エヴァンゲリオン
時に、西暦1996年
「なあ崗君、エヴァンゲリオンって知ってる?」
部活に向かう途中でF君に声をかけられた。それが全ての始まりだった。
新世紀エヴァンゲリオン。
1995年秋アニメとしてテレビ東京にて放送された、あの「不思議の海のナディア」を作ったガイナックスのアニメ。僕は当時読んでいたエロゲ雑誌のアニメコーナーでその存在を知っていた。(ニュータイプとかアニメージュなんかで情報を集め始めたのは、何故かそこからもう少し後)
「なんか面白そうな感じではあるけど、テレ東だし、ビデオ版待つのもなあ…」
「あ、興味ある?実はさ、従兄弟が録画してたビデオテープあるんだけど…」
F君は耳打ちをした。
90年代。まだまだアニメオタクは人権などなく、休憩時間にクラスの隅でこそこそ話す、若しくは何も語らず自分の中だけで完結させなければならなかった。F君はバカクラス在籍の僕と反対に位置する進学エリートコース。教師に聞かれても大事になるので、一層そんな話は憚られるのだ。
F君とは1年のころからアニメ話のできる友達で、こうしてこっそり情報交換していたのだ。
「観たかったら貸すよ」
「観たい借りる!」
被せるように僕は食いついた
3倍速で録画されたVHSテープ。入っているのは拾参話まで。
バカクラスとはいえ、親に金を出してもらって高校に行っている身であり、アニメなんて子供の観るもんだと窘められていた僕は、家族の寝静まった深夜、まるでアダルトビデオを観るように居間へ忍び入るとVHSテープをデッキへ挿入した。
OPは衝撃的だった。情報量が多い。普通のアニメーションなら尺稼ぎがあっても良さそうな1分半強。フラッシュバックで繰り広げられる作品に関係するであろうキャラクターや記号。紫色のエヴァ初号機が両手を広げた時、僕は時間の感覚を狂わせていた。
こんなにも体感時間の長いOPは味わった事がなかった。
そんな長く感じる情報の詰め合わせが終わり、いよいよ本編。これもまた衝撃である。主人公の碇シンジ同様「何が起きているのかが分からない」状態でストーリーが進んでいく。飛び交うミサイル、付近での爆発。そして謎の巨大な何か。しかもそいつは何だか凄い爆弾でも倒れず、回復まで始める。
敵の脅威を散々思い知らされ、では肝心のエヴァはいつこいつと戦うのか。
刮目していたら、エヴァそのものが出てきたのは終盤も終盤。残り10分程度。葛藤した主人公が乗り込んだ後の発進は細かく、胸を躍らせるには充分であった。
第壱話はエヴァンゲリオン初号機が地上…敵とされる使徒の前に踊り出たカットで終わった。もうこれだけで、10代の僕はワクワクである。次を見たくて仕方がない。
EDと次回予告。CMを挟んで次。
…面白い!…次。…次。
それを繰り返しているうちに夜はふけ、僕は睡眠不足と高揚感を混ぜた頭で登校し、昼間は居眠りを決め込んだ。
新学期が始まってすぐF君から拾四話から最終話までの入ったテープを受け取り、また眠らない夜が始まった。作品にどっぷり浸った僕は英単語ひとつ覚えられない頭で台詞まで覚えてしまい、発する話題はエヴァ一色になっていった。
それでも本分は勉学である。
親にこれ以上心配をかけまいと大学に受かり、残りの日々を雪山でのアルバイトに精を出した。
そして卒業式。F君は僕に言った。
「今日から劇場版だねー」
卒業してしまうからか、最早耳打ちではなかった。
エヴァンゲリオン劇場版「DEATH & REBIRTH シト新生」
雑誌でその情報があったものの、近隣では上映の予定がなかった。
しかし数日後には遠くの地で一人暮らし。上映されてさえいれば好きに観られる。僕は漸くリアルタイムでエヴァに触れられることに歓喜した。
九州の1都市。
友達なんて出来るのかと心配していたが、たまたま挨拶して来た人に「グーテン・モーゲン」と返したら「お、エヴァやん」と返ってきた。そこから徐々に友達ができた。
肝心のエヴァ劇場版は4月半ばから公開。僕が入学してから数日だった。折角入ったサークルでプライベート飲みがあったのに断り、僕は駅前の映画館へ足を運んだ。
夕方の寂れた映画館に客は僕1人。
入れ替え制ではないので見放題だと思い、僕はその日の最終上映まで席を外さなかった。
魂のルフランがかかる度に感嘆のため息を吐き、すでに氷の溶けきったコーラを口に含んで再び椅子に深く腰をかけた。
その日から更にエヴァ熱は高まり、食費を削って浮いた殆どをエヴァのグッズ購入に充てた。
夏に結末を持ち越した劇場版の話題がある雑誌はなんでも買った。90分テープに好きなBGMを詰め込んでシンジの様にずっとイヤホンを耳にしていた。
夏の劇場版は流石に話題になっており、地方都市でも行列ができた。ぎゅうぎゅうに詰められた映画館の中、皆無言で観ていた。
終演後。始まる前にあれだけあーだこーだ考察をかましていた人々は、建物を出るまで本当に無言だった。
翌月のアニメ雑誌はもちろんエヴァの話題がトップ。見開きで新宿ミラノ座に並ぶファンの写真が掲載されており、僕は何故そこにいないのかと落ち込んだ。アニメの話をする友人はいても、そこにいて盛り上がれるという事に憧憬を抱いていた。
そうこうしているうちに、時間は流れ。僕はエヴァンゲリオンを引き摺ったまま歳を取ってしまった。シンジやレイどころか、シンジの父・ゲンドウに近い年齢である。
それでもこんな話を書くのは、ある種の呪縛か、はたまた思春期に受けたトラウマか。未だわからないままてまある。