ニューヨークへ行きたいかー! / おー!
アメリカ横断ウルトラクイズ張りの大陸横断バス旅をしてから今年ちょうど40年経つという事実に気がついた。パリオリンピックの話題が増えるにつれ、過去の大会時期と場所のハナシを耳にしたからだった。
そう、ロサンゼルスオリンピックは1984年だった。大学二年の夏休みをほぼ全て使って、初海外旅行、初ひとり旅を敢行したのだった。スマホもグーグル先生もいない時代に、限られた予算とガイドブック一冊で二か月過ごそうというのだから、若い時は恐れを知らないというのは本当だ。当時週に一度くらい、生存確認代わりに自宅に絵葉書を送ったっけ。
予定は未定。
決まっていたのは、成田~ニューヨーク、そしてロサンゼルス~ホノルル~成田という大韓航空のチケットだけだった。ニューヨークからロサンゼルスをのんびりバス旅で巡る、というと雄大な感じがしないでもないが、実際にはただ尻と腰が痛くなるだけだった。それでもただ若いというだけで乗り切れた。
ニューヨーク~ボストン~フィラデルフィア~クリーブランド~デトロイト~シカゴ~ナッシュビル~アトランタ~ジャクソンビル~オーランド~マイアミ~キーウエスト~ニューオリンズ~ダラス~デンバー~ソルトレークシティ~カルガリー~バンフ~ジャスパー~バンクーバー~シアトル~ポートランド~サンフランシスコ~ロサンゼルス
これを無謀と言わずに何と言おう。もちろん全て下車したわけではないが、「アメリパス」という一定額で乗り放題チケットのおかげでずいぶん気軽に、行き先を決めずに乗り降りできた。
「よくグレイハウンド(なんかに)に乗ったね?!」
後に仕事をし始めてから知り合ったアメリカ人に、この旅行の経験を話すと怪訝な顔をされた。今思うと、若干危険な場面もあったが結果事なきを得ている。
Do you smoke?
あなたはたばこを吸いますか?
私は素直なのだ。だって中学校の英語でそう習ったではないか。グレイハウンドが食事休憩、トイレ休憩に立ち寄るマクドナルドでハンバーガーをかじっていると、あんちゃんが、「Do you smoke?」と尋ねてくるのだった。
麻薬売りだとは全く知らない私は、たばこを吸わないので、「No, I don’t.」とパーフェクトイングリッシュのドヤ顔で受け答えた。
行けるじゃん、俺の英語。
ところがその後もかなりしつこく、手を変え品を変え(いろいろな表現で)売り込んできた。そもそも葉っぱだと最後まで理解しなかったため、結局あんちゃんは、いかりや長さん並みの「ダメだこりゃ」と(たぶん)言って去っていった。バーガーキングでも同じことだった。
危なかった(?)のはそれくらいで、財布を見ながら、少し節約した方がいいと思えば、夜行バスに乗って宿代を浮かせた。
今思うと、バスの自分の隣は常に空いていた。それはアジア人に対する人種差別なのか、ただオリエンタルボーイが気持ち悪かったのか、俺の表情が怖かったのか、理由は分からない。
どこかの路線で、俺の隣以外に空席が無い時に乗ってきた女が、「他に席は無いのか、仕方がない」といった実に嫌な表情で座ったのを鮮明に覚えている。気分悪いのはこっちだぜ。
広大な大陸内移動で、最も過酷だったのはキーウエストからニューオリンズで20時間以上は乗っていたと思う。休憩はあってもさすがに体が硬直した。中西部では一日経っても二日走っても風景が同じだったりしたこともある。
グレイハウンドアメリパスはカナダ路線も行ける。そこでつい貧乏根性でバンフ、ジャスパーへも行ってしまった。当時としては極めて正しい選択だった。そんなこんなでロサンゼルスまでの道のりは長かった。
飛行機の上級会員への武者修行のような乗り方だが、グレイハウンドに「グローバルクラブ」や「スーパーフライヤーズ」組織が仮にあっても申請はしないと断言しておく。
長い道中、楽しみは途中で買った小さなラジオで聞いたTOP40をはじめ、無数のFM局から流れる80年代のヒットソングだった。(続く)