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中国の情報戦略〜「三戦」とは何か〜

はじめに

 上記の以前の記事では、「偽・誤情報」をテーマに偽・誤情報の有害性やそうした情報への対策の現在地及び今後の展望について解説した。そして、偽・誤情報に伴う問題が顕在化した背景としては情報化社会の進展が挙げられること、高度な情報化社会においては対策が一筋縄ではいかないことを指摘した。
 それに伴い近年では、偽・誤情報の有害性を相手国の安全保障に影響を与えるために利用する例が見られるようになっている。いわゆる「影響工作」である。影響工作とは、「情報を制御し、相手国の認識や判断を操作したり混乱させることで、自分たちに有利な状況を作り出す行動」を指す(山口信治、2023年)。その中でも、とりわけ注目を集めるようになったのが、中国の情報戦戦略、通称「三戦」である。
 そこで、今回の記事ではこの中国の「三戦」戦略とは何か、中国政府は「情報」の持つポテンシャルをどのように利用しているのかを解説する。ひいては、現代世界を取り巻く安全保障環境に対する理解を「情報」の観点から深めることを目的とする。


中国の「三戦」〜心理・認知領域における三つの戦略

百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり

(孫氏『孫氏兵法』謀攻篇)

 ビジネスやスポーツ、組織マネジメントなどの文脈であまりによく引用される上記の一節。つまり、実際に血を流した末に勝利を掴み取るのではなく、そもそも戦わずして所期の目的を達成することの方が余程重要である、と孫氏は説くのである。
 この孫氏の精神は2500年近くの時を超えて現代の中国の国家運営にも反映されている。その例が「三戦」である。
 「三戦」とは、2003年改正の中国人民解放軍政治工作条例(中国軍に関する法規)に記載された①「輿論戦」②「法律戦」③「心理戦」の三つの戦術を指し、「瓦解工作、反心理・反策反工作、軍事司法及び法律服務工作を展開する」ことを目的としている(なお、「反心理工作」とは「心理的攻撃への対抗措置」、「反策反工作」とは「敵の内部に入り込み密かに行う寝返り工作活動への対抗措置」、「法律服務工作」とは「法律に関する業務」を指す。)。
 『平成21年版防衛白書』及び『中国安全保障レポート2023』(防衛研究所)によれば:

  1. 「輿論戦」は、「輿論戦とは、中央軍事委員会の戦略的意図と作戦任務に基づき、輿論を武器とし、各種メディア手段と情報資源 を総合的に運用し、我が方の戦闘精神を鼓舞し、敵の情勢判断に影響を与え、敵の戦闘意思を 弱め、政治的主導権を奪って軍事勝利を収めるために有利な輿論環境を構築する闘争行動」と定義づけられる。つまり、中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を築き、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的とする。

  2. 「心理戦」は、「中央軍事委員会の戦略的意図と作戦任務に基づき、特定の情報やメディアを運用し、理性的な宣伝や威嚇、感情への働きかけを通じて、対象の心理およびその行為に影響を与え、政治、軍事闘争の目標実現を促進する作戦行動」と定義づけられる。つまり。敵の軍人およびそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする。

  3. 「法律戦」は、「中央軍事委員会の戦略的意図および作戦任務に基づき、法律を武器とし、法律威嚇、法律打撃、法律反撃、法律拘束、法律制裁、法律防護などの手段と方法を通じて、法理の優勢を勝ち取り、政治的主導権と軍事勝利を勝ち取るための闘争行動」と定義づけられる。これによって、中国の軍事行動に対する予想される国内外の反発に対処することを目的とする。

 以上を踏まえると、中国の「三戦」とは、自国の行動が正当なものないし理にかなったものであることを味方・敵・第三者にアピールしつつ、敵の戦意を削ぐことで、敵と拳を交えずに自国の利益を実現していくことを究極目標とする戦術なのである。


「三戦」の実施状況

 実はこの三戦というものを踏まえるのであれば、中国政府の行動の裏側にある意図の一旦を窺い知ることができる。
 例えば、2012年9月、中国国営の新華社通信は、尖閣諸島の魚釣島沖を航行する中国の巡視船の写真を掲載した上で、中国側が監視活動と法執行をした旨、英文記事にて全世界に発信した。こうすることで、中国が尖閣諸島において主権を行使しているという印象を世界に与えることができ、特に国際社会において尖閣諸島が中国領であることを支持する世論を醸成するのにつなげることができる。実際、海外の報道や論文では、尖閣諸島の日本名と中国名が「Senkaku / Diaoyu」というように併記されるようになってきている(もちろんそれをもってして、国際社会が中国の主張を受け入れたとされる訳ではないが。)。
 こうした心理・認知領域における闘争が最も顕著に顕れているのが、台湾に対する影響力工作である(『中国安全保障レポート2023』)。例えば、ロシアの侵略開始直後の例で言うならば、『人民日報』(※中国共産党中央委員会の機関誌)系列の『環球時報』紙は、それ以前のバイデン米大統領の「米国は、米軍をウクライナに派遣しない」旨の発言を引き合いに出した上で、「台湾独立派は米国に頼ることはできない」と報じ、台湾住民の不安を煽った。また、台湾最高峰の玉山を背景にして、H-6K 爆撃機が飛行しているかのような偽画像を人民解放軍が公表したといった、偽情報座画像の流布も行われていることが確認されている。
 これらの影響工作を通じて、中国は台湾の国民レベルで「台湾は中国の一部であり、統一されるべきである」との認識を植え付けようとしているとされている。究極的には、台湾の国民自身が「統一」を選ぶのであれば、中国は物理的な戦力を動員せずともその目的を達成することができる。孫氏の「戦わずして勝つ」の精神がよく顕れている。


中国の情報戦とその行末

 中国の影響力工作によるものと見られる情報の錯綜やそれに伴う混乱の例を挙げれば枚挙にいとまが無い。それは、中国という国家が、その国家運営の手段としての「情報戦」を重要視しているからであり、「三戦」という戦略にその精神はよく顕れている。
 余談にはなるが、米国のシンクタンク、RAND研究所よりこの「三戦」についての興味深い論考が発表されている。筆者のウェイロン・コンによれば、中国のこれまでの情報操作が過剰なナショナリズムを煽ってしまった結果、日本人や外国人への物理的な被害が発生し、それによって国際社会からの反発が増大しており、ひいては中国の「三戦」戦略(特に輿論戦)の有効性が損なわれているのである。先日も邦人が被害者となった痛ましい事件が発生してしまったが、このようなことが続くようでは、中国の情報戦戦略もその効果を減退させていくだろう。
 とはいえ、現代社会において「情報戦」がキーワードとなり続けることには変わりないし、影響工作を通じた負の影響が直ちになくなる訳でもない。日本においてもこの「情報戦」を乗り越えていくための議論をより活発化させていく必要がある。

※本サイトに掲載された記事の内容や意見は、著者の個人的見解であり、Guardian Tech Labの公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

参考資料

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