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上手な語り手とランニングの練習

母のほんわかな口調が突然低くゾッとするトーンへと変わる。今にも何かが起こることを予感させる。その話を聞く甥っ子や姪っ子、または知り合いの子供達はみんな夢中だ。
保育士として働いていたことも影響するのか、それとも性格によるのか、母の本の読み聞かせの上手さには感心する。
本だけでなく、ちょっとしたお話でもそうだ。内容が面白いというよりも、人の注意を惹き続ける語りの上手さにあると思う。

とある作家は、書くことで一番重要なのは好感を持てる語り手だという。物語の語り手の考え方やものの見方が魅力的なら何気ない場面でも聞き手はは問題ないそうだ。
逆に大きな事件や珍しい出来事でも語り手が退屈なら聞き手は苦痛だ。

相手を冒険に駆り立ててくれる上手な語り手。ランニングの指導する上で、相手がトレーニングを続ける上でも最も大切な要素なのかもしれない。

運動とトレーニングの違いについて説明する時にサザエさんとドラマの例えを使う時がある。一話完結型で楽しむのか、いくつかの一連の話で楽しむものかの違いだ。前者が運動で、後者がトレーニングである。
運動はその活動自体が目的で終わった後に得られる効果を求めるものだという。一つの話を楽しめたらそれでいいわけだ。
しかしトレーニングはある目的を達成するために、前回と今回、そして次回やることのそれぞれの活動に繋がりを持たせることが必要だ。
面白いドラマの全てのエピソードが面白いわけではない。単調な話もあれば、ハラハラ、ドキドキの話もある。しかし興味ある話を見てるだけでは全体像が掴めずドラマ自体を楽しむことはできない。アニメも同じだ。早くここの展開が終わってほしいと思ってもすっ飛ばすわけにはいかない。

ドラマやアニメの単調で少し焦ったい場面はトレーニングにもつきものだ。全ての練習が満足いく訳ではない。ここで大事なのは、どんな練習をやるのかでなく、どのように練習の流れを語るのかだと思う。
仮に同じ練習メニューの流れをやるとしても、コーチがどのように目的や意味を語ってくれるかでトレーニングの面白みは変わるものだ。
練習の終わりに次回ついて大まかに説明している時、相手はまるでドラマの次回予告を見ているかのような気分になっているだろうか。そんな思いが時々めぐる。

ランナーがよく聞かれる「走っていて楽しいですか?」という質問。これに対しての返答は実に難しい。正直いうと苦しくて辞めたいと思う時は度々ある。なのでシンプルに楽しいとは言い難い。
もちろん運動のように、日々のランニングを楽しんでいる人もいる。
長く何かを続けているとその行為そのものを楽しんでいるように思える。
しかしランニングという行為そのものよりも、ランニングを通して冒険に出かけることに楽しさがあるのではないだろうか。

冒険とは、日常とかけ離れた状況の中で、何らかの目的のために危険に満ちた体験の中に身を置くことである。

ウィキペディア


走る練習は時にかなり苦しい。まさに非日常の体験だ。そんな冒険に人を駆り立てるのは上手な語りの役目なのかもしれない。
この語り手は指導側の時もあれば、自分の中にいるもう一人の自分でもある。
トレーニングの知識、経験は大事なのはいうまでもない。しかし忘れがちになってしまう語り手の役目。
上手な語り手に冒険を導いてもらうと、一つの目的が終わった時、例えばマラソンを完走するなど、充実して楽しかったと思えるだろう。
ランニングの楽しみ方はサザエさんのように1話完結型、行為そのものを楽しむこともあれば、ドラマのように一連の流れを通して楽しむやり方もある。後者の場合には上手な語りが鍵になると思う。


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原口孝徳
日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。