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シン・エヴァンゲリオン劇場版:||【感想】:物語はいつも、物語の外とともにあると思う。

みてきましたー、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

よかったね。とってもよかった。

劇場を出て歩いたら、よく晴れたあったかい、うららかな春の日でした。
桜がきれいに咲いていて、まるで卒業式の日みたいだなと思いました。
本当に、数十年も前に何回か経験して、もう二度と体感することはないだろうと思っていたあの卒業式の感覚に、体中が包まれました。
とても幸福な気持ちでした。卒業式というのはこんなにも幸せな日なんですね。若い頃には気づけなかった。

そういうわけで、シンエヴァを観た感想を書き連ねていきます。
例によって、私がただただ感じたことや、エヴァに関しての思い出なんかが主軸なので、考察なんかは特にありません。
ネタバレももちろんありますよ。
そしてなっがいよ。

観てからちょっと日が経っちゃったから忘れてる部分もあるなあ。認識とか使ってる用語もちょいちょい間違ってると思います。でもまあいいや。
まあいいやだけどでも映画はもう1回観ようと思います。

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最初のパリでのシーンはやっぱりカッコよかったですね。新劇場版はどれも最初の戦闘シーンからグッと心が掴まれます。それが嬉しいし楽しい。
ネルフの邪魔に対抗するマリとエヴァもとってもカッコいいし、メイン作業である「ニアサードの影響を限定範囲で人が住める環境にできるっぽい装置を起動」してるヴィレの皆さんもまたカッコいい。エヴァは昔から作業員のリアリティがグッときますよね。
「やばいですよこれやばいですよ」と言いながらそれでもやるしかない人たち。手を止めない人たち。どれだけ優秀でも、どれだけ才能があっても、そのぶんラクをさせてもらえない人たち。その苦労は私などには知るよしもないけど、やっぱはたからみててカッコいいもんはカッコいい。憧れます。

具体的にどのシーンだったか忘れちゃったんですけど、この「ネルフを倒す」というヴィレの最終目標というか決意表明がバン!とあらわれたところで私の涙腺はもう崩壊しました。
私はこないだのえいたその卒業公演からこちら、泣くのを少しも我慢しなくなってしまって、だから今回のエヴァももう泣きっぱなしだったんですよね。

第3村の描写も素敵でした。
そこをみてまず思い出したのは、5年前のスタジオカラーの10周年記念展です。
「大きなカブ」をみたときのこと。

庵野監督がご病気をされていたことをそこで初めて知りました。

それまでのんきに「早く次のエヴァの映画、公開しないかなあ」とただ請うているだけだった自分が恥ずかしくなりました。
庵野秀明という人はすごい才能の持ち主だから、今も昔も変わらずアニメを作るのが好きで、ガシガシ作っているに違いないと。そう思い込んでいました。

だからそのときから、ちょっと監督やエヴァに関する考えた変わったのを覚えています。
「次のエヴァは楽しみだけど、監督が作りたくないならもう作らなくていいと思う。私はみられなくてもかまわない。それでもエヴァが好きだし、がっかりしたりも別にしない。でももしかしたら監督は最後まで作りたいと思ってるかもしれないから、元気になったら思う存分作ってほしい。監督のしたいようにしてほしい」と。

「大きなカブ」の映像を、他のたくさんの知らない人たちと一緒にみながら、私はそう思っていました。そしてたぶん、このたくさんの知らない人たちも、そう考えてるんじゃないかなと根拠なく思いました。

鎌倉にお住まいになったのは知ってたけど、ご病気の療養のためにというのは存じ上げませんでした。
(おふたり同時に療養されたのか、それともどちらかおひと方なのか存じ上げないのですが…)
単に鎌倉の雰囲気が素敵だから、とかそういう理由じゃなくて、根本的に生きることを考えていらっしゃった場所が鎌倉なんだなあと。

だから第3村の描写には、お二人にとっての鎌倉もきっと入ってるんじゃないかなあと。
オチビサンを見つけて、あ、やっぱりそういう意味も含まれているのかもなと思いました。
シュガシュガルーンもありましたね!私はシュガシュガルーン、最近になってようやく全巻読んで、その可愛らしさを改めて知って、そしてその魔法にかかったので、とっても嬉しかった。(あああバニラのピアスつけていけばよかったー!)

第3村。人々がもう一度、必死に生きていく場所。生きる意味を見つめ直しながら、自分たちを立て直す場所。

その中で、トウジとケンスケとヒカリが元気でいたのもとっても嬉しかった。

私はテレビシリーズの頃から、この3人がいつのまにかいなくなっていたのがちょっとさみしかったので。
彼らはアニメの役割でいえば「脇役」で、「エヴァに乗ることはない普通の人」だったけど、だからこそ哀しいエヴァの世界ではほの明るくて、安心できる人たちだったから。

「エヴァに乗らない普通の人」がここでは世界の主軸になっている。
それがすごく嬉しくて、心強くて、ここでまた涙が出ました。
アヤナミも可愛かったなあ…赤ちゃんが好きで世話するって…いい子じゃん…これ以上消えないでよ綾波…。

心が壊れたかのようなシンジくん。これもまた、胸に突き刺さりました。
「なんでみんなやさしいんだよ!」と慟哭するシンジくんに、心が痛くてまた泣きました。鬱病というものを体感として全然知らないけど、本当に本当につらいだろうなと。
彼に、エヴァから降りる気はもうないのは伝わっていました。「序」でエヴァに乗りたくなくて街をさまよった彼とはもう違う。それでもそれは、心が回復する手立てにはならないんだなあと。エヴァに乗るのと、生きるのとは、また別のことなんだなあと。エヴァに乗る意味は、もうすでにきっと彼の外にある。その意味が彼を外側から支えている。でもそれは、彼をふたたび立ちあがらせる彼自身の力とはもう別のものになったんだなと。そう思いました。

ここでのアスカもよかったですね。シンジの胸ぐらをつかんで食べ物を押し込む。シンジが何度でも立ち上がるのはもうわかってるから、死なさなきゃいい、と。なんだか別れた昔の奥さんみたいですね。彼のことを誰よりもわかってるし、自分が手荒に扱ったところで彼の行き着く先はやっぱりエヴァなことも知ってる。彼の足りないところも知ってる。ケンケンを見習えバカ!というのも可愛いですね。
新劇場版ではアスカは加持さんには興味ないわけですが、私的にはそのアスカのほうが好きです。レイよりもむしろ周りに溶け込もうとしない感じも好きでした。それだけに5号機(あれ?4号機だっけ?それすらあやふや…)でブシューとやられちゃったときは悲しかったなあ…しかし生きててくれてよかったよかった。
ケンケンがアスカを立て直してくれたっていうのもよかったなあ。「エヴァに乗らない普通の人」の強さをこういう形で出してくれたのが嬉しかった。

トウジの「エヴァに乗らんでもええんやで、シンジ」は、私がカラー10周年展で監督に想ったことと重なりました。
ヴンダーに乗らないことを選んだ人たちが船から降りてくる。戦いたくなければ戦わなくていい。

少し前なら、戦わない人たちは「敗者」でした。

話がそれますが。
ちょっと前に流行った「勝ち組」「負け組」という言葉が私は好きじゃありませんでした。今も。
これもちょっと前に誰かが言った、「いじめから逃げるのはよくない」というのもあんまり。
知らん人によくわからんリングに乗せられて、勝ち負けを決められて、リングから降りたら逃げと言われて。
勝ち負けが決まってるのはゲームの上だけで、ゲームをやりたい人だけ集って、そこのルールを全員が把握していて、そのルールに則って勝ったらおっしゃー!と喜んで負けたらうわ負けたーと笑えばいいだけのものです。
その概念を別にゲームじゃないところに持ち込むんじゃないよ、と思うわけです。

戦わなくていい。
「逃げちゃダメだ」って、自分に言い聞かせる必要はもうない。
使徒に倒されて死んで人類が滅亡したとしても、もはやそれは勝ち負けではない。

でもエヴァに乗るシンジ。
乗るんだな、それは何でだろう、この先の戦いに答えがあるのかな、と、
あらためてこの最後のエヴァに、ワクワクと期待が胸に満ちた瞬間でした。

そして加持リョウジくんがいますね。
一瞬、加持さんまで若返ったのかなと思いましたが、ミサトさんとのお子さんでした。おお、ミサトさんがお母さんになったのか!
でもリョウジくんはお母さんのことを知らない。なんでだろ、知らせてあげればいいのにとこの時点では思いましたが。

そしてヴンダーがさいごのたたかいに向かって出発するシーン。
誰もが生きて帰る気はないのがさみしかったですね。
でも、たったひとつの覚悟を皆が持って旅立つのには胸が震えました。ここでももちろんブワーッと泣きました。
ここまで感動させてもらったんだからもう最後がどうなろうとかまわないという気持ちでした。

アスカがちゃんと告白しましたね。おお、そんなシーンが!
でも14年経っちゃったのよ。うわあ切ないセリフ。身体は子どもだけど、もう二人とも大人ですね。
だけど恋心というのは何歳になってもいいもんです。気持ちを言葉で直接伝えるのも、いくつになってもいいもんです。好きだという言葉は魔法の言葉です。言われたほうも言ったほうも、あったかい気持ちが生まれて、そしてそれはしぶとく自分の胸のうちを燃やして、支えてくれるもんです。

しかしアスカの「エヴァのパチモンが邪魔すんなぁーーー!!」的に吠えたのはよかったですねー。笑いました。
詳しい事情はわからないですが、エヴァを作ったすべての人たち、そしてエヴァではないものを作らされたすべての人たちの叫びのような気がしました。
私までちょっとスカッとしました。なぜでしょう。本当に真意はわからないんですが。

しかしゲンドウ、キミだけはブレないなー!いやわかるけども、ユイだけが大好きな気持ちはわかるけども!ユイだけがいればいい気持ちもわかるけども!テレビアニメ版からずーーーっと宗旨一貫(誤字に非ず)してるの彼だけじゃないですかね。冬月も変わらないですけど、彼はちゃんと年をとりましたもんね。
そして迷わず銃をブッ放すりっちゃん。最高です。14年前ならいざ知らず、いつまでも不倫相手に心惑わせてらんないですよって感じが。

しかしミサトさんがヴンダーと共に玉砕したのは悲しかったなあ…。最後までマリが助けにいくもんだと期待してたんだけど。ずっとリョウジのそばに行きたかったんだね。
一緒にみにいったダンナはミサトさんが一人で死んじゃったのが納得できなかったらしく、「りっちゃんがやけにミサトさんに対して物わかりがいいのもなあ…」と唸ってましたけど、私としてはりっちゃんは、あの極限状態の世界でのミサトさんの出産や乳児期の育児をそばで見てたからこそもう何も言えなかったんじゃないかなあと。
ドラマなんかだと「男手ひとつ」「女手ひとつ」で育てあげた、なんて設定サラッとやりますけど、現実問題やっぱり最愛の人がしょっぱなからいない育児は厳しいもんだと思います。パートナーを最初から不要なものだとした人だってきっと大変です。
「産むんじゃなかった!要らなかった!」と力の限り叫ぶことだってあり得ますしね。もちろん子どもの立場からしたらそんな発言冗談じゃないし、さらにもちろん親だって基本虐待なんかしたくないし、マルトリートメントであることは充分わかっているけども、でも現実問題、子どもを育てるということは甘くない。「加持と一緒に行きたかった!」と絶叫するミサトさんを何度も見てきたんじゃないですかね。それ以上に苦しんだかもしれない。もしかしたらシンジくんよりもっとひどい状態になったことだってあるかもしれない。
それにミサトさんには軍人としての使命がある。それがやっぱりでかいですよね。どう考えても子どもを育てることと両立するのにはムリがあります。昔は使徒でしたけど、今の使命は人を殺すことなわけですし。というか前作を考えても、ネルフから独立したとき少なからず対人戦闘もしたでしょうし。
それでも加持くんがいれば二人でどうにかしようとしたかもしれないけど、それもできない以上、ミサトさんは母の自分を墓場まで持って行くしかなかったんじゃないでしょうかね。もうりっちゃんが口を出す出さないの問題じゃなくなっちゃいますね。りっちゃんだってそれでも「息子に会わせてあげたい」という想いは持ってたんじゃないかな。だからせめて自分は、「生きて伝える」ことを選んだんだと思います。私が子どもの立場だったら、やっぱり親の想いは知れるものならいつか知りたいです。ミサトが死の直前に口にした想いは、きっとりっちゃんも汲んでいると思います。
…ってまあ、解釈っていうより妄想ですけど、そういうのが自然と捗っちゃうのがやっぱりエヴァの魅力ですねー。

↑↑↑追記↑↑↑
(ここらへんのミサトについての感想、2回目をみたときにちょっと変わったので、また追記記事かこうかと思っています)

そうやって女の人たちが命をかけて戦い、男の人たちは対話をする。
ああ、今はそういう時代なんだなあと思いました。

ちなみに最近どっかで「そういう時代だ、ってくくられるのは嫌いだ」的な主張を目にしまして、ああ私も前はその言葉じたいは嫌いだったなあと思ったんですが。
でもなんていうかこうね、自分個人じゃ力の及ばない、しかしたしかに自分を含む世界中の人の営みから絶えず流れる大きな大きなうねりとその変化は、「そういう時代」としか言いあらわせないなーとも思いました。
まあ、私個人の問題に対して他人がその言葉で片付けてくるっていう図式は変わらず嫌いですけどね。それは「そういう時代」という言葉に限らず。

話がそれるなあ。

えーと、つまりラストバトルであるシンジくんとゲンドウのエヴァ戦は、物理的な戦いではなく対話になっていきますね。
「もうやめようよお父さん」という言葉は、破の「綾波を、返せ」ぐらい熱かったですね。本当にシンジくん、頼もしくなったなあ。強くなったなあ。
ゲンドウがまるで、旧劇のシンジくんのように心情を吐露していきます。そうだよね、子どもがそうなら親もそうなんだよね。だって親子なんだもん。同じものでできてるものが、同じように育てられたんだもん。

私はゲンドウの言葉を聞きながら、安野モヨコ先生の、安野光雅先生についての文章を思い出していました。故郷の景色が描かれた絵本を、庵野監督がお父様と一緒に眺めながら過ごされた日々のことを。

そういう日々があって、本当に本当によかったな、と思ったことを。

私は、家族が歪むことなんてごく当たり前で、歪んでいるという認識すらほとんどの人にはないという時代のおそらく最後のほうを、ガッツリと子どもとして過ごしました。
家族のなかで交わされる優しい言葉も、穏やかな時間も、おとぎ話の中の特別なことだと本気で思っていました。基本は揶揄や嘲り、ときに罵声が飛び交うものだとふつうに思っていました。それが愛情だと勘違いしていた節もありました。自分や家族がされていたことすら今では虐待と呼んでいいんだと驚いたほどです。
だから安野先生の個展図録「ANNORMAL」の中の「よみよま」に描かれていることも、(自分の環境はここまで過酷ではなかったにしろ)スッと認識したし、同時に安野先生のことを以前よりもずっとずっと強く、人間として尊敬するようになりました。
何よりも、インタビューにあるようなお話を人に、しかもたくさんの人に読まれる媒体でするというのは尋常じゃなく勇気の要ることだと思います。だからある意味、驚きました。ご自分の中のいちばんつらい部分を公開する、その理由はなんだろうと。きっと必要だと思われたからだとは思うんですが、最初に読んだときにはその意味が自分にわかるのはもうちょっと先なんだろうなと思っていました。

そして今回エヴァをみたとき、ああ、もしかしたら自分の人生と向き合うということは、
たくさんの人へと物語を紡いできたかたが行き当たる、生きていくうえで、そしてこれからまた物語を紡いでいくうえで、いちばん必要なことなのかもしれないなと感じました。
ご自分の紡ぐ物語のためにも、一番大切な人が紡ぐ物語のためにも、そして物語を紡ぐ、という産業の世界全体のためにも。

物語が人を感動させる瞬間、それはその人の人生そのものが呼応している瞬間で、いわば物語が現実へと飛び出して形を為す瞬間なのではないかと。
そういう意味で、物語とは、常に物語の外とセットなのではないかと。

物語の外とセットである以上、いつかは、めぐりめぐってまた自分という現実とひとつにするときが来るのではないかと。

映画をみながらずっと、「ああ、エヴァというのはもうひとつのアニメやコンテンツという枠ではなく、もはやものすごく大きな概念のうねりみたいなものになっていて、今このときも世界をまるで龍のようにゆっくり飛翔しているんだな」と感じていました。先ほどの「そういう時代」としか言い表せない概念になっているような気がします。エヴァを作ったかたがたにも、私たち観客にもコントロールしきれない巨大な生命体。
終わらせたいのなら、もう画面の中だけではムリなのかもしれないなと思いました。すべての人々の「人生」という概念を以て終わらせるしかないのではと。

だから、シンジエヴァとゲンドウエヴァの戦いの舞台がまるでスタジオセットのようになっていったとき、あ、あながち間違った解釈じゃないのかなと思いました。

そしてシンジくんが、一人一人を送り出していったとき。
ああ、シンジくんはもう本当に自由になったんだな、と思いました。勝手に勝敗が決められてしまうリングそのものを解体しているような。
「エヴァに乗らなくていい」ではなく、「エヴァも皆もいってらっしゃい。もう誰も乗れないね」とはにかんで笑うような。
綾波が言ってた、「ぽかぽかする」気持ちになる碇くん。

シンジくんが現実ではないところで皆を送り出せたのは、現実でのエヴァのすべてを、ぜんぶミサトさんが背負いきってくれたからかなと思ったり。

カヲルくんも思えば不自由な子でしたね。神出鬼没で自由な存在だと思ってましたけど、誰かのためにしか生きられない子だった。エヴァにだって一人では乗れない。シンジくんを生かすためだけに何度でも蘇って、まるで彼こそがシンジくんのための物語のようでした。
「本はいつでも変わらず自分を待っていてくれる親友」という言葉を昔何かで知りましたが、それを思い出しました。彼を送り出すのは、その本を次の誰かに手渡すのに似ているなと。同じ本でも違う人が読めばそれは別の物語になる。カヲルくんはきっと世界中の人の親友になれる。優しくていいやつだし。

そしてマリですよ。今までいなかった存在、シンジくんをまた現実に戻してくれる存在。
ここまでマリにひとことも言及してないですけど、私マリ大好きです。中の人のお声がまず大好きだっていうのもあるんですが、やっぱり旧劇のときに期待したヒーロー像でもあるんです。いやーカッコいい、痛快、爽快。
漫画ではマリもまた、ユイを愛していたみたいですね。想いは叶わなかったけど、でも代わりに見守る愛を手に入れた。それがユイの代わりに、シンジくんを生かす力になった。そんな気がしました。
だから私、ラストシーンでもシンジがマリと恋仲になったっていう風にはなぜか思わなかったんですよね。シンジの「可愛いですよ」の言い方が、なんかあんまり恋人に言う感じじゃなかったような気がする。どっちかっていうと叔母と甥の会話感があるというか。まあ気のせいかもしれないんですが。
それにシンジくん、あの海辺でアスカに想いを伝えてましたし、あれはけっこうデカいんじゃないかと思ってるんですよね。前は「気持ち悪い」だったのに、今回は明らかにアスカに響いてますし。大人同士の打ち明け合いになってるんですよね。どうなるのかなあ。マリはアスカのことも大好きだし。

そして宇多田ヒカルさん「One Last Kiss」もよかったですよね。序のときは、あの宇多田ヒカルがアニメの主題歌をやるなんて!とすごく意外だったんですけど、「Beautiful World」を聴いたらものすごくピッタリでさらに驚いた思い出があります。破のアコースティックなバージョンもめちゃめちゃよかったし、「桜流し」も大好きだし、もうエヴァは宇多田さんの歌といつのまにかセットになってしまいました。

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ああ、こうやって書いててもまだまだ書き足りないなあ。すっごく感動したのに抜けてるところもあるんだろうなあ。トウジの妹とヴンダー戦闘員のピンクの髪の子が激昂するところもよかったなあ…彼女たちにかつてのミサトさんやりっちゃんを見ました。先に生まれた者はすべてを受け入れるのが役割になっていくんだなと。

そうだそうだあとひとつ!心がジーンとなったのが、世界が再構築されていくシーンで描かれていた、たくさんの人々。私たちひとりひとりとも呼べる、天からゆっくり生まれてくるかのようなあの人たち。あの描写がとてもやさしかった。
旧劇場版では、劇場の座席に映ったたくさんの実写の観客。あれが「私たち」だったように思います。あのときは「見ろ!これがお前たちだ!」と言われているような気持ちでした。
そして今、大事なものを抱いて、もう一度現実へと旅だっていく私たち。泣きました。

最後の劇中歌で、「私があなたを愛したことを、死ぬまで誇りにしたいから」と歌っていて。
ユーミンの歌なんですね、初めて聴きました。
これも旧劇の「Komm,susser tod~甘き死よ、来たれ」との対比で胸が熱くなりました。
「甘き死~」はたしか、愛する人からの愛を失ったらもう生きていけない的な歌詞なんですよね。愛されなければ何もかも意味がない、壊れてしまえ的な。
それに対して、自分から生まれた愛を、たとえ一人でも胸に抱いて生きていくという「VOYAGER〜日付のない墓標」。
自分の生きる力を信じている歌に聴こえて、ああ、この映画を観られて本当によかったなと思いました。

やっぱもう1回は見なければー。
通販で買ったパンフも楽しみだ!

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私が初めてエヴァをみたのは、テレビ放映から6年ほど経った大学生の頃でした。

その頃は週に1回夜の授業をとっていて、
授業が終わってから、恋人がバイトを終えて会うまでのぽっかり空いた時間の暇つぶしに
図書館でなんとなくテレビシリーズを見始めたのがきっかけでした。
なんとDVDのない時代ですよ。LD(レーザーディスク)という、ばかでかくてちょっと厚みのあるディスクでみてましたよ。

図書館のエントランスでは、学生カードをピッとゲートにくぐらせて入るのですが
それがネルフに入るシンジくんたちと同じ動作だったので、なんだかエヴァの世界に入る儀式のような気がして気に入っていました。

見終わったあと、屋上でひとり夜景を眺める時間も大好きでした。
第三新東京市を三次元でみているかのような贅沢でした。
近くにミサトさんの住んでいるようなマンションもみえて、本当にあの時間は自分だけの宝物でした。

だから、図書館で旧劇まですべて見終わったあとも、色んな意味で放心状態だったんですが
カードや夜景といった体感もあいまって、エヴァという存在が当然のように自分の中で息づいて消えることはありませんでした。

そうやってエヴァをみたわずか3年後に今度は新劇場版が公開してくれたおかげで、当然のように私の中でエヴァは続いていきました。
そうやって、気づけば14年の歳月をかけてくれて、その間にいろんなことを知れて、私自身も成長して。

そういった経緯もあって、だから私の中ではエヴァが「終わった」という気があまりしません。
卒業式のような祝福の気持ちで胸がいっぱいにはなったんですが、自分がエヴァから卒業したという感覚とはまた違っていて。だからといって新しいコンテンツを期待しているということでもなく。

エヴァがくれた世界に私は今も生きている、という気持ちでしょうか。

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「プロフェッショナル」で印象的だったのが、試写会をみたあとの安野モヨコ先生が庵野監督を見つめたときのお顔です。
とても美しいお顔をしてらっしゃいました。

「ANNORMAL」に載っている、庵野監督の奥様へのラブレターも大好きです。

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おまけ。

カラー展でみて一番印象に残ったのが、特撮用に作られた電柱でした。
理由はわからないんですがすごく惹きつけられました。

写真探したらあった!あった!

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映画じゃない写真でおわるっていうね。


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