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初対面の相手に自分の過去は関係なく、大事なのは第一印象です。

出っ歯の電波通信 vol.168

こんにちは。
山口です。

およそ1カ月ぶりのnoteの更新となります。
5月半ばまで燃えていたnoteの更新が
突然燃え尽きてしまい、
だらだらと書かずにnoteを傍観するだけに
なっておりました。

やると決めたらとことん最後まで
やりぬくことを自分と約束をし、
再度noteを書き始めたいと思います。

この1カ月の間、noteの更新もせず、
フォローしている方々の記事に
スキをすることもなかったにも関わらず、
フォロワーの方が一人も減っていないことに
とても感動しております。

年初に立てたnoteのフォロワー数を
200人突破するところも
あとわずかとなりました。
目標を上方修正し、
2022年でフォロワー数500人を目指して、
noteの更新を続けていきます。

さて、久しぶりに書く記事のテーマは
人間関係』について
書いていこうと思います。

人間関係

生きていく上で、
切手も切り離せない関係が
人間関係だと僕は思います。

恋愛や仕事、学校や家族など
どこのコミュニティにも
必ず『』は存在します。

ぼくは幼少期から、
親の仕事の都合のおかげで
転校を数回経験することができました。

ぼくは物心がつく前から
新しいコミュニティに一人で飛び込む
訓練を積んできました。

コミュニティに属するのであるならば
波風立てないのはもちろんの事、
良好な友好関係を築けるのであれば
築いていきたいと思っていました。

今回は、ぼくが転校、留学、転職を通じて学んだ
人間関係について書いていこうと思います。

幼少期

ぼくが一番最初に経験した転校は
小学校の入学と同時でした。

幼稚園の卒園を埼玉県で迎え、
小学校の入学式を福島県で迎えました。

幼稚園のサッカークラブに通っていた時は
同じクラブに通っていた友達とよく遊んでいたそうです。
家族ぐるみで仲が良かったような記憶があります。

また、埼玉県に住んでいた時は、
両親の祖父母の家が近かったこともあり、
お盆、正月は必ず祖父母の家に遊びに行っていました。

山口家は文化を重んじる家系らしく、
お盆もお正月などの行事ごとは
正確に行う家柄でした。

お正月なんかは、
親戚一同が一斉に集まります。
山口家の長男として初孫で迎えられたぼくは
親戚のみなさんにそれはもう
これでもかと言うほどにかわいがっていただきました。

その経験が生きていたのか、
自然と人の輪の中心にいることが気持ちよく、
とても社交的で明るい性格に育ちました。

なので幼稚園でもサッカークラブの友達や、
同じアパートに住んでいる年齢が近い友達や、
近所の友達など幅広く友達がいたような記憶があります。

幼少期の自分、恐るべしです。
近くで遊んでいたらみんな友達という認識でした。

そんな幼稚園を卒園し、
小学校の入学を控えたところへ
引っ越しの知らせが来たとき、
ぼくはそこまで驚きませんでした。

当時5歳のぼくには
そこまで理解が追い付きません。

住む場所が変わるということすら
良く知らずに引っ越しをしました。

ただ、やはり現実は
そう優しいものではなかったです。

小学校

小学校の時の入学式は
とても寂しい気持ちだったことを
この記事を書いていて思い出しました。

周りは知らない子供ばっかり。
しかもしゃべっている言葉は
今まで聞いてきた言葉と何か違う。

学校の行き帰りで
一緒になる友達がだれもいない。

今まで明るかった自分がウソのように
沈んでいくことが分かりました。

そんな時にぼくを救ってくれたのが
サッカークラブでした。

小学校で行われているサッカーチームに
1年生から入団しました。

当時1年生から入団しているのは
ぼくだけでしたが、
サッカーを通じて、
友達が徐々に増えていきました。

そして、親に紹介していただき、
そろばん塾に通うことになりました。

小学校1年生のぼくから見たそろばんは
車輪がたくさんついた車にしか見えませんでした。

ただ、そこのそろばん塾に同い年で
自分の家の近くに住んでいる子供が通っていたため、
塾でもそろばんを通じて友達ができました。

友達ができてからは、寂しいなんて気持ちは
あっという間にどこかへ消えてしまいました。

小学校の頃は
・足が速い
・勉強ができる
この2点さえ、上位をキープしていれば、
友達に困ることはありません。

そしてぼくが当時、
ドハマりしていたのが
『ゲーム』でした。

4歳か5歳の時に初めて買ってもらったのが
ポケットモンスターです。

ポケモンをきっかけにどんどん
ゲームにはまっていきました。

ゲームボーイ、
ゲームボーイカラー、
ゲームボーイアドバンス

と3つの機体をまたにかけました。

ぼくの友達は
ゲームボーイアドバンスSP
を持っており、ただそれだけが
とてもうらやましかったです。

当時はポケモンでいえば
ルビー・サファイア
他にはロックマンエグゼ
やり込んでおりました。

そして、おもちゃでいうと
ベイブレード
とても流行っていました。
スタジアムを持っている人が
勝ち組みたいな風潮がありました。

そしてカードゲームだと
遊戯王デュエルマスターズ
ポケモンカードをやっている人は
周りにはいなかったんですよね。

あと、ゲームセンターで
ムシキングなんかも当時は
大流行していました。

今振り返ってみると、
小学生の時の方が
とても多趣味だったなと思います。

それぞれの共通のゲームや遊びを通じて
友達が増えていき、
登下校も学校の中も休みの日も
毎日が楽しかったイメージです。

そんな小学生を5年間過ごし、
いよいよ次が最上級生というところで、
またもや、転校が決まりました。

さすがにこの時の転校は
親に駄々をこねました。
あと1年待ってくれと。

その願いはかなわず、
家族一緒に引っ越すことになりました。

小学校6年生に上がると同時に
福島県から青森県へ移りました。

小学校はまだ男女とも分け隔てなく
クラス全員友達という意識が高いため、
最初の方からすんなりと
クラスに馴染めたイメージです。

地域によって、挨拶、休み時間、
給食、登下校の過ごし方に違いはあれど、
すぐに仲良くなりました。

一番の戸惑いは
言葉でした。

青森の方言というのは
日本全国で比較してみても
群を抜いて分かりづらい方言の一種です。

東北の方言というのは
各地域によって個性があり、
小学生で転校生のぼくは
なるべく馬鹿にされないようにと
標準語を使って話したつもりが、
青森の方に『なんか訛っているね』と
笑われたときはかなりショックでした。

また、ぼくが転校した学校は
毎年6年生が「全国30人31脚」
に出場しており、
ぼくたちの代でも青森県予選に
参加することになりました。

結果は予選敗退でしたが、
小学生ならではの友情、団結力は
転校生である僕には
クラス全体と強制的に仲良くなる
とても良い機会となりました。

1年間通い、いよいよ卒業式です。
周りは号泣している友達が多く目立ちました。
担任の先生も4年生~6年生の3年間を
担任されたということもあり、
とても感動に包まれたクラスでした。

ぼくを除いては。

もちろん、感動しました。
がしかし、感極まるほどの熱量が
ぼくには感じられませんでした。
もしかしたら、泣くことを
恥ずかしがっていたのかもしれません。

1年間、最上級生として育った学び場を旅立つと、
次は新たな環境で一番下からです。

小学校6年から見る中学生というのは
大人そのものに見えました。

そして中学受験をせず、
近くの中学に行くことが決まっていたぼくは
とてもウハウハでした。

なぜなら学校と家がとても近いからです。
歩いて5分ほどの距離を
毎日自転車で通っていました。

そして、ぼくが通うことになった中学は
あろうことか市内でとても有名な
不良中学校だったのです。

すごい奇跡だと思います。
ただ、近くに住んでいるだけの
年の近い子供が集まって教育を受ける場所で
学力もばらつきがある中で、
なぜか分かりませんが、不良が集まるのです。

おそらく、小学校を卒業し反抗期を迎えた子供が
度を越して先生や生徒に反発することが
日常茶飯事だったため、
当たり前の基準がおかしくなっていたのかもしれません。

そんな学校で1年生はびくびくしながらも
たくましく生きていくしかありませんでした。

中学校はほかの小学校からも集まってくるため、
1学年が200人ほどの巨大中学校でした。

お昼は給食ではなくお弁当だったり、
髪を染めていたり、
タバコを吸っていたりと
荒れ放題の中学でしたが、
そんな刺激が溢れる中学生活は
それはそれでとても楽しかったです。

部活動もサッカー部に入部し、
小学校時代にサッカーをやっていたメンバーが
ほとんど一緒で、先輩たちはかっこよく、
楽しい毎日でした。

中学生活がいよいよおもしろくなってくるぞ
というタイミングで引っ越しをする時が来ました。

青森県には2年しかおらず、
中学2年生に上がると同時に
群馬県へ引っ越しました。

この引っ越しのタイミングが
ぼくの人生において一番の暗黒時代でした。

中学校

思春期真っただ中でありながら、
中学2年生にもなると
すでに仲良しグループが形成されており、
転校性も最初の1週間はちやほやされますが
それ以降はだれも気に留めてくれません。

だいたい13、14歳ぐらいになると
学内のヒエラルキーはあらかた分かります。

ぼくは自分がどこの位置にいるか
明確に理解しました。

学内ヒエラルキーでいう最下層です。

初っ端の印象が悪かったのでしょう。
思いっきり出だしで転んだようです。

何事にも第一印象の影響は
とても大きいです。

当時のぼくには第一印象が与える
影響力の大きさを理解しておりませんでした。

しかも、ぼくが転校した中学には
サッカー部がないというではありませんか。

今どき、サッカー部がない学校も
あるもんなんですね。

ぼくは市のクラブチームに入りました。
そこでは同じ中学から通っている方もいましたが、
なんか仲良くなることができず、
こじらせた1年間を過ごしました。

クラブチームではサッカーの上手い下手で
付き合う友達が分かれます。
クラブチーム内でも1部2部と分かれるにあたり、
ぼくは2部でした。

クラブチームに馴染めない中で
さらなる追い打ちです。

暗黒の1年間を過ごし、
いよいよ高校受験を控えた
中学3年生に上がりました。

ここでぼくに転機が訪れました。

中学3年生に上がると同時に
クラス替えが行われました。

ぼくにとっては
どうでもいいなと思っていたところから
これがまた奇跡が起きたのです。

中学校では席の順番は
名字の五十音順でした。

ぼくは 山口 なので
もちろん最後尾です。

ただ、ぼくの後ろに
もう一人控えておりました。

その友達が 山崎くん 
この山崎くんこそ、ぼくの救世主です。

山崎くんは中学の中で1、2を争う
不良くんでした。
学校には午後からくるか、休みか。

ズボンのすそはビリビリ(腰パン)で
眉毛は家出中。
髪は茶色で、制服の内ポケットには煙草。

絵にかいたようなヤンキーですが、
ふつーにイケメンなんです。
高身長、バスケ部、イケメンで不良。

これが他校の女子からモテるんです。
当時付き合っていた彼女さんは
他校の学校1の美女でした。

そのイケメン不良の山崎くんが
ぼくの席の後ろだったのです。

これこそがぼくの奇跡でした。

たまにしか学校に来ませんが、
来たら来たで、
ぼくを茶化してきます。

これが周りにいい影響として伝播し、
3年生になり、山崎くんのおかげで
スクールカースト最下層から、
一気に最上層にまでランクアップしました。

もちろん、ぼくは不良という道は
怖くて歩んでおりません。

ただ、一緒にいる時間は
中学3年生だけで見ると
一番長かったように感じます。

おかげで、一気に友達が増えました。

友達が増えると
今まで通っていた学校の景色が
ガラッと変わります。

受験勉強を除いては
毎日が楽しかったです。

高校受験では
親の影響で大学を目指しやすい
進学校にしなさいとのことで、
一応県内の進学校と言われる高校に
入学することに成功しました。

ここで抑えておきたい情報として、
群馬県内の進学校と呼ばれる学校の9割が
男子校・女子高ということです。

高校

ぼくが3年間通った高校は男子校でした。
中学生までドラマで見ていた
華やかできゃぴきゃぴが溢れる、
JKという神々しい生き物が存在する青春学生生活とは
幻想であると言わんばかりの
汗臭い、男男した学校でした。

男子校における人間関係ですが、
そこまで気負いすることはありません。
なぜなら周りの目を気にする対象がいないので
すぐにみんなと仲良くなれます。

異性がいたら、もしかしたら
こんなにうまく友達はできなかったと思います。
男だけの環境に身を置くことで
男性と仲良くなる術を3年間、みっちり学びました。

男子校で学んだ、
男と仲良くなるキーポイントは下ネタです。

下ネタは全国共通言語であり、
一瞬で絆を深めることができる
最終奥義です。

高校で男とがっつり仲良くなる術を学んだぼくは
大学に進学します。

大学では、大学デビューをするんだと
胸に秘めて受験をし、滑りに滑って、
なんとかぎりぎりで合格した
私立の理系大学に進学します。

大学

私立の理系大学。
大学デビューを胸に秘めていたぼくにとって、
肩透かしのような男ばかりの大学です。

男子校とほとんど変わらない生活。
教室にぽつぽつといる女性に
神々しささえ感じるほどに
頭の中はおサルさんでした。

18歳にもなり、
同じ環境に身を投じていると
共感できることが多いため、
自然と友達ができていきました。

1年生、2年生はキャンパスが
八王子にあったのですが、
私立の理系という多額の学費がかかることを理由に
親から一人暮らしはさせない
と言いつけられておりました。

じゃあどうするか。

ぼくは群馬から八王子まで
片道3時間をかけて通学をしておりました。

これも今となってはいいネタでしたが、
当時はこの通学時間が理由で、
終電が早く、サークルにも入ることができず、
授業が終わり次第、すぐに家に帰っておりました。

すぐ近くの友達の家に
転がり込むようになったのは
1年生の冬頃です。

大学生になって、人間関係の作り方に
大きく変化がありました。

幼少期:全員友達
小学校:クラス全員友達
中学校:不良が友達
高校:男って簡単
大学:おもしろいと友達

今までは、ただ何となく周りにいる人たちが
友達という感じでしたが、
大学に入ると講義はバラバラ、
席順もバラバラ、
いつも一緒にいるメンツもバラバラになることが多い
となると、友達になりたいと思うのは
一瞬のチャンスを笑いに変えることができる
おもしろい人でした。

印象としても強く残りますし、
そこからすれ違いざまにあいさつを交わすことで
より広いコミュニティへと混ざることができました。

ぼく自身はおもしろくなかったかもしれませんが、
一緒にいて居心地の良いバカ騒ぎができる
友達には恵まれました。

そして、大学3年生に再びの転機が訪れます。

留学

ぼくは大学3年生の9月から1月までの5か月間を
イギリスのホームステイで過ごしました。

大学側の初の試みである留学プログラムの
1期生としてイギリスに行きました。

ぼくは授業の中で『英語』の科目が
異常なまでに苦手でした。

文法、発音、語彙
全てにおいて苦手意識がありながらも、
何とかなるでしょ、おもしろそうという
興味本位で留学を決意しました。

ホームステイですので、
もちろん会話は英語です。

ここでの人間関係が一番良い経験になりました。
どうにかして自分の意思を伝えたいという思いは
どのような形であれ、相手に伝わります。

それと比べたら、日本語なんて
とても簡単です。
相手に想いを伝えられます。
言うか、言わないかは本人次第です。

留学の経験を糧にぼくは大学を卒業し、
社会人になりました。

社会人になってからのお話はまた次回、
書くことにします。

終わりに

学生時代の人間関係は
上述したように

幼少期:全員友達
小学校:クラス全員友達
中学校:不良が友達
高校:男って簡単
大学:おもしろいと友達

このような感覚でした。

ただし、共通して大事なことは、
・共感できるもの
・第一印象

この2つが大事であると思います。

初対面の相手が
怒っているのか、悲しんでいるのか、笑顔なのかで
相手に与える印象は大きく変わります。

また会いたい、話したい、
仲良くなりたいと思われるのは
圧倒的に笑顔のときでした。

初対面の相手に自分の過去は
関係ありません。

これからの自分で勝負することが
大事なのだと気が付きました。

社会人ではさらにもう一歩踏み込んだ
人間関係についてぼくの体験談を
書いていこうと思います。

それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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