【Interview】 2021年 number twoが見つけた歩幅と速度
10年前まだ僕たちが大阪に住んでいる時、初めて東京でライブを見て衝撃を受けGtのうしくんに自分たちのDEMO音源を渡した時から、知り合ったパンクバンドがnumber twoだった。今現在、東京に住み、好きなパンクバンドは誰かと聞かれると迷わずこのバンドの名前が出てくる。あーライブが見たい。そんな時にあのバンドは今月ライブないな。とか活動今はしていないとか。そんな悩みはこのバンドを見たい時には不必要だ。いつでも東京の街を中心にライブハウスを鳴らし、気持ち良い帰り道を作ってくれる。そして明日に繋げてくれる。ひと時も活動を止めず彼らは今年で15年目を迎えた。それと同時に今年2021年6月26日に”I WAS HERE”という7inch EPを自主レーベルDEMOS GRIT RECORDSからリリース。この作品がとても素晴らしく、2021年の中で一番良く聞いた作品だ。そんな作品を身近な友達が出してくれることにとても感謝し、彼らや音源のことをもっと知ってみたい。そんなシンプルな動機から、今回のインタビューとイベントに至った。色んなライブハウスで会い、現場で会い続けて来た。一緒にライブを出来ること、好きなバンドのライブを見れること、それは今生きている僕たちの特権だと思う。number twoの結成から今に至るまで、今年リリースの7inch EPのことを聞いてみた。メンバー全員と現在number twoでサポートベースを弾いている瀬戸くん(FEW)にも参加をしてもらった。2020年コロナ禍を通過し、彼らはメンバーとあれこれと話し、音を出し合いながら、それぞれの生活をしながら、これからもそれぞれのnumber twoへの愛を持ちながら、また今日も過ごしている。その愛と優しさが音になりきっと背中を押してくれるだろう。
インタビュー・編集 Captain Ryosuke
インタビュー収録日 2021年11月29日 ビデオ通話にて
[number two結成]
―まずバンドの結成は何年ですか?軽く結成の経緯について教えてください。
うし(gt.cho) 以下 うし : 結成は2005年ぐらいなんだけど・・・
イチゲ(dr) 以下 イチゲ : 2006年じゃない?
うし : 6か。
イチゲ : 2005年に俺が大学入学してからTennesy Girlが始まって、一年で解散してすぐnumber two始めたから。
うし : そっか、2006年ですね。
―Tennesy Girlのメンバーはうし君とイチゲさん?
うし : とジュニ君(vo)
―その時はまだケイゴさんはいなかった?
うし : うん。そうだね。Tennesy Girlの時は俺がボーカルでジュニくんがギターだった。Tennesy Girlも5人でやってたんだけど、他の二人が別のバンドを始めるので抜けるとなって、うちら3 人は別でバンドを組んで続けようと話していたら、ジュニ君がケイゴ(Ba)とタクロウ (gt)を連れてきた
―なるほど。ジュニアさんとケイゴさんの繋がりはなんだっったんですか?
ジュニア(vo) 以下 ジュニア : 高校時代に一緒にバンドやってたんだよね。
―ジュニアさんとケイゴさんは同い年ですか?
うし : そうだよ。
―僕もです。
セト(number two support bass ) 以下 セト : 俺も!
ジュニア : ケイゴとタクロウが双子でタクロウと俺が高校が同じだったんだよね。タクロウとずっとバンドやっててあるタイミングでケイゴともバンドを一緒にやり始めて、俺はその双子とバンドをやるのがずっといいなって思ってたんだよ。
―ではnumber twoは本当の家族がいるバンドですね。うしくんとジュニアさんが兄弟で、タクロウさんとケイゴさんが双子っていう。その中にうしくんの小学校からの同級生のイチゲさん。(タクロウさんは現在もnumber twoに籍は残っています。) タクロウさんはギターでケイゴさんは初めからべースだったんですか?
ジュニア : そう。
―そこで今のnumber twoのメンバーが全員揃ったと。そっから2006年にスタートしたんですね。結構これも知らない人多いと思うんで知れて嬉しいですね。
[グアイズとnumber two、瀬戸との出会い]
―それで僕が初めて出会ったのが2011年の新宿LOFTでのHALLOWEEN BALLでライブを見たんですけど、実はその時に買った音源をまだもっていて。
一同 : でたー!
うし : あの日のことはすごい覚えてるんだよ。キャプテンとひろしが話しかけてきてくれたんだよ。目をキラキラ輝かせた少年のような二人が。笑
―僕もよく覚えています。すごい衝撃的なライブでしたから。number twoが断トツでカッコ良かった。ちなみにこの前の音源は何かあるんですか?
うし : ある。確か一番初めの音源はMUMMIESのジャケを参考に絵を描いたジャケの音源だったと思う。
イチゲ : “Fucked Up”が一曲目のやつだよね。
ジュニア: そうだね。
うし : キャプテンがもってる音源から確か自分たちで録音し始めたはずだよ。
ーそういう情報が何も入ってなくて、1曲目が”We are having fun tonight”です。
ジュニア : タイゾウさん(現Does it float Dr.、Life is water band Key.)が録ってくれた音源を俺がマスタリングしたやつだっけ?
うし : あれは確か、ウーピーズというバンドと僕らの7inchのスプリットを当時レーベルやってた友人が出すって話があって、阿佐ヶ谷のスタジオで録ったんだと思う。
ジュニア : そうだ。あったあった!
うし : それがリリースされなくてこれを作ったんだよ。スタジオ名忘れてしまったけど。
イチゲ : この時確か音圧の話しをした気がする。
うし : アナログ用に作ってたからあんまり音圧かけられなくて、出来上がった音にもあんまり満足できてなくて、ジュニ君がそういうのを調整できたから、音圧をめちゃくちゃあげて、当時ある曲を新たに追加でジュニ君に録音してもらって、まとめて出しちゃおうって作ったやつだね。
―僕が買ったのは2011年なんですが、いつリリースしたか覚えてますか?
うし : 確かその年だったと思うよ。100枚も作ってないはず。名刺がわり的な感じで。
ジュニア : 自分たちでCD-Rに焼いたんだよね。
イチゲ : この後に一枚カセットも作ったよね。
うし : そうだね。片面がその7inchに入れるはずだった曲で、もう片面が新たにカセット用にタイゾウさん(Green Brew Studio)に録ってもらった音源だね。両面とも最後の曲だけジュニ君の録音した曲も入ってる。
―そうなんですね。僕らはその2011年に出会った後から上京まではあまり関わりはなくて。
うし : でもずっと覚えてたけどね。
―僕もです。
うし : 初めて会った(HALLOWEEN BALL)翌日に下北の駅に行ったら、キャプテンとひろしがいて、あ!昨日の奴だってなって。確か大阪から東京でライブするためにライブハウスに音源配りに来てたんだよね。それが印象的ですごい覚えてる。
―そうですね。小田急下北沢がまだ地上にあった時で、うし君が階段から降りてきたのをすごく覚えてます。昨日、初めてライブ見て、東京で話しかけた人とここでも会うなんてっていう。そんな運命的な初めての出会いでしたね。ちなみに、その時は瀬戸君はnumber twoと出会っているんですか?
セト : そうだね。俺はnumber twoと古い付き合いだと思う。
―その時瀬戸君はバンドをしていたんですか?
セト : 10年前だと確かA page of punkに入りたての頃だと思う。
ジュニア : Sensationsは?
セト : 確かその3年後かな。
イチゲ : Rockin' Wreckerで確かnumber twoと出会ってるよね。
セト : number twoが結成して割とすぐの段階で俺は見てるんだよね。
イチゲ : 二万電圧とかで対バンしてるよね。
セト : 2007年ぐらいの時って物販number twoなかったんだっけ?
うし : なかったと思うな。最初はただひたすらライブやって楽しかっただけだったから。でも、2007年だとちょうど最初のデモを売り始めたくらいの頃かも。
セト : もう前すぎてあんまり覚えてないけど、Tennesy Girlも見たことあるんだよな。
イチゲ : SHEEEEPSの企画のときかな?「僕と友達になってください」で (SHEEEEPS企画名)。
セト : あーあれか!その時はnumber twoのメンバー誰も知り合いじゃなくて、偶然友達のライブ見に行った時に出てたのがTennesy Girl。
―じゃあもう僕が2011年number twoと出会った時にはみんな出会っていたんですね。
一同:もうかなり仲良かったと思うよ。
セト : ジュニアと週5で呑んでたと思う。
うし : 瀬戸も下北でバイトしてたし、俺もイチゲも下北でバイトしてたから、みんなバイト終わりで呑んだりしてた。懐かしいね。
イチゲ : ケイゴだけ違う場所のお好み焼き屋でバイトしてたよね。
ケイゴ : 池尻だね。
―ケイゴさんも世田谷に住んでいたんですか?
ケイゴ : 目黒に住んでましたね。よく呑みに行きましたよ。
―スタジオも世田谷で?
ケイゴ : そうですね。三軒茶屋か下北沢でした。
―僕が出会った頃から、みんなもう出会っていて仲良くて、そっからこの関係位置でずっとバンドやってるってほんと素敵なことだと思います。
[フィジカル作品について]
―number twoの音源を遡って行ったんですが、僕が出会った時に買ったCDから中の紙が拘られていて、その時からフィジカルというものを意識していたんだなと思いました。今回のI WAS HEREの7inchのフィジカルも印刷の仕方や紙質、手触り、インナー全てがこだわり抜かれていて、さらに手作りでやっているのが伝わりました。作品を作る上でフィジカルに懸ける思いやこだわりがあれば教えてください。
ジュニア : これは全部兄貴だね。
うし: 音源のアートワークは僕がやることが多くて、思い返せばデモCDの時とか、最初は何もわからないから、とりあえず自分たちでやってみるしかないってとこから始まって、見様見真似で。手書きで絵を描いたり、写真を切り貼りしたり、コピー機でコピーしてそれを切ったり。1stアルバムのCDで初めて友人の力を借りながら業者に入稿した。表ジャケはケイゴにコラージュで作ってもらって。ケイゴがコラージュを作ってるのを見たことあって、それが良かったのを覚えていて。それでケイゴに頼んで。デジパックにしたんだけど、それは紙の手触りがすごい好きで、CDだけど、僕はずっとレコード好きだったから、プラケースよりも紙の方が手触りいいなってので選んでたかな最初は。ちなみに裏ジャケに写ってる旗は一銭五厘の旗(暮しの手帖社)っていう花森安治さんの本にすごく感銘を受けていて、実際にその旗もあって、それを自作して、多摩川の河川敷で拾った木の棒に括り付けて写真を撮ってもらった。その1stアルバムはジャケット違いで大澤くん(I HATE SMOKE RECORDS)がLPを作ってくれた。 それから、ずっとずっと今度は自分たちでレコード作りたかったけどお金ないし、CDを出して資金ができたらレコード作りたいなと思ってたけど、なかなかうまくいかず。それでGRASSROOTS NOISE(前作ep)作る時に、もうデジパックでは一度作ったし、デジパックは業者に頼まないと出来ないから。なんか違うもっとDIYな方法ないかなと思って、昔ブルーハーツの1stがダンボールジャケだったなと思って。僕らより前にNOWHERES ってバンドが形は違うけど、ダンボールジャケやってたりしてて、それもめちゃめちゃいいなーと思っていて、自分でやってみようと思った。そのくらいのタイミングでちょうどアメリカの TOXIC STATE RECORDSが、リリース作品のほとんどのジャケットをシルクスクリーンで作ってるのを知って。すごく良くて。でもシルクスクリーンは自分ではやったことなくて、スプレーペイントだったら、すぐ自分でもできるかもと思って、それでやってみた感じかな。手作りっていうのはこだわってるかもしれないけど、まぁ自然な流れで、お金をかけないようにっていうのが動機だったかな。色々やってみて、こっちのがしっくりくるなっていうのがあった。それで、試行錯誤で今回のフィジカルの作り方に最終的にたどり着いた感じ。今はサブスクとかもあるし、作った人の一手間がある方が、せっかく手に取ってくれる人にとって良いよなと思ってま す。
―自分が聞いてるとか、自分の近い周りのバンドとかにも影響を受けてそこから派生したと、その中で今回は Good Vibrationsから影響を受けたっていうのをnumber twoのHPで見たんですけど、影響を受けつつアイデア勝負ってのもあると思うけど、まずそのフィジカルの面でもすごく感銘を受けました。
うし : 僕が自分で実際に手にとって感動した物を自分で作ってみました。あとはもう、Good Viberationsの映画がすごく良かったのもあって。
―これ、やりたいってメンバーの皆さんは、実際に手にとってどうでしたか?
イチゲ : すごい良かった。
ジュニア : 良かったね。何がどういいか言葉にするのは難しいけど、兄貴が好きな物が詰まってて良いと思います。
イチゲ : 毎回牛山さんが良い提案してくれるから。
ジュニア : 提案から作るまで全部やってもらってるけどね。素晴らしいと思います。
イチゲ : 牛山さんが体験した感動ってのを、number twoでは形にしているからそれが自分たちをうならしてくれているのはありますね。
―うしくんがそのアイデアをバンドに提案して、それでみんなでやってみようと。
イチゲ : うん。やってみようというよりは、こうですっていうのを、1から10まで説明してくれるから、YESと言わざるを得ないというか納得できる。
うし : そんなことないじゃん。何パターンか作ってどっちが良い?ってのが今回はあったよ。
イチゲ : 直近の牛山さんが影響を受けてたものが割と反映されるので。
ジュニア : うちらもそれに刺激もらってるって感じです。
―なるほど。メンバーの中でもなかなか意見が出てこないときに、フィジカルやアイデアで刺激を与えているというのは、やっぱりバンドの中で大切なことですよね。自分が最近影響を受けた表現というもので共有できてるというか。それがメンバーにも伝わっている、伝えれられている。
うし : ケイゴにはまだ渡せていないんだけど・・・まだ会えてないんだもん。送る?
ケイゴ : 年末東京に帰る日で大丈夫ですよ。
―年末メンバーで会うんですか?
ケイゴ : 26日は間に合わないんですけど、、3が日までには会えると思います。
[“I WAS HERE” EP誕生]
―EPのタイトルが ”I WAS HERE” っていうタイトルなんですけどこれも牛山さんがつけたタイトルですか?
うし : そうです。僕が作った曲をそのままタイトルにしました。
―このタイトルにした、何か影響を受けたってのはありましたか?他に候補があったりだとか。
うし : 候補はなかったかな。タイトルに関してはこれ一択。
―さっきの話の流れで何かから影響を受けたとかのかなと思ってました。
うし : 2020年はみんな悩みながら、自粛で隔離されてひとりで自分と向き合うような時間になったと思うし、 一見ただ過ぎてしまった空白の時になりそうだけど、その中にもちゃんとそれぞれに生きた姿があるよな、ていうような事を思いながら作っていて。I WAS HEREという言葉は、ちょうどそういったことを考えてる時に、 ALL THE BRIGHT PLACESという映画を見て、そのなかで「墓石に名前以外に何か言葉を彫るとしたら何が 良い?」という問いに対して、「I WAS HERE」「わたしはここに存在した」と返答するシーンがあって、おぉ、これはピッタリかもしれないな、と思ったんだよね。そこから歌詞もすらすら書けた記憶がある。あとは、いろいろあるんだけど、その時ヘルプをやってくれていた山ちゃんがいる間に新しい曲を作りたいなと思っていたのもあるかな。
―この言葉は強いなと思ってて、HEREという言葉があるのに、過去形のWASを使ってる。過去形ってなんとなくマイナスなイメージが僕にはあるんですが、でもそれを忘れちゃいけない、忘れられないこの時期だからこそ、 それを踏まえてじゃあ次は,っていうポジティブな印象を受けた。シンプルな英語だからこその強さと柔軟さというか。 歌詞も、自分が望んだ一人ではなく、強制的に一人にされた。それでも結局一人だけど人のことを想像して、 真実を知ること。やっぱそれはすごく2020年のことについて体現されていると思います。 レコーディングに関してなんですが2020年はケイゴさんはもう名古屋に住んでたんですか?
ケイゴ : そうですね。
―録音は東京に集まってやったという感じ?
ジュニア : 2021年の年始。
うし : ケイゴが帰って来るタイミングで。
イチゲ : このEPの中の曲でI was hereだけはケイゴが名古屋に移住してからできた曲。
うし : コロナの中、ヘルプのメンバーを入れてライブをやりながら、色々考えてたことから実際に現場で見て体験したことが結構大きな要素になってるかな。
―この曲を初めてライブで聴いた時、イントロから名曲感があって、その時は歌詞も知らなかったんですが、かなりすごい曲だなと思いました。会場の空気が一気に変わった。 新曲にも鮮度があると思っていて、育って良くなる曲もあるけど、この曲は一刻も早くフィジカルで聞きたかっ たです。やっぱり今の時代の曲というか。
うし: number twoの中でもかなり早く音源になった曲かな。他にも新しい曲のストックはあるけどそれを飛びこえて音源にした。このEPの中でも一番新しい曲。
―今年リリースすることにすごく意志を感じました。これからnumber twoのライブの景色を重ねて行く中でまた成長していくってのもすごく楽しみです。EP全体の話に戻すと、前作GRASSROOTS NOISE以前の音源とGRASSROOTS NOISEと今回のEPで変化があるなと思いました。 現行感がすごく出たというか、もちろんそれ以前も現行で進んでるですが、音楽的にも音の作り方的にも、今の海外パンクの影響を感じられました。特に感じたのやっぱドラムの音で、タイトな締まったミックスも面白かった。根本は変わってないと思うんですけど、勢いだけではなく今を生きていることにしっかりと向き合っている、 色々見て、様々な角度から知ろうとしているパンクバンドっていうのがすごく伝わってきました。 うし君と現場で会い続けて話しているというのでキャッチしやすくはなっているのもあるけど、それも大切なことで。 アップデートして行く感覚を持ってバンドをやって行くのと、何も意識しないままバンドをやっているのでは全然違うなと思います。少し話はそれましたが、今までの作品は曲が速いまま、ライブのテンションのままのBPM( 曲の速度)で録音された感じがあったんですけど、今回はのEPはBPMが落ちていて、それは意識して録音したのですか?
うし : どうだったかな。僕以外の人どう思う?
イチゲ : ジュニ君ともこの前話したんだけど、ここ2.3年、BPM(曲の速さ)を考えて曲のグルーヴを出すようにしてる。昔は速いままそのまま音源にしていたんだけど、そこは変わってきてるとは思いますね。
うし : 一つ補足すると2019年から、今DORBERMENNてバンドやってる山ちゃんにヘルプをお願いした時に、ケイゴがいた頃の元々の速度じゃ弾けなかったのがあって。それで彼の弾けるところまでのスピードを、弾きやすい速度に合わせて。それをどう良く見せようかっていうのを元々のメンバー3人で探しながらやってみていて。そしたら自然とちょっと曲の速度が多分落ちたのかな。で、そうすることによってボーカルが歌いやすくなったのかもしれない。
ジュニア : ケイゴ居る時からちょっと(スピード)下げてくれって言ってたからね。
うし : そうだね。ケイゴは出来ちゃうから俺が走るとそのまま速くなる。
―バンドのバランス的にうしくんが走ってケイゴさんもそれについて行って、イチゲさんもついて行くみたいな。
イチゲ : だけど、Vocalのリズムに合わせるのを意識しながらってのもあるから、そこはバランス取りながらですね。
ジュニア : 録音に関してはBPMは意識はしていなかったけど、今の流れがあったから必然的にそういうリズムが 身体に染み付いてそうなったのかなと思います。
うし : ケイゴは録音のためにスタジオ入ったら、「遅っ!」って言ってたもんね。
イチゲ : 言ってた言ってた。
ケイゴ : そうでしたか?
ジュニア : 昔は、はえーはえーって言ってたのに。
ケイゴ : 昔は勢いでガァーとやってリズム刻んでテンポよくやるっていうのが多かったけど、今は曲が持ってるグルーヴを大切にしながら演奏して音として出そうっていうのが、言われてみればあるかもしれない。
―ケイゴさんが言ってるように曲が持ってる気持ち良いBPMがあると思うし、ジュニアさんが言ってるある程度スピードを落としてもらわないと歌えないというのも、自分のパート上良くわかります。やまちゃんがヘルプで入って自然にそうなってという流れもバンドが動き続けて来たからだと思うし、意図的にやっていた訳ではないけど、なんだかんだで、話し聞いたらみなさんやっぱりハモってますね。バンドだなー。 ちなみに瀬戸君がnumber twoで弾き始めたのはいつ頃ですか?
うし : 今年の3月からだね。せっちゃんが手伝ってくれるようになってから演奏に関しては、また少し変わった かな。
―録音は今回はジュニアさんがやったんですか?
ジュニア : そうですね。何なら今回もって感じですね。結構多いですよ。
うし : 1stアルバムからは全作品そうじゃない?
ジュニア : うん。
―音がいい意味で独特で聞いたことのない音像だったんですよね。レコードやサブスクで聴いたりもしたんですがミックスが両方全然音が違くて、それは意図的に?
ジュニア : そうですね。
―大変でしたか?
ジュニア : この音源は兄貴と俺で発狂するぐらい(ミックス)やりましたね。
―どれぐらいの期間ミックスやっていたんですか?
ジュニア : いやー長かったね、2ヶ月ぐらいかな。レコードのテストプレスも一度ミックスからやり直したから。
―何かわからなくなってきますもんね。録音はスタジオで?
ジュニア : 所謂レコスタではなく、普通に練習するためのリハーサルスタジオってやつですね。
―自分達でマイク立ててってところから?
ジュニア : そうですね。
―録音やミックスを今ジュニアさんがやってるって事なんですけど、何回も自分たちの音源を録る上で何か見つけたり、これはこうしたかったからこうしたみたいなところがあれば教えてください。
ジュニア : 今回ベースにDIを使ったり、とにかくクリアに録音できるようにしましたね。今までは勢い重視で音を潰せば何とかなるとぶっちゃけ思ってました。だけどそこを脱却したいから、今回は新しく機材を買ったり。そうは聞こえないかもしれないけど、とにかくクリアに録れるよう初めから意識していました。
―ありがとうございます。
このアルバムというかnumber twoの作品で僕は実はケイゴさんのベースラインがすごく好きで、歌を歌いやすいポイントみたいな所を突いて来ていて、その中で今回B面の1曲目”Patches of A Minor Log”はケイゴさんが作った曲ということなんですが、この曲の歌詞を調べていたんですが、結構難しい単語が多かったですが。
ケイゴ : まとまらない感じの歌詞なんです。とりとめのないことを一つの歌にしようとしないでそのまま思ったことを淡々と歌詞にしてみました。あんまりまとめようとすると、変になってしまうので。そのままがいいのかなっ て。
ジュニア : よりいい曲に聞こえてくるじゃん。
―そうですよね。メンバーはその歌詞の内容とかは話してないんですか?
ケイゴ : 何も。
うし : ケイゴが歌詞を送って来て、それを各々訳して、まぁ各々訳しているかわからないけど。僕の場合は訳して汲み取ってという感じかな。
―この曲の歌詞に ‘vetilator’人工呼吸器を外すということが書いてあって、コロナのことや身近で何かあったのかなという想像をしていました。
ケイゴ : この曲ができたのはコロナ以前なんです。
―お。そうなんですね。
ケイゴ : おじさんが居て、いとこのお父さん。その人が喘息持ちだったんです。年に数度しか会わないんですが、会うたびに咳をしていて。1年以上前に亡くなったんですが、それまでずっと人工呼吸器をつけていたんです。亡くなったのが見つかった時、自分で人工呼吸器を切っていたみたいなんです。 自分で人工呼吸器を切るってのはどういう気持ちなんだろうというのを歌にしてみた。他人じゃなくて親戚で、遠くもないけど、微妙な人間関係というか距離感の人だった。その人にこういうことがあって自分がどういう風に思うんだろうなってのを歌詞にしました。言葉にするのはすごく難しいけど。
―そうなんですね。サビの部分の歌詞で自分は2020年や周りの状況のことにリンクしているなと思っていました。
ケイゴ : この状況もあるし、何かを感じてくれたら嬉しいなという感じです。
―めちゃくちゃ感じました。Patches of A Minor Logすごくいい曲名ですね。
ケイゴ : LOGが日誌みたいな。Minor Logで大したことじゃないみたいな。Patchは当て布とか服とかにもつけるようなパッチ。そういう日誌をパッチに見立ててベタベタ貼ったらこの曲ができましたということです。
―さらにこの曲が好きになりました。
うし : ケイゴは聞いた人が受け取れるように受け取ってほしいと言っていて。だから、インナーに和訳載せていない理由の一つもそこにあるし。こういう経緯はあるけど、それだけじゃないから。色んな人の景色を重ねて、受け取ってもらって。
ケイゴ : そうですね、本当に。色んな自分の受け取り方で。
[number twoの現在の活動・それぞれの生活とnumber two]
―ありがとうございました。今このベースを実際ライブで弾いているのは瀬戸君でお二人は同い年で友達という関係で、お互いのことをどう見ていますか?
セト : 今まで話を聞いてて、キャプテンとおんなじように感じていることが多いと思う。単純にnumber twoのファンで沢山ライブハウスに行ってライブ見て、ケイゴのベースかっこいいなって思ってたから、弾いてて楽しいし、嬉しい!っていう感覚が結構あります。
イチゲ : 瀬戸はnumber twoの中でもI was here好きだもんね。ライブで1曲目にやったら余韻に浸りすぎて2曲目上手く入れなかったもんね。
セト : number twoを聞くことはあったけど、コピーすることってないから、実際にライブで弾くってなった時、ケイゴよく弾けてんなって実際に弾いてみてある。
―瀬戸君は元々ベーシストだったんですか?
セト : 厳密にいうと初めはギターを触ったけど、ベースを弾いてる時間の方が長い。
―あのベースラインを実際にケイゴさん以外の人がニュアンス出すのって難しいですよね。
セト : 聞いてみるのと弾いてみるので全然違うもんね。一見、単純っていう言葉は違うかもしれないけど、そこまで難しいことを連発してる訳ではないんだけど、あのなんていうか・・・かっこいいんだよね。
うし : せっちゃんはやっぱすごいよ。覚えも早いし、うまいよね。
ジュニア : ベースはいいからね 笑。
うし : 実は前にも一度手伝ってもらったこともあって。
セト : そうなんですよ。実は初めてではなくて。
うし : ケイゴが海外出張してる時にせっちゃんにやってもらってた時期があった。3ヶ月ぐらいかな。
―ケイゴさんが仕事の都合で名古屋に行ったのはいつだったんですか?
ケイゴ : 2019年の9月ですね。
うし : 何本かは名古屋にいながらライブもやったよね。元々は名古屋と東京でやってみようって感じだったから。
ケイゴ : コロナの状況になっちゃって中々動きが取りづらくなって、そこから山ちゃんやせっちゃんにお願いしたっていう経緯ですね。
―実は僕たちもドラムのゆっきーが三重に移住したんですよ。number twoの状況と近くてその状態で今やって行こうっていう感じなんですけど、ゆっきーが東京にライブとスタジオに来てっていう状況で、ただやっぱライブやスタジオのペースがどうしても減っていて。その中で初めはnumber twoはヘルプを入れての活動の仕方ではなかったんですよね?
うし : そうだね。初めはライブや練習が減ってもこの4人で続けようって話はした。
―そこからそのヘルプを入れてやろうってなった経緯は何だったんですか?
うし : ケイゴがコロナの状況で、仕事や家庭の都合で東京に来れなくなった。それでただ単に僕がライブ活動を止めたくなかったってのが大きいかも。それにみんな付き合ってくれてんのかなっていう。
ケイゴ : 個人的にも自分のせいでバンドが止まってしまうのは申し訳なくて、ヘルプしてもらいながら活動しているのはすごくありがたい。見ててすごい嬉しいですよ。
ジュニア : 俺も山ちゃんとせっちゃんには感謝しかないですね。動ける状態作ってもらえてるわけだから。それでケイゴが自分がやりたいのに、自分はいらないんじゃないかって思われるのは嫌だから、それがないんだったらこのやり方は良いと思ってます。まぁ待ってるけどねケイゴ。
―今まで活動を止めたことは15年間なしですか?
うし : 多分ないんじゃないかな。
ジュニア : ないね。
イチゲ : ないね。一応2,3ヶ月ライブが空いたことはあったけど。
ジュニア : レコーディングで半年ぐらい空いたりするバンドもあるけど、うちらはそれはない。
イチゲ : 一番ライブの間隔が空いたのが2,3ヶ月ぐらいだね。
―ケイゴさんが名古屋に行ったりだとか2019年から生活のリズムとかが色々変わってきたと思うんですけど、 やっぱりそんな中でもnumber twoっていうのが生活の中での一つ芯のような感じがこの話を聴きながら思いました。
ケイゴ : number twoはもちろんなんですけど、ライブとかバンドとかやってない時間が長くなってるんですけど、今はライブハウスとかも行けてなくて、東京に帰る時は行きたい。その分、バンドの音源聞いたりして、いろいろ思い出したりする。そんな時間は長く取ってるなって思います。なんと言うか、中心という自分の大切な一部であり続けてはいますね。引き続き。だからあんまり気持ち的には変わってないですね。コロナがどうとか、ライブができないってのはありますけど、自分の中で止まってる感覚はないですね。
―嬉しい言葉ですね。
セト : 俺はnumber twoのライブ止まったら寂しいなっていう。もちろんケイゴのライブは見たいんだけど。やっぱ、number twoのうしくん、イチゲくん、ジュニアが演奏してる姿見たいじゃん。
―瀬戸くんがいることでnumber twoのライブを見れることを僕も感謝してますよ。
セト : キャプテンと同じ目線に近いかな。
―瀬戸くんはFEWもやりながらでFEWも体力使うバンドだと思うんですけど、ある意味客観的な視点がすごくある人だなと話を聞いていて思ったんですが、だからこそnumber twoの中に飛び込んでいくことって勇気がいることだと思います。スタジオは瀬戸くんが入っているということなんですが、新曲もその状態で作っていますか?
うし : せっちゃんに協力してもらって作ってるよ。やまちゃんの時もそうだったけど、せっちゃんがいる number twoで曲を残したいとも思ってるし。
―現在進行形のバンドでどんどん進んでいく状況を見ていて、もう瀬戸くんは6人目のメンバーのように僕は写っていて、瀬戸くんのプレイが僕は好きだしサポートとはいえnumber twoに入った時にこれからに良い予感がしました。期待というか。 ファン目線っていう言葉が出て来ていますが、その中で曲を一緒に作ったりとか、バンドを前に進めていくっていうのはどういうモチベーションでやってるんですか?
セト : スタジオはファン目線はなくなっていると思う。そうじゃないと出来ない。でもスタジオ終わって、スタジオ出るとファンに戻ってるんだよね。次のスタジオで会えるの楽しみだなって。
イチゲ : にしては俺に当たり強くない?
セト : うん。そういうのも昔からみんな友達だから。みんなのこと知らなくて、ただのファンだったら飛び込むのってやっぱり無理で。そうじゃなくて古い友達だから出来てるし、やっぱnumber twoには止まって欲しくないから。
ジュニア : せっちゃんはファン目線て言葉使ってたけど、大元にうちらがせっちゃんにお願いしようとなったのは、 友達だし頼れるからっていうのでやってるし、ファンというよりは仲間というのでやってくれてるなと思う。
―今この画面にいる5人の信頼関係っていうのが長い時間かけて作られていたんだなーっていうのを感じて、 やっぱりそれってこうnumber twoっていうバンドがあるのと、人柄っていうのがすごいあるからこそ、瀬戸君とも出会っちゃってるし、元々このメンバーが出会ってるのも同級生友達から入ったけど、それが15年続くって凄いなぁ、と思ってて、この前打ち上げ参加させてもらった時も単純に仲良いなって思ったんですよ。その中で、うしくんの厳しさも垣間見える瞬間があって、喧嘩とかもめっちゃしそうな感じもしたんですけど、議論し合えるというか、一方的ではなく、お互いがキャッチボールをしながら意見を言い合える関係が未だに続いているのは羨ましい。僕はグアイズの活動が15年にはまだ満たないから、そこが未知なんですが。そんな関係の中で信頼してる瀬戸君が入って来てメンバーのバランスが変わったりすると思うんですけど、それがバンドに刺激になったりしていますよね。
うし : それは本当にそうだと思う。演奏する人が変わるとその人の癖とか特徴がわかって僕らも勉強になるし、ケイゴの良さも痛感した。それにケイゴがもしやめるってなったら、バンド名は変えると思うし、違うバンドとして始めると思う。ケイゴに限らずオリジナルのメンバーが抜けたら。
―話聞けば聞くほど、みんなnumber twoに対する愛が溢れてて、質問に少し戻ると生活の中でのnumber twoのことをイチゲさんとジュニアさんも聞かせてください。
イチゲ : 結婚して子供が出来て、生活が変わったのは確実にあるけど、number twoの活動の中での自分の気持ちのポジションってのは変わりはないかな。昔に比べるとライブが見に行けないってことにジレンマもありつつ。ただそれも含めてnumber twoの活動をして生活をする上で、2019年にケイゴが名古屋に行って、ヘルプで活動をして、このコロナの状況というのもあって、そのあたりの時期にバンドとの向き合い方を考えたら、昔から自分の中でのnumber twoのポジションは変わらないけど、充実度っていうのが、より今は上がってきてる。自分に使う時間が減ってはいて、number twoに使うその短い時間をどう楽しむかを考えるようになったか ら、そういう気持ちに繋がっているんだと思います。
―良いバンド!
うし : 一回、俺以外全員やめるってなった時期もあるけどね笑。死ぬ気で全員説得して止めたけど。俺も俺で突っ走って周りが見えない時期だった。
イチゲ : ライブをたくさんしたい時期に自分も結婚したりでそれが難しかったりで、いろんな思いがあって。
うし : それぞれの生活が変わって、バンドのことを1番に考えられずに足を引っ張るぐらいならやめた方が良いっていう選択をしてた時期。
ジュニア : 俺とイチゲとケイゴがね。
うし : 俺がやりたいやりたいってなって、それがみんなは出来ない出来ないってタイミングだった。そこで俺も色々考えて、このバンド無くなるの嫌だから、よく考えて。そしたら、やり方はいろいろあるよなって気付いて。こうやってやってみようって、少しづつ進めて来たのが今の形。今ヘルプでも活動を続けているのは、広い目で見ると例えば海外のパンクバンドだとライブの時だけヘルプを入れてやるのはざらにあることだし、遠くに住んでいるメンバーが居ても続いてるバンドは沢山あるから。オリジナルメンバーでライブやるっていうのが一番良いのは、もちろんそうだし、わかるけど、それで活動が止まって、バンドが無くなっちゃうよりも、こういうやり方もあるっていうのを自分たちで実践してみたいなってのが大きいかな。そのために、コンスタントに練習も入って、その都度のライブに向けてしっかり準備しながら、新しい曲も作ってる。
―すごくわかるな。そういう時期もあったんですよね。そういうのを乗り越えて来て今に繋がるわけですね。今この僕たちのバンドの状況でも踏まえて、今回の”ONE ON ONE”はすごく共鳴してますね。あるべきして開催される気がします。自分たちにとっても。最後ジュニアさん、生活の中でのnumber twoはどうですか?
ジュニア : number twoは生活の一部で、一生結婚出来ない彼女みたいな感じ笑。
一同 : ザワザワ・・・ちゃんと聞こう
ジュニア : バンドは結婚みたいにそういう誓いはできないけど一緒に楽しもうっていうことをして行きたい人達だと思う。それってさっきあったように自分が何かに気をつけていないと一瞬でいなくなっちゃう人たち。別れるなんて簡単だと思うから、彼女だったら。奥さんだったら結婚して難しくなるかもしんないけど。そういう誓いをしてないんだけど、お互いで想い合ってなんとかやって行ってる集団って感じです。
うし : なんか良いこと言ったっぽい。
セト : 活字で見ると面白いだろうなー。
うし : ケイゴが笑ってない。感動してるの?
ジュニア : こういうのもボーカルの役割なんじゃない。笑 バカにされても良いんだよ。笑
うし : 誰もバカにしてないよ。
―わかりやすい例えですよ。腑に落ちた部分もあります。 number twoの今のバンドの感じを今回のライブ前に少しでも伝えたいなと思ってたんでこういう話を聞けるの は、現行でヘルプをしている瀬戸君も居てくれて、すごく貴重でした。ありがとうございました。メンバーでこういう話することとかもあんまりないと思うんで。
セト : ケイゴの顔みれたのすごい嬉しい。
うし : 俺もだよ!
[EPのインナーイラスト、海外バンドとの関係]
―今回のEPのイラストについて聞きたいなと思います。ACCIDENTE(スペイン)のMikelbastardが描いてくれているんですが、 ブログでは軽く触れてたんですけど元々どういう出会いがあってこういう経緯に至ったのかって いうのを少し掘り下げて話してもらえたらなと。
うし : 元々はSKIZOPHRENIA!(津山)のyu君がACCIDENTEを日本に呼んでくれたのがきっかけで。僕が ACCIDENTEを好きなことをyu君とはその前から話していて、それがあって、たぶんそのツアーの1日を number twoでやって欲しいと言ってくれた。それで、ツアーの東京の1日目を下北沢BasementBar(2018年9 月13日)でやって彼らと出会ったのが始まり。その時にうちに泊まったり、その日を通していろんなコミュニケー ションをとって仲良くなったんだよ。あとは彼らのZINEも作ったりしたなぁ。それでスペインに戻ってから、彼がイラストをInstagramに上げはじめていて、絵を描いてるんだと思って見てたら、number twoについての絵を描いてくれていて、その絵に添えてあったコメントに、日本にnumber twoっていう良いパンクバンドがいるよって感じの事も書いてくれていて、それがむちゃくちゃ嬉しくて。次に音源作るんだったら、絵を描いて欲しいなと漠然と思ってた。それで、今回7inch作る時にジャケットは自分でやりたいことがあったから、せっかくだったら1曲 1曲に絵をつけて欲しいな、とお願いしたら、快諾してくれた。曲と歌詞を先に送って、自由に描いてみてくださいってお願いをしながら、曲の説明もして。そこから、漠然としすぎていたので、こういうのを連想しながら描いて欲しいというのを伝えたりはしたけど、基本的には任せて描いてもらいました。そうすると、すごく良い絵が送られてきた。曲の解釈を広げてくれるというか、景色を作ってくれた。
―僕もそう思います。絵が入ることによって曲の広がり方が変わった。すごく印象的だったのが漢字が” I was here” と” Thank” に入っていて、これも書いてくれたんですか?
うし : それも書いてくれたんだよ。こちらの注文ではなく自発的に。漢字これであってる?って送られてきて、 合ってるよって。
―しかも曲の核心を突いてる強いワードの部分を拾ってるなと思って。
”Thank”はジュニアさんが書いた曲なんですが、その内向的な部分も捉えていますよね。その中で、結局前を向こうってのがすごく大切な部分だと思うんですが、言語が違う中でMikelbastardがそれを捉えている想像力と、それが伝わる曲の強さもあるなと思 いました。ACCIDENTEもライブを見て、不器用だけどすごくそこに純粋さを感じてnumber twoと繋がったのも すごく納得いく。number twoは海外のツアーバンドとやることが多いような印象があるのですが、それってパ ンクが持つすごく良いコミニュティだと思います、その繋がりがバンドを続ければ続けるほど発展していって、 海外のバンドに対してそういうきっかけになったことがあったのですか?
うし : 今まで海外のバンドとできる機会はありがたいことに割とあったんだけど、意識的に変えたのは自分たちがアメリカツアー(2009年)に行ってからかな。その時にいろいろアテンドしてもらったりとか、ご飯を作っ てくれたりだとか、泊まる場所を用意してくれたりだとか。そういうことをしてもらった体験があって、これってバ ンドやっててすごい大切なことの一つだなっていうのを感じて。僕の中で。もちろん、そこでもてなしてくれた人達を自分たちで日本に呼びたいとも思ったし、自分がしてもらったことをしていきたいなって思ったのがでかいのかな。あと、純粋に海外ツアーバンドが来る時に、声かけてくれる人たちにも感謝してるし、そういう仲間がいることはありがたい。
―それはnumber twoの活動の中で大きいことだと思うし、僕はnumber twoを通してACCIDENTEも好きなバン ドになったんですよ。出会いから予想出来ない広がりができていて、それがnumber twoへの刺激になっているのも良いことですよね。歌詞が英語っていうのも要素の1つとしてあるのかもしれないですね。
うし : そこが伝わってるかは別として、英語で何故やるのかは、ケイゴの意見がすごく大きかった。俺は日本語でも良いかなって思ってたんだけど、ケイゴがどうせやるなら日本人以外にも伝えたいからって言ってたのが印象的だった。それが大きかったかな。
―メンバーからしっかり理由と意志を持った提案が出てきたのは響きますよね。 アメリカにツアーに行ってそういう感覚になるってのはすごくわかります。僕たちも日本でツアーに行くともてなし方がすごい嬉しくて、マジで至れり尽くせりで。その場所に行ってわかる事っていっぱいあって、個人的には number twoの活動ができる範囲でこの音源と今のライブを持ってツアーに行って欲しいなって思います。今のnumber twoのライブ見たら響く場所が沢山あると思うので。一緒に行きましょう。5人で一緒に行って欲しいですね。今ここにいる5人のバランスと信頼関係も見ていてそう思いました。ではそろそろ最後に” ONE ON ONE”に向けて何かあれば。
イチゲ : 今日のインタビューも含めて、その日が純粋にすごく楽しみです。
―うちのドラマーがイチゲに勝ちにいくと言っていました、宣戦布告ですね。
イチゲ : 勉強させてもらいます!
ジュニア : 全然イチゲ型作れてないじゃん。
イチゲ : いやでも、この前キャプテンとも少し話したけど” ONE ON ONE” て2マンだけど勝ち負けじゃなくて、一緒にやることで価値があると思うので、純粋にnumber twoとしてすごい良いライブしたいし、グアイズの良いライブも見たい。結局すごく楽しみ。” ONE ON ONE” だからと言って気合い入れすぎるって感じではなく。
ジュニア : でもドラム勝ちに行くって言われてんだよ。
イチゲ : ぶっつぶす!
ジュニア : 個人的にはグアイズとはまだそんなに仲良いって感じではなくて、兄貴と近いなっていう印象。その中でバンドとして呼んでもらって嬉しいです。何なら人となりを全然知らなかったし。キャプテンともこのイベントが 決まってからだし、他のメンバーもだし、こうやって良い機会をもらったので距離が縮まればなと思ってます。その上で、一緒にお客さんを楽しませれる日になればと思うのでよろしく お願いします!
セト : ジュニ君と同じ気持ちなんだけど、でも出来れば来た人がどっちかというと、number twoの方がかっこよかったねってライブをしたいですね。そういう気持ちです。よろしくお願いします。
うし : 僕はKillerpass, WETNAPの” ONE ON ONE”からDJや対談、ZINEにも寄稿させてもらったり、グアイズに関わる時間が長かったから、この日にかける気持ちはメンバーの誰よりもあると思う。僕たちも僕たちなりの活動を1年間やって来て、グアイズの活動の状況も知りながら、これからに繋がる良い一日になればと準備 をしながら向かっています。是非この日を見に来て欲しいです。
―ケイゴさんもこの日は来れないと思うんですが、何か最後にあればお願いします。
ケイゴ : 勝ち負けとかではないと思うんですが、2バンドでどれだけ良いイベントに出来るかっていう自分たちの勝負だと思うんで、頑張ってもらいたい。” ONE ON ONE”に出たかったなって思えるような思うようなイベントにしてもらいたいです。自分たちがまたそこで次のステップに繋がるような日になればと思います。
ジュニア : ケイゴうちらの上司みたい 笑
ケイゴ : 本当はライブに出たいけどね・・・
―本当に2022年に向かって行ける日になればですね。よろしくお願いします。