旅と小さな進歩
カナダ東部、ノバスコシア州に位置する港町、ハリファックスへとやってきた。
私はこの町で大きな挑戦を試みようとしていた。レンタカーを借りて海岸線をドライブすることだ。普通の人からすると大したことではないかもしれないが、運転が得意ではなく、しかもここでは左ハンドル右車線、英語でのやりとり(日本でもレンタカーを借りたことはない)と課題が上乗せされる。
緊張を募らせ、空港のロビーからレンタカー乗り場へと向かう。受付に予約していることを伝えるとパスポート、支払い用のクレジットカードの提出を求められる。
2つを手渡すとエラーが発生する。なんとクレジットカードの支払い上限に達しているというのだ。今月は色々と旅をしていたので気付かぬ間に予想以上の額を使っていたらしい。クレジット会社に上限を上げてもらわなければレンタカーを借りれないそうだ。
スマートフォンを持っておらず、その場で調べるということができず、断念することに。
しかし運転をしなくてもいいことにホッとする自分もいた。
問題はこれからどうするかということだ。
空港は小さく、2階建でフロアは見渡せるほどの広さだ。ロビーにあったツアー用のパンフレットを見るがどれも予約が必要で今すぐにとはいかない。
案内所のスタッフに聞いてみると、個人ツアーなら大丈夫かもしれないということだ。
個人ツアーを行っている3名ほどの電話番号が載った資料を渡され、あとは自分で電話をして交渉するようにと告げられる。
レンタカーの試練は去ったが、電話でツアーの予約交渉する試練がやってきた。
「1日ツアー、要望に応じて旅のプランをコーディネート」
この言葉に魅力を感じ、一番上にあった方へ電話をかける。心拍数が上がり、心臓の脈打つ音が耳まで響く。慣れた人からするとなんてことないが、私にとっては大きな試練だ。英語以前に元々、電話予約など電話をかけることは極力避けたい人間なためこの課題は大きい。
番号を押し電話がかかる。
「ハロー」
相手が出た。低い声で寝起きなのかと思えるような感じだ。少しビクビクしながら、話の切り出しが分からないので、とりあえずツアーの予約をしたい趣旨を伝える。
うまく伝わったようで、相手がいつがいいのか聞き返してくる。
「明日」と私は答える。
少し間が空く。難しいのか、そうならばまた別の手を考えないといけない。
「Ok」の返事が。
迎えにいく住所を教えて欲しいとのことで予約したホテルの名前を告げると相手はその場所を理解しているようだった。
「そしたら明日の9時に、ホテルの駐車場で」
そう言うと相手は電話を切る。
心の中でもう1人の私が雄叫びをあげる。一つ大きな勝利を得た。ツアーの予約をするという小っぽけだが、なんだかまた一歩、大人の階段を登ったような気分だ。
ツアーの予約をしただけなのに、イメージする自分の姿は英語でかっこよくビジネスの案件を取りまとめるクールな男だ。
誰も褒めてくれないし、自慢することでもないが、自分で自分の進歩を認識できる瞬間は嬉しいものだ。旅に出ると何か新しい出来事に直面する。些細なことだとしても、「自分はこんなことできるんだ」という瞬間は新しい自分の側面を発見することで旅の醍醐味でもあるのかもしれない。マンネリ化した日常で止まっていると、自分のちょっとした進歩を認識する瞬間は少なくなっていく。いつの間にか何か大きな出来事にばかり意識は向き、そんなことは何も成し遂げることができない自分に落胆することは多くなる。しかし喜びを感じるには大きなことである必要はない。こんな些細な誰も気に留めないチャレンジでも十分なんだと改めて感じた瞬間でもある。
喜びの沸点を下げておくことは人生を豊かに生きる上で大切なことだ。
さあ、ツアーの予定を取り付けた私は一安心。今日やることはホテルへ向かうだけだ。
空港から市街地へのバスに乗り向かう。街の中心にあるバス乗り場で1度乗り換えが必要になる。空港からのバスは観光客も乗っており、荷物を持っていても目立つことはない。しかし市内バスに大きなキャリーを持ち込むと周りの視線が気になる。他の乗客が気にしているか分からないが、居心地が悪く、出来ることなら早く降りたい一心だった。図太い神経でこんな状況でも「何か問題でも」と言えるような人に憧れる時がある。
15分ほどすると目的地に到着し解放された気分だ。
家族経営で2階建ての小さなホテルだが、部屋は思ったより広く悪くない。
ホテルの反対側にはスーパーがあり、日も暮れそうなため今日の夕食はそこで買って部屋で食べることに。スーパーでご飯を買うと日本のコンビニ弁当やスーパーの弁当の質がいかに高いかが実感できる。美味しいものよりも、無難に食べれればそれでいいくらいの期待値だ。
ツアー当日。6時前に目が覚め朝からソワソワする。このソワソワを落ち着けてくれるのがランニングだ。ランニングシューズとウェアは大抵持参する。
特に走る距離も時間も決めず、気持ちが高まるまで走る。1日のウォーミングアップとしての役割はランニングは果たしてくれる。ランナーでない人からすると「疲れない」と聞かれることもあるが、むしろその逆だ。
走り出すと初めての土地の散策に夢中になりソワソワが消える。想像力が掻き立てられ今日のツアーのイメージ、どんな世界が広がるのか、そんな事を考え出すとワクワクしてくる。
面倒なことが起きれば「来なきゃよかった」と思うこともあるのが旅というものかもしれない。しかしこのワクワクを生み出してくれるのも旅の役割だ。
思った以上に気持ちが高まった私はホテルの駐車場付近で流し(スピードを上げて快調に走ること)まで行った。自分でも何をやっているのだろうとさえ思う。
シャワーを浴び、朝食を済ませ準備は万端。駐車場でガイドの到着を待つ。
シルバーの軽自動車が到着する。中に長く伸びた白髭のせいで、髪の毛と髭の境目が分からなくなっている老人の姿が。
「ハロー」
車から降りて挨拶を交わす。お互いが間違っていないか確認し、いざ出発。
細かいツアーのプランはないが、彼がおすすめする街を巡りながらノヴァスコシア州の海岸線をドライブすることにした。
こちらが観光客ということもあり、話すスピードはゆっくりめで、電話越しとは別人のように陽気でコミュニケーションをとるのも苦ではなかった。
町や州の歴史について説明してくれるが少し難しく私にはあまり理解はできない。そのことを察したのか私のことについて質問をしてくれるようになった。
しばらく何気ない会話が続き、海岸線の道路に出る。海は綺麗とは言い難いが、解放されたこの道路をドライブするのは気持ちがいい。
日本人が彼のツアーに参加したことはないようだが、この州に住む日本人の知り合いがいるそうだ。地元のメープルシロップ販売所で働いているといい、帰りに連れて行ってくれるという。
出発して1時間ほど経っただろうか。ようやく最初の目的地へと辿り着いた。
ルーネンバーグ市街地。世界遺産にも登録されている。
古い港町で木製の建物が並ぶ。黄色、ピンク、緑などカラフルな建物が多く、町中を歩くだけでも面白い。写真のベストスポットを教えてくれて町の反対側に位置する丘に連れてってくれた。
町全体が見渡せるいい眺めだ。一時期、カメラを趣味にしたいと考えいたこともあり、今をお蔵入りした一眼レフカメラを構えて写真を撮る。
気分はプロのカメラマン、腕前はど素人。
ハリファックスに戻る途中に海岸線の町を巡っていく。
小さな町を通り過ぎる際に雑貨屋が見えた。
「気になるかい」とガイドは聞いてくる。
雑貨集めが趣味ではないが、雑貨屋に入ると店主の趣味というか、その店の独自の世界観に入り込めるような気がして雑貨屋に立ち寄るのは好きだ。
中はこじんまりといていて広くはない。通路は狭く、うっかりすると物に当たって落としてしまいそうで気をつけないといけない。
そこにある一つ一つの物に魅力があるわけではないが、それら全体が調和して作り出す店の雰囲気は好きだ。
これは人生において何事にも言えるのかもしれない。有名な人、成功した人々の要因を知りたがるときには何か一つの出来事に注目をしがちで、一つだけでは取るにたらない決断、行動が積み重なった結果であることを忘れてしまう時がある。
速くなるためのランニングの練習もきっと似たようなものだ。一つの練習で大きな成果は得られない。それぞれがうまく調和した時に大きな成果となり、調和が取れなければ悲惨な結果ともなる。
おそらくこの雑貨屋も同じものを揃えても配置が違えばまた違う世界観を生み出すのだろう。
次の目的地は私がこの旅でどうしても訪れたかった場所だ。岬に立つ灯台。映画の「ハナミズキ」を観た時に出てきたシーンをみてどうしても訪れたくなった場所だ。
ガイドは上手く行き先をコーディネートしてくれた。
駐車した場所からは1kmほど歩いただろうか。次第に灯台の姿が大きくなっていく。
すぐそばにはギフトショップがあり、以前は郵便局だったという。
「パスポートを見せれば、スタンプを打ってもらえるぞ」
ガイドをそういうと店の中へ入り、店員に話しかけ要求する。
私はパスポートに記念のスタンプなんか打っていいのかと疑問に思う。あとで怒られるのではないか(誰かには定かではないが)と心配になるが、こういう時は決まって「せっかくだから」に後押しされ了承するものだ。
店を出て灯台の近くへと歩く。映画の中に入った気分でまさにノスタルジアを感じるとでもいうのか。内心かっこいいと思っていただろうが、客観的に思うとなんだか恥ずかしい人だ。
灯台を後にすると、最初に話してくれた日本人の知り合いが働くメープルシロップの店に寄ってくれた。
牧場というのだろうか、店の隣には広大な敷地が併設され色々と生産しているようだ。
中に入ると店員さんが笑顔で挨拶してくれる。ガイドの彼とは知り合いで親しげな様子だ。
どうやら知り合いに日本人の方は今日はお休みだそうで結局会うことはできなかった。
店員さんが従業員の写真を見せてくれた確かにそこには日本人であろう女性の姿が白人の集団の中に写っている。なんの面識もないが、こんなカナダの外れの田舎町で働く日本人がいることを知るのはよく分からないが励みになる。人知れず、目立つこともないが、自分のプロジェクトを全うする人々は世の中にたくさんいるのだと。この人の何を知っているんだと言われれば何もとしか答えられないが、ここは都合よく解釈しておく。もしかしたら嫌々来たのかも知れないので。
ついにツアーも終わりだ。気がつけば日も暮れかかりあっという間の時間だった。ガイドの彼には急な依頼にも関わらず了承してくれ、こちらの要望にも期待以上に応えてくれた。
彼はガイドの仕事そのものを楽しんでいるように感じた。おそらくその姿勢がこちらをも楽しませてくれたのだろう。
今になって思うことは運動指導の場でも共通のことのように思う。その日の練習に対するこちらの姿勢は相手にも影響するということだ。
振り返ると過去に経験したことが自然と今の自分の行いに少なからず影響しているのだと思う。そして今の自分の行動が過去に出会った誰かの行動と重なる部分に気づく瞬間が時々訪れる。
ガイドの彼はそんなこと考えていなかったのだろうが、自分の何気ない行動がまた別の誰かに少なからず影響を及ぼしていると考えると自分の選択、行動に責任を感じるようになる。
旅を行うことは自分で行動の選択をし、それに責任を持つ大切さを教えてくれたのだと思う。
数年後、今回の旅に対してこんな考えを抱く自分がいることを当時の私は想像すらしなかっただろう。中学1年生から19年続けている日記がある。当時の私がその日に残した数行の文は後に記憶を蘇らせる財産となる。過去を振り返りながら書いてみることで今の行動に繋がる原点があることを改めて発見できる。
書くことで自分の小さな進歩を実感できる。また一つ喜びの沸点が下がった瞬間だ。