ハッピーな死に方とは果たして・・・?
全身麻酔がさめずに、そのまま起きることがなくてもいいと思った。
不謹慎かもしれないが、7年前、手術で初めて全身麻酔をして意識が戻ったとき、そう思った。事前説明があった。「薬が体内に入ると、(針がささっている)腕からずーんと温かくなってそのまま寝てしまいます」全くその通りだった。
「ハッピーエンドの選び方」というイスラエル映画では尊厳死を遂げられる「装置」を開発するハナシだった。https://www.asmik-ace.co.jp/lineup/1253
だが現実には「泣きながら生まれてきた人間が笑いながら死んでいく」という最高の「ハッピーエンド」を選ぶことは困難だ。
高齢の母は「私はカマチョクでいいわよ」という。亡くなったらカマ(火葬場)直行、あちこちへの連絡不要、葬儀も不要だと笑って言っている。
それよりなにより、問題は死ぬときだ。永六輔サンは「痛いのは嫌だ、苦しいのはもっと嫌だ。辛いのも嫌だ」(『ご笑納ください』、高田文夫著)と、人間ドックから逃げ出したらしい。また樹木希林サンは「ガンで死ぬのが一番幸せ。畳の上で死ねるし、用意ができます。準備して片付けができるのが最高」(同)とのこと。
自分は、父の死の間際の形相を思い出すととても薬で延命など考えられない。それは拷問にも見えた。
人は自分で死に方を選べない。
さて母の希望はしかと承ったものの、葬儀屋を通さず、公共サービスのみで納骨までできるものだろうか。
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