下絵の段階での苦労があるということです。
ではランニングの練習でも似たような点は多くあります。
いきなり目標を達成しようと練習すると現実の大きな差に自信喪失してしまいがちです。練習でうまくいかないこともたくさんあります。うまくいっていない点に気づいたら練習を少しずつ修正する。小さなズレの段階で修正すれば大きなズレ(故障、不調)を防ぐことはできます。ちょっとずつ、ちょっとずつ修正しては目標に近づいていく。面倒で気が遠くなる時もあるけれど、それをシンプルに繰り返していくことの大切は共通しています。
デッサンを習う前の私は、いきなり上手に描こうとして、描くほどに対象との違いが大きくなって、それでも描き続けたらもう違うものになっていた、ようなものです。そして修正をするなんてことはせず、諦めて描くのをやめてしまう、です。
ランニングを始めようとして辞めてしまう人の多くは、目標ばかりに(それが記録であれ、習慣であれ、ダイエットであれ)気を取られて、過程で起きる小さな修正を怠って、気づいたときは気が遠くなるようなズレになっていた、状況なのではないでしょうか。
3.ゼロとイチは大きく違う
デッサンにしてもランニングにしても、どのくらい練習をするかは成果に影響を与えます。週1回よりは2回、3回の方が上達するでしょう。しかしとにかくやればいいと言うわけではありません。惰性、目的なしに取り組むとかえって逆効果となることもあります。個人の状況に合わせてどのようなペースで進めるかは考えなくてはいけません。
1回と2回、2回と3回の差ははっきりとわかりませんが、0と1、いわば「やるかやらないか」の差はものすごく大きいと思います。
デッサンを学ぶか学ばないか、ランニングをするかしないか、ほど大きな違いは無いようにさえ思えます。
ちょっと絵が上手、ちょっと体力がある、などのように、人口全体で見ると、「ちょっと〇〇が優れている」になるのにはそんな特別な能力はいらないのかもしれません。描くにしても、走るにしても、健康な人なら誰もが持っている能力です。
私の絵も普段から絵を描いている人からしたら決して上手とは言えません。教室に通うたびに、上達はしたが、やっぱり本当に上手な人は違うなと感じています。
ただ全く絵を学んでいない人に見せると「上手じゃん」と言われることもあります。
まあどこを目指すか何をやるかは別にしても、ちょっと優れているかどうかは、やるかやらないのかの差が一番大きいと思いました。
誰もが学んで上達する能力を持っていると思います。学びの難しいところは、ものすごく難しいことをやるのではなく、そんなに難しくないことをちゃんとやることかもしれません。