【初めてのnote】野球坊主がアメリカの大学生に...
初めてブログに挑戦します。自分にできるペースで更新していけたらと思います。お見苦しい下手くそな文章かと思いますし、まだまだ未熟者なので、息子の成長日記みたいな感覚だと思ってお楽しみください。
簡単な自己紹介
ご挨拶申し遅れました。橘田雄星(きったゆうせい)と申します。5歳の時にアメリカで野球に出会い始め、高校まで13年間続けました。現在はアメリカ-カリフォルニア州にある大学に通っている19歳です。
文章を端的に書くのって本当に難しい。これではずっと住まいがアメリカのように読み取られますね。
生まれも育ちも日本です。5歳から父の仕事をきっかけに家族でアメリカに移り住みました。9歳までそこで暮らし、帰国した後は市立小中学校に通い、その後は私立の高校に通いました。高校卒業後、一度は指定校で都内の大学に入学しましたが、留学を決断し一年で中退して今に至ります。
少し特殊な生活を送ってきた私ですが、日本と米国での教育の違いだったり、野球の話だったり、沢山の体験を面白く記せたらと思います。
初投稿の今回は、自己紹介がてらに今までの葛藤から私自身が学んだことを紹介します。
「人生=野球」引退後の悪影響
「勉強しなさい!」お母様方、どうでしょう?子供によくいう言葉ですよね。私はずっとそう母に言われ続けたものの、もちろん言う事は聞かずに遊んでやりたいことばかり。夏休みの宿題はいつも始業式の3日前から焦り出し取り掛かる。そんな私も今では、辛抱強くそう言い続けてくれた母に申し訳ない気持ちがあり、時間を無駄にしてしまった後悔があります。
高校野球を終えるまで、もっと正確に言うと、高校野球を終えて一年後まで、私の人生は野球が全てでした。小学生の時はプロ野球選手になることが夢と記していたクラスの自己紹介欄。中学生になってもその夢は変わらず、高校に入学して初めて夢が叶わないことを示唆する「現実という壁」に直面しました。それでも結局、高校野球では甲子園出場を夢に仲間と熱を発し合い、勉強はそっちのけ。
上記が人生=野球という状態です。
この状態を放置していると待っているのは残念ながら地獄です。当時の自分を待っている地獄には気づかず、友達と野球引退ライフを謳歌していました。その後、今まで勉強してこなかった私には当然、大学の授業が響くわけでもなく、ただ課題が出されたらそれだけはやっての日々で熱中するものをあてもなく探していました。とうとうそんな希望を探すのにも疲れてしまい貴重な毎日を無駄にしていました。俗に言う燃え尽き症候群です。本当に地獄です。
そんな地獄にいることに気づいたのは、大学に通い始めて半年ぐらいだったと思います。今まで野球だけの人生で、勉強もろくにしていない私が野球をやめた。そんな人がこれから社会に出て、果たして大丈夫なのかと気づき、その瞬間、大きな不安に襲われました。客観的には簡単なことかもしれませんが、主観的にはその状況にいても気づけなかったのです。
そうじゃない、人生の中に野球があるんだ
人生の中に野球があるという考え方は、簡単にいうと視野を広く物事を考えようということです。「人生には数えきれない無限の選択肢があって、今までやってきた野球だけしかないように思うかもしれないけど、実はそれだけじゃないんだよ。」そんな考え方です。
つまり、人生は自分が決める選択肢の連続で形成されると思うんです。今までやってきたことに縋りたいのはすごくわかる。しかし、自分が縛られていると感じた時には、そのやってきた事は人生の中にある無限の選択肢の一つにしか過ぎないということを思い出しましょう。
地獄から抜け出して、最初の決断は留学…
選択肢が野球しかなかった私は留学をしようと決めたのです。元々、幼少期アメリカに住んでいたのもあって、この決断に至るにはもしかしたら他の人よりもハードルは低いのかもしれませんが8年ぶりに戻ることに。そこから私は燃え尽き症候群から抜け出しました。抜け出した先に待っていたのは刺激による成長だったんです。そうして私は再び前進し始めたのです。
結局、現状を変えるのは自分の選択肢だと思います。自分が作った殻に閉じこもらず、思い切って今までやってこなかったことに挑戦してみたり、新たな冒険を始めることで明るい未来に再び歩き出せると思います。世界は自分で思ってるより知らないことだらけで、そこに目を向けてみれば新たな発見と新たな価値観が溢れています。
どのスパンで更新しようか決めかねていますが、次回は"5歳からアメリカに生活して覚えてること"をテーマに更新したいと思います。