見出し画像

ランニングで練習不足を感じる時

知り合いの誘いで駅伝を走りました。

約2年間ほど悩まれたアキレス腱痛も完治してスピードを上げて走ることに問題はなくなったものの、ペースを上げて心肺や筋肉に大きく負荷をかけるような練習はまだ始めてまもない状態です。

仲間と一緒に参加することに意義があり、私個人の走りが速いか遅いかは大した問題ではありません。なので今の力だとこのくらいだろうなという考えはあっても、「この記録で走りたい、区間は何番以内で」などといった目標があるわけでもありません。強いていうなら今の状態で全力で走れればいい、その結果今の状態を理解することが目標です。
それでも自然と頭をよぎる「まだ練習不足だな」という考え。
明確な目標を掲げた際に、それまでの練習が十分かどうかによって練習不足かどうかは判断されるものだと思います。
なので「今の力を出しきれればいい」という目標のはずなのに「練習不足」だと考えてしまうのはおかしな感じです。

そんな変な気持ちをやや抱えながらウォーミングアップを始めます。
中学生から社会人、中にはご高齢の方まで色んな年代の方がすでに軽いジョギングを始めています。その姿を見ると「この人たちと一緒に走るんだな。競争するんだな」という思いが緊張感をより高まらせます。
この緊張感には不安とワクワクが混ざっているのでしょう。久しぶりの感覚に少し嬉しさも込み上げてきます。
昨年11月にハーフマラソンを走ったものの、完走すればいいだけの前回と今回では、私自身の心構えが違うため同じレースでも(駅伝とロードレースという形式は違えど)大きく違ったものです。

徐々に近づくスタート時間。早く走りたい気持ちと本当に走るのかという気持ちのせめぎ合いも強くなります。
先頭のチームが通過。今か今かと待つ中、ついに私の番号が呼ばれ中継点へ。
襷をもらい、慌てずに右肩から左脇にかけて一息置いてからスピードを乗せていきます。

スタートして数百メートルも行かないうちに前のランナーを一人追い抜いたと思えば、後ろから来た高校生に抜かれ、そこからさらに数百メートル後にもう一人からも抜かれます。
ペースが違ったので後ろにつくことはできず、ここはマイペースを保つように心掛けます。
というものの当然抜かれるというのはいい気分ではありません。なんとか抵抗したいという気持ちもないわけではありません。

自分の走りのリズムを作るというとすごく抽象的で走っていない人には理解し難いことだと思います。外見からすぐに判断できるものでもありません。
心と身体の調和した状態というか、実際にどうかは別として、リズムよく走れてる状態とは現在のペースをすごく少ないエネルギーで走っているような感覚で、どこまで走っていけるような気さえします。苦しくないわけではないものの、快適なリズムが苦しさ、走る負荷を跳ね除けてくれているような気さえします。
リズムがいいと、苦しさの中に身を置くことが苦でないという矛盾した感覚でしょうか。
できるだけこのいいリズムに乗せることが力を出す上では欠かせないものでしょう。
しかし周りのランナーのペース、坂、風などリズムを乱す要因は多くあり、この「走りのリズムを作る」とは目に見えない難しい技術の一つです。
最後までリズムを作れずに走り終えることは多くあります。

走り始めて中間点を過ぎた頃でしょうか、徐々に呼吸が上がり、動きが乱れているような感じがします。練習を積んだランナーの強さとは「苦しい」を感じ始めてからペースを落とさず、強いては上げることができるところです。しかし練習を積んでいないと、この苦しさの入り口に踏み込むのを気持ちも身体も拒否してしまいます。
今回の私は後者の方です。
「あーもう無理だ」
そんな考えがよぎり始めればペースは落ち、リズムを作るどころではありません。

英語で「Strength」という言葉があります。単純に翻訳すると「強さ」となりますが、筋力的な強さを表すこともあれば、個人の強みなどを表すことにも使われます。
最近読んでいた本の中にアメリカ人女性のパワー競技者の「強さとは厳しい状況の中で個人がどう対応するか」という言葉がありました。
この強さとは日々の練習の中でしか身につけることができません。

余計な考えばかりがよぎり、苦しい中にじっと身を置くことができない自分。ちょっとづつ、「練習不足」の意味が紐解けていく感じがしました。

まだ余裕がありそうなのに踏み込めない。ラストスパートをかけようと思うがスピードが上がらない。そんな状態のまま、最後は後ろから来た2チームからギリギリ逃げ切って次の走者に襷を渡しました。

記録を見ると想定していたものと大きな差はありません。記録としての結果には悔しさはありません。抜かれた悔しさは多少ありますが、たいしたものでもありません。
しかしモヤモヤした気持ちは残ります。

着替えを済ませ、ゆっくり身体を落ち着かせるためにジョギングに向かいます。
その最中に徐々に走る前に感じた「練習不足」の意味がクリアになってきました。

特別な記録や順位を目指す上ことに対しての練習不足ではなく、「走りのリズムを作ること、苦しさに対処する能力、これらを通して普段は顔を出さない自分の強さに触れること」に対しての練習不足だったと思います。

今日の悔しさといっていいのか分かりませんが、残念に思う気持ちは今の自分は踏み込む力がなかったことだと思います。

だから次は練習をやって挑んでみようという意欲が沸くと思います。
学生の時と比べて誰かに勝ちたい、この記録を達成したいという気持ちがあるわけではありませんが、それでも走り続け、時にペースを上げた練習をする理由があるなら自分の強さに触れてみたいからだと思います。そのためには本気でやる必要があり、レースや記録を狙うのはそのための手段だと思います。

自分の強さと向き合うことは走りのタイムが速い、遅いの問題は関係ありません。ただしっかり練習を積んだ人にしか踏み込めない領域であり、分からない走る楽しさだと思います。
そのためには練習は必要かなと思いました。


いいなと思ったら応援しよう!

原口孝徳
日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。