何がしたかったんだ。
2021年1月。
例年は家族と過ごすお正月だった。
しかし、2021年1月は自分を変えたいがために、敢えて静岡には帰省せず、広島で生活し続けながら就活をしていた。
今振り返れば、1月は就活をすることだけで精一杯だった。
偶に国際協力のイベントに参加したりはしていたが、やりたいことって何かを見失い、途方に暮れていた。
2月,3月と就活をしていくなかで、
『自分って何のために働きたいのか』
この答えが見えず、ただ毎日を生きていた自分がいた。
しかし、オンラインでの就活イベントやオンラインでの座談会、様々な企業や法人を見ていくなかで
モヤモヤしていた悩みが薄れてきた。
僕は生まれつき右目が見えないハンディを抱えながらも,中学生の時に出会った英語の先生の影響を受けて、国際関係の仕事に就きたいと思っており,その思いは今も変わっていない。
一般的な人と比べたら、障碍者だと認識されるかもしれないが、僕には、そのような自覚はない。
寧ろ,今まで通り、普通に生活している。
そんな僕が、国際協力師としてアフリカで活動したいと本気で思うようになったのは、山本敏晴さんの著書『国際協力師になるために』という本を読んだことがきっかけだ。
静岡から広島に進学し、学内外問わず、学生団体を立ち上げ、活動している大学生や飲食店を営む個人事業主、その他諸々と様々な人と出会ってきた。
僕よりも、みんなのほうが桁が違うほど凄い。
僕は、オーストラリア、アメリカ、カンボジアの3カ国と、チャンギ空港に行ったことがあるので、一応シンガポールも含めて3.5カ国の海外渡航歴、国内では33都府県、旅行したことがあり、ボランティアでは福祉施設でのボランティアや、中田島砂丘の堆砂垣ボランティア、広島県総合県立体育館での健康補助ボランティア、地元のクリーン作戦ぐらいしか活動というものはしたことがない。勿論、これ以外にも
高校時代にはパソコン部の部長、友愛部の部長など、出来るか分からないけれど責任感ある仕事は沢山挑戦し、失敗もしてきた。
でも、まだまだ物足りなさを感じる。
このコロナ禍においての最後の学生生活
7月から、また自己史に刻む新たな挑戦をしていきたい。
幼い頃に助けてくれた方々のために、
『誰かの命を助けるために生きる』
こう強く抱いている友人の信念のように
僕も、幼い頃に、最善の治療をしてくれた眼科医さんのように、『誰かの命を助けるために生きる』
医者にはなれなくても
生きる希望を与えられる、そんな1人の人間として
これから頑張っていきたいと。
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