#010「ポンジュノ全解説『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』『スノーピアサー』」(3/4)(音声/文字両対応)
#08~#11の4連続エピソードでは、某雑誌編集者の「池田さん」をお招きし、『イカゲーム』を発端に、現代映画作家の最高峰『ポン・ジュノ』の諸作品を取り上げていきます。
本エピソードでは『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』『スノーピアサー』をテーマに語り合います。
以下、音声の一部文字起こしです。
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1. 『グエムル-漢江の怪物-』-ブロックバスターながらミニマル、オフビートコメディながらサスペンス
深「『グエムル』公開の2年前、2004年に『三人三色』というオムニバス映画にポンジュノが参加していて、『インフルエンザ』という短編を発表しています。一人の社会人がホームレスになり、強盗に手を染めてしまうまでの行動を、街の監視カメラの映像を繋ぎ合わせるという形式で描写しています。ポンジュノは初期作品などにも見られるように、短編では自らの思想や感情を直接的に表現するという傾向があり、本作でも社会が抱える諸問題に対する怒り、暴力性が痛烈に描かれています。悪意や殺意がインフルエンザのように”伝染”していくという点では、ポンジュノがよくフェイバリット作品として挙げている黒沢清監督『CURE』と共通するものがあるかなと思います。」
池「モンスターパニックものというジャンルに振り切っているのかと思いきや、とても真摯な「家族映画」だなと(笑)まさに「家」制度を重んじる儒教的な価値観というか、お互い腹に一物を抱えながらも、娘の救出という一つの目標に向かって団結していくところは問答無用でアガりました。と同時に、ポンジュノらしい政治的な問題意識(アメリカの介入、デマの流布など)を匂わせながら、今まで以上に笑える箇所を盛り込んでいるという、凄く色々な観点から解釈できる映画だなと思いました。」
深「僕も初見の時に、作品内でパニック+脱出+ブラックコメディ+家族愛+アクションという複数のジャンルを行き来する目まぐるしさにクラクラしながら、こんな映画見たことない!と凄くカルチャーショックを受けました。改めて見返すと、それぞれのパートがとても高水準で成立している、圧倒的なバランス感にやられましたね。」
2. 『母なる証明』-巧みな画作りと緻密なストーリーライン、全てが噛み合ったポンジュノ最高傑作
池「これも衝撃的な映画でした。息子&母親同士の過剰な執着や、正義感に溢れているように見えた人の裏の顔などが見えた時などに戦慄を覚えるというか。」
深「警察や弁護士に頼らずに自分の手で真相を究明する、という主人公の視点で語られるので、単純にミステリー的な部分を楽しめると同時に、今言ったような叙述トリック的な側面、つまりこちら=観客側が植え付けられていた先入観のようなものが崩れた瞬間のおぞましさと気持ちよさは、まさに映画でしか味わえない感覚だと思います。母親の隠された一面が暴かれるシーンは、押見修造原作の漫画『血の轍』を連想しました。」
深「この作品を見返すと、上述の要素に加え、画作りの素晴らしさに改めて気づきました。母親の職場は暗闇に包まれていて、そこから向かいの通りで友人と遊んでいる息子を心配そうに見つめています。暗い場所から明るい場所を見つめるという構図は『殺人の追憶』と反転したものとも言えるかなと。」
池「息子が壁に立ちションをしている中、母親はそれを止めるでもなくスープのようなものを飲ませる、それを上から引きで撮った構図のおどろおどろしさは、あまりにも過保護すぎる=セクシャルな雰囲気さえ感じさせる親子同士の関係性を表しているとも解釈できて、なかなか頭から離れないシーンです。」
池「先程の話でも出てきた、儒教的な精神から見ると亡くなった被害者というのは糾弾される類の人間(身体を売っていたと噂される)だけど、自らを取り巻く生活環境、つまり貧困のために彼女はそれをやらざるを得なかったということも示唆されていて、そこは常にポンジュノが意識しているであろう問題意識にも繋がって来る部分ですよね。」
深「そうだと思います。最初と最後で繰り広げられる母親のダンスシーンは、そのどうしようもなさ、やり切れなさから来るものだと見ることもできますし、「行き着くところまで行ってしまった」ことへの不気味な余韻を残して終わるという点では、井筒和幸監督、ジャルジャル主演の大傑作『ヒーローショー』にも繋がるものがあるかなと。」
3. 『スノーピアサー』初の海外配給、ポンジュノ”らしさ”と”らしくなさ”の共存
深「これは各所で指摘されていることですが、ポンジュノがこだわってきた部分でもある「建物の上下で格差を表現する」メソッドを(文字通り)180度回転させ、「列車の前後」で貧富階級の差を描いた。この見せ方がまず画期的であり、話運びのドライブ間にも大きく寄与している部分ではないかと思います。」
池「冒頭で取り上げた『イカゲーム』と似て非なるところがあると思っていて、まず共通するところとしては、どうすればこの凝り固まった資本主義・新自由主義的な、弱者を搾取するシステムから脱却できるのか、というテーマにフォーカスしていること。また一方で、『イカゲーム』が下層階級同士の争いを描いていたのに対して、本作では明確に”貧者から富者へのカウンター”というより分かりやすいストーリー構造を設定している、ということが挙げられるかなと。」
池「これまでポンジュノは登場人物を一面的に描かないという特徴がある、ということを繰り返し述べてきましたが、本作における敵側、つまり上層階級側の人達は(それぞれシステムによる被害者という側面はあるが)基本的に”悪い奴”として描かれている(笑)、そこが他の一連作品と比べても良い意味で”軽い”雰囲気を漂わせていることに起因しているのかな。それぞれ滑稽なまでにデフォルメされたキャラクターや、作り込まれた列車のセットなどから”ウェス・アンダーソンみ”を感じ取ったりもしました。」
深「この列車を作り出したウィルフォードは、自分が神様であるかのように錯覚していて、他の人間のことを誰一人として信用していない。つまり、他者一人一人の人生に全く気を配ってないからこそ、気候変動の情勢、列車内部で起きる暴動に何の感情も動かされないという。現代政治でも問題となっている「逃げ切り世代」の象徴のような存在ということですね。ちなみに『パラサイト』の中でも、上層/下層階級における「大雨」が及ぼす影響の違いというものが痛烈に描かれていました。」