34歳既往歴有り女の出産レポ② 出産編
■4.11 予定日を超過
この時期、世の中は「出産一時金が42万円から50万円に引き上げ」「男性育休の拡充」がニュースになっていた時期。しかし私の関心事は「無事産めるのか?陣痛は来るのか?」のみ。
そう予定日を過ぎても陣痛が来なくてそわそわしていたのだ。
産院の担当の先生と相談した結果、4/18までに産まれなければ、4/19から誘発分娩目的で入院することが決まる。
誘発分娩とは、陣痛促進剤で陣痛を起こして赤ちゃんを産むこと。促進剤の副作用が~など色々聞いてはいたが、なるべく情報をシャットアウト。お散歩や動画鑑賞など、穏やかな過ごし方を心がけていた。
■4.18 これが陣痛…ってコト!?
予定日を超過してから一週間。
階段昇降、腰回し運動、ウォーキング、焼肉など、陣痛を呼ぶと言われている様々な行動をとるが、予定日を一週間過ぎても何も起きなかった。
入院の準備を済ませた23時。明日から入院かァ~とゴロゴロしていると…
「え、なんかお腹が痛い…」
約6分~10分おきに、生理痛が若干強くなったような痛み。
間隔はガタガタだが、10分を切っているため病院へ連絡し入院することになる。母の運転で病院へ。
■4.19 入院1日目
AM2時 手続き
救急外来入口から入院。子宮口が4㎝ほど開いていて、早ければあと半日で産まれるとのこと。
そのまま入院手続き。痛みに耐えつつ書類にサインを繰り返していく。
その中で一点気になったのは、「実習生を受け入れてるけど大丈夫ですか?」という確認があったことだ。ここは地域No1級の総合病院。若手の医師や、看護実習生を多く育成している。そして私は過去の入院時に、彼らの練習台となってきたのだ…!!!
苦い経験がよみがえってくる。10年前、研修医の腰椎麻酔がなかなか成功しなかったこと。腫瘍摘出の手術のとき、当時若手の先生の縫合がヘタクソでまだ傷が消えてないこと。特に恨んではないんだけど、一生に一度かもしれないお産は穏やかにさせてほしい。
「内診とお産の時は実習生なしでお願いします。あと外来で伝えていましたが内診は苦手です」とやんわりお願い。
しかしこれは序の口で、若手スタッフを育成したい病院側 VS 私の攻防が始まっていた…(なんの話や)
AM3時 分娩室へ
入院手続きが終わり、分娩室へ案内される。
分娩台、ソファー、トイレ+洗面台、NSTの機械、産まれる赤ちゃんを処置する台がある。
好きなところで休んでいいよと言われるが、分娩台は微妙に高さがあり、上り下りするのが辛そう。なので、ソファーで座って耐えることを選ぶ。
AM8時 内診が2回ずつあるの…?(絶望)
お産の進み具合をみるため、朝の内診。マタ垢界隈で言う「内診グリグリ」、私はすごく苦手。つか得意な人いるんか!?
内診室に現れたのは、女医先生が一人と、明らかに新人ぽい雰囲気の医師がひとり。
女医先生の内診の後、なぜか「もう1回内診しますねー」と言われ、有無も言わさず新人の先生も内診。ただでさえ陣痛でツライのに2回はイヤじゃ~!!
その場は耐えた後、助産師さんに「内診が苦手なので1回でお願いします」と伝える。
AM9時 お産は体力残しゲー
日勤の助産師さんが出勤。助産師歴20年とのこと。いかにもベテラン!というの雰囲気だ。
「中村さん、今からとても大事なことを言います。お産は最後まで体力が残っているかが勝負です。なぜなら、最後に赤ちゃんを出すときは、お母さん自身が頑張らないといけないからです。お母さんの体力が残っていないと、赤ちゃんを外に送り出せません。不安もあると思いますが、今はあまり緊張せず、呼吸で痛みを逃してリラックスしましょう。水分を取ったり、なるべくご飯を食べるようにしてくださいね^^」
とのこと。抽象と具体がスッと入ってくる。助産師さんってめっちゃ頼もしいですね。
PM4時 気を失ったり、陣痛が遠のいたり
その後も陣痛は続き、痛みと痛みの間で気を失ったように寝てしまう。しかし午後になると、陣痛が少し弱く、間隔も開いてしまう。
助産師さん「今日は産まれなさそうなので、先生と話して明日から誘発剤でお産を進めることになりました。もし陣痛が強くなっていないなら、もう内診しないように先生に伝えるけど良いかな?」
私「お願いします!!」
助産師さんが神に見えた瞬間であった。
日勤の助産師さんが帰り、陣痛とともに朝を迎える。
■4.20 入院2日目。誘発剤でスタート
AM9時~ 誘発剤スタート
日勤の助産師さんが来る。昨日とは別の方で、私と同い年ぐらいだろうか。「今日絶対決めようね!^^」と頼もしい雰囲気。
誘発剤の点滴スタート。最初は特に変化がなかったが、約2時間くらい経って効き始める。子宮側にあった痛みがどんどん腰に降りて、間隔も3分くらいに。
NSTの数値は60〜80くらい。大分息があがってくる。腰の骨を内側からハンマーで打ち砕かれるようだ。こりゃ大事故だね。
そんな中、女医先生と、新人先生が分娩室に来て内診。子宮口が6~7㎝くらい開いてきたとのこと。
そして、「もう一回内診していいですか?」と聞かれる。私、内診は1回でって伝えたよね?さすがに断る。ごめんね…内診だけは無理なんだ…
PM2時 脳内麻薬でトランス状態?
誘発剤を入れてから約5時間。どんどん痛みが強く間隔も短くなり、呼吸で痛みを逃す。
すると、急に痛みがなくなって、体の感覚がふわふわしてくる。
お産の際、陣痛の痛みによりエンドルフィンという脳内麻薬が分泌され、多幸感をもたらすことがあると聞いていた。しかし私にも起きるとは……!
時間にして30分くらいだろうか。フワフワとした高揚感の中、考えていたのは2つだった。
1つは、お腹の子への感謝。
17歳で病気が分かったとき、私は子供を持てないのかなーとどこかであきらめていた。まあそれでも、人生楽しく過ごせればいいと思っていた。
だけど、無事妊娠できた。
ただ、妊娠してからも、次の健診こそ心拍が止まっているんじゃないか、トラブルがあるんじゃないか、とあれこれ心配は尽きなかった。
ネガティブな妄想を超えて、お腹の中ですくすく育ってくれて、ありがとう!!
もう一つは自分のこと。
子供がいない期間にやり残したこと、
達成できなかった目標、
伝えられなかった気持ちなど、いろんな形の後悔がある。
でも、それらは置いておいて、今は赤ちゃんに無事会うことの方が重要だ。一旦全部リセットして、新しい自分になるんだ…!なれるのか…!?
PM2時半 それがいきみたいってことだよ!!??
痛みがおしりの方まで来て、トランス状態から一気に現実に引き戻される。
助産師さんから「いきみたい?」と聞かれる。「いきみたくはないんですけど、下半身に勝手に力が入ります〜」と答えたら、
「それがいきみたいってことだよ!!??」
とこの日最大のツッコミをいただく。
助産師さんに内診してもらうと、子宮口はほぼ全開。先生を呼んでもらう。
想像よりもバタバタと人が増えて、
S先生(ベテランのなんとか部長的な先生)
K先生(ベテラン。外来で担当してくれた先生)
新人先生
学生さん
助産師さん①
助産師さん②
6人が集合。え、人多いなー。学生さんNGって言ったよな?おそらく先生が連れてきちゃったんだろうな。
助産師さんが申し訳なさそうに、「ごめん…女性の学生さんなんだけどさ…見学させてもらってもいいかな?」と聞いてくる。ええいここまできたらもうヤケだ!「オッケーです!」と元気よく答える。
PM3時 叫ぶと体力が取られるんで…
ここからは体力勝負でした。
陣痛に合わせていきみを繰り返す。NSTの数値は90くらい。痛みが来るタイミングで、「いたいいいいい!!」「アー!!!」と叫んでしまう。すると、「叫ぶとそっちに体力取られるから、声出し最低限で行きましょう」とのこと。ちょっと恥ずかしかった。笑
10回くらいいきむと、頭がだいぶ下がって髪の毛が見えているそう。
3時15分くらい。もうひと頑張りなんだろうけど、だいぶ体がツライ。
陣痛の合間に、助産師さんに「4時までに産めますかね?🤔」と聞くと、「4時までには産める。3時30分とは言えないし、3時40分までも微妙だけど、4時までには」と。
あと45分間なら頑張れる…!!とがぜん元気に。
陣痛の波に乗っていきみを繰り返すが、頭が下がる→少し戻る を繰り返してしまうらしい。
私も段々苦しくなり、酸素マスクをつけてもらう。
それでも、いきみで息を何度も止めるため、赤ちゃんに酸素がいかない。心拍数が低下して苦しいサインが出ている。
ベテラン先生の「吸引準備」という一声。吸引とは、赤ちゃんの頭に吸引カップをつけて、圧をかけて引っ張ること。
吸引でもなんでもいい、お産から我々を解放してもらえるなら…!!!と安心していると、予想外の流れに。
そう、吸引分娩のカップを握っていたのは、新人医師だったのだ。ベテラン先生が指示をしている。えっベテラン先生がやってくれるんじゃないの!!??いいけど頼むよマジで!!
「中村さん、次の陣痛で強くいきんでください。吸引をかけると同時にお腹を押すよ!赤ちゃんがある程度出てきたら、いきむのをやめてください。」
陣痛の波がくる。
「せーの!!」
\スポッ/
…どうやら、吸引のカップが取れてしまったようだ。滑脱といって、牽引の方向がよくない場合に起きるらしい。ええーまじか…
2回目のせーの!!も滑脱。
こちとら命がけやぞ…ベテラン先生に代わってェェェ…と、叫びたいのを我慢。もう考える余裕がない。
3回目の「せーの!」で、最後の力を振り絞って思いっきりいきんだら、今度は滑脱せず出てきました。
\オギャー/
PM3時57分 赤ちゃんと対面!
やっと終わった。感動というより呆然。解放感で1分くらいぼーっとしてました。
カンガルーケアではじめて触れた我が子はふにゃふにゃで頼りないのに、生命力に溢れてました。ただ、首の下に置かれたら意外と見えないね。笑
胎盤の処置や裂けたところの縫合などの処置も無事終了。最後の内診は2回でしたねコノヤロウ。笑 でも、そんなことは気にならないくらい、達成感でいっぱいでした!!
■産後 赤ちゃんの甲状腺の数値もセーフ。
巷では母体をゆっくり回復させる産院もあるようですが、産んだ当日から母子同室のスパルタ産院でした。
会陰の傷がまだまだ痛む中、授乳、ミルク、赤ちゃんのお世話で寝不足。やっと寝れたと思ったら血圧測定や食事、諸々の指導で叩き起こされる。お産の出血の影響か貧血で1回倒れまして、入院中は基本ぼーっとしてました。
辛かったけど、このハードな経験のお陰で、帰宅してから発狂せずに済んだのかもしれませんね。笑
というわけで体は殆ど回復しなかったのですが、5日間の入院を経て、無事退院できました。
退院時に赤ちゃんの甲状腺の検査をしましたが、特に問題ないとのこと。本当に本当によかったです。
そんな新生児との生活についても書きたいのですが、長くなったので次の記事で!