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歴史の評価を哲学的に考えてみる
特に近現代史において歴史の評価は常に問題となる。
これがユリウス・カエサル、ナポレオンや足利尊氏、織田信長などの古代・中世の人物や時代においては、現代の価値観に照らして評価されないために問題にはなりにくい(豊臣秀吉のように例外はある)が、近現代史の場合は今我々が生きる「現代」に繋がった時代。
今の国家、地域の成り立ちや存在意義に直結するので、それぞれの視点(価値観)によって大きく異なってしまい、特にかつて侵略された側とした側になった地域・国家同士では決して一致することはない。
1960年代に生まれた私の場合、教わった先生方の殆どが当時の政権や戦前日本をネガティブに評価する人たちが多かった(いわゆる進歩的知識人というやつです)ために、今では考えられないが、近現代史は「自虐史観」の権化そのものの教育。
当時の先生方には、非常に熱心に教えていただいたものの、まさに70・80年代の教育系労働組合の空気感をそのまま持ち込まれてしまった様。
当時はこんな感じ。
「アメリカは原爆を落として日本は大変な目にあった。だから核廃絶に向けて全世界が行動しなければならない」
「日本は中国を侵略して残虐行為をし、日本は大変なことを中国にしてしまった。だから日本は中国にずっと謝罪し続けなければいけない」
「ナチスドイツはユダヤ人を意図的に大量虐殺したので負けて当然だ。だからドイツは戦後もひたすら、ナチスドイツの過ちを様々な形で償い続けている」
ではなく、なぜこの様な歴史的事件が起きたのか?とその事実関係を最新の史料に基づき、継続的にアップデートしていく作業が必要。
「なぜアメリカは日本に原爆を落としたのか?なぜ核保有国は未だに核を保有し続けているし、保有する国が、戦後も中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮と立て続けに増えているのか?一方で南アフリカはなぜ核開発を中止したのか?」
「なぜ日本は中国を侵略したのか(中国は侵略されたのか?)?」
「なぜ日本は真珠湾を攻撃して米国を戦争することに至ったのか?」
「なぜナチスドイツはユダヤ人を大量虐殺したのか?そもそもドイツは民主主義だったのになぜナチスの様な独裁政権が生まれたのか?」
そして仮にどうしても価値観を持ち込みたいのであれば(私は反対ですが)、「当時のその地域」の価値観に鑑みて、どう評価されるべきか、が大事。単純に今の価値観に基づいて歴史上の人物や国家、時代を断罪すべきではない。
「ナポレオンにロシアを侵略するのはいけませんよ」と言って今の価値観をナポレオンに押しつけても意味がないし、日本史でいえば「新撰組はテロリスト集団そのものであり、そのリーダーたる近藤勇は、イスラム原理主義のビン・ラディンと何ら変わらない」という具合に今の価値観で歴史上の人物を評価しても説得力がない。
むしろ、そもそも「侵略」や「テロリスト」が「悪」となったのは一体いつの時代から?、と問うてみる。
価値観は立場や時代によって大きく変わるわけで、それは歴史においても一緒。
さてさて学校関係とは、すっかり縁がなくなってしまいましたが、今の歴史教育は一体どうなっているのでしょうか?
*スウェーデン王国 ストックホルム市 市庁舎より 旧市街ガムラスタン