悲しみと幸せは同居する。
悲しいからって幸せじゃないわけじゃないから。
悲しいことが幸せなんじゃなく、悲しみは悲しみで、でもそれで不幸って他人に、まして自分に決めつけられるいわれはない。
悲しくて不幸なことはある。それを否定したいんじゃ全くない。驚くことに、悲しくても幸せでいることもある。それだけは表明したい。
他人の悲しみに気づけたとき、他人のしんどいことを肩代わりできたとき、美談とか美化じゃなく純粋に俺は幸せになる。ただの脳機能の働きの結果で、でも事実だ。
その時確かに悲しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいで、でもその悲しみに気づいて万一のことを食い止められたことに安心するし、俺は俺のことを誰よりもわかってるから、絶対に大丈夫で余裕がある俺の方にそれが降ってきてくれたことは心底ホッとするし、少しでも力になれたことが嬉しい。だから俺は悲しくて幸せだ。そういう生き方は確かにある。誰も否定できない、ただの事実だ。