little forestに学ぶ人生観
こんにちは。
突然ですが、
『little forest 』という作品をご存知でしょうか。
五十嵐大介さんが原作者で『月刊アフタヌーン』にて連載された漫画なのですが、私は、橋本愛さん主演の映画を観させていただきました。
実に素敵。
今日はこの作品についてお話したいと思います。
ざっとあらすじを、、
“小森”は東北のとある村の中の小さな集落。いち子(橋本愛)は、一度街に出て男の人と暮らしたりもしたが、自分の居所を見つけられずに、ひとりでここに戻ってきた。「言葉はあてにならないけど、わたしの体が感じたことなら信じられる」と思い、何事も自分でやってみないと気が済まない性格。稲を育て、畑仕事をし、周りの野山で採った季節の食材から食事を作って食べる毎日を過ごしている。そんな静かなある日、1通の手紙が届く。それは5年前の雪の日に突然失踪した母・福子(桐島かれん)からの手紙だった――。自分の本当の居場所を探すいち子が、春の訪れと共に出した答えとは――― (filmarks.com)
実はこの作品、映画では
『リトル・フォレスト 夏/秋』と
『リトル・フォレスト 冬/春』の二部作になっているのですが、ほとんどの時間、『小森』という土地で主人公のいち子が生活している様子を描いています。
映画の批評ブログではないので細かいところは
割愛させていただきますが、この作品で描かれている生き方は、私の価値観を強く揺さぶるものでした。
とにかく自分とは生きてる時間感覚が違うこと。
先にさらっと、時間の捉え方の話をすると、
時間には大きくわけて2つの捉え方があります。
1つは、時間とは不可逆的直線的に進み続けるといった考え方で、極めて西欧的なもの。
もう1つは、円環的に時間は循環しており、未来は過去の繰り返しであるといった考え方で、干支などがわかりやすい例であるかと思われます。
循環的時間といった捉え方は、仏教などでも見られ、東洋的な感覚であるとされています。
私たちの生活を顧みると、
1週間や1年といった、暦上の感覚では、
円環的時間は身近なものになります。
しかし、生活する上で思考や行動を束縛するものは直線的時間ではないでしょうか。
日頃意識している時間というもの。
明日までにしなければならない。
60歳まで働き続ける。
自分が死ぬまであと何年だろうか。
そんな考え方は直線的時間という概念に
大きく影響を受けているのです。
しかし、この映画で描かれている主人公は違います。
大きな循環的時間の中で生きている。
まさに、生きるために生きる。
そこには、進歩しなければならないだとか、
なにかを成し遂げなければならないだとか、
そういった日々の抑圧が存在しないのです。
勿論、日々高みを目指し、己を高めて生きている人間は素晴らしいと思います。
目標に向かって生きた方が生活ににハリがでると思います。
しかしこの映画は、全員が全員、そういった
生き方をしなくちゃいけないわけじゃない、
大きな循環に身を委ねる生き方も素晴らしい、と教えてくれるようでした。
人生は他人に計られ評価されるものでは無いと
僕は思っています。
もちろん僕にも目標があり、叶えたい事があります。
ただ、それが全てではない。
たくさんの生き方があっていいのだと思うと
随分心に余裕が出来たのです。
ぜひみなさん、『リトル・フォレスト』いい映画なのでお時間あるときにでも。