食べたいなドーナツ

こんにちはこんばんは、おはようございます。
音楽をやっている安藤力です。

ミスタードーナツはお好きですか?

映画で話題のSLAM DUNKの晴子さんのようで失礼します。
ちなみに私はまだ見ておりません。
見に行かない理由がないほどに見たい気持ちで溢れています。

さて皆様のミスタードーナツの想い出は何かありますか?
所さんだったり、山下達郎さんだったり、スクラッチだったり、ポンデライオンだったり、原田治さんだったり。
飲茶セットというのもありましたね。
全部私の想い出なんですけれども。


私の地元新潟にもミスドはありました。
1番通ったのは古町のミスド。
あぽろんや旧CLUB JUNKBOXのあった通り(だったような…)。

近くには映画館、駄菓子屋、商店街に百貨店。
街は賑わっていた90年代。
商店街のはじのイトーヨーカドー丸大は子どもたちの聖地だった。

安藤家からは自転車でも行ける距離にあり、ご多分にもれず古町が馴染みのお買い物スポットであった。

6階くらいのゲームコーナー
4階くらいのおもちゃ売り場
新星堂があったのも6階?本屋さんも6階?
あの頃はすごく大きな建物に感じていた。

はじめて100円ショップという存在を知ったのも丸大。

ミスドより丸大の話になっていた。
軌道を修正する。


ミスタードーナツは当時スクラッチカードをくれて10ポイントためると選べる景品があった。
それが原田治さんのグッズだった時代がある。
ミスドと言えば!と同じく思う人も多かろう。
安藤家には枕やブランケットや手帳、ミスドの景品の原田治グッズが数年ぶんあった。

子どもたちの小腹を満たすのにも
休日に祖母の家に行く途中家族で食べるにもちょうどよかったのであろう。

店内にはお洒落な海外の曲がかかっていて、
ある時期には
"oh oh oh 食べたいなドーナツ"という山下達郎さんの曲がBGMでよくかかっていた。

前述の古町のミスドには
母と妹と3人でよく行った。あまり混雑していた記憶もないので春休みや夏休みの平日だったのだろうか?

周りはひとりでいらしてるおばあちゃんやお姉さんたちが多かった。
その方々がよくスクラッチカードを
"点数を貯めきれないからどうぞ"
と言ってくれてよくもらった。
それもあって我が家にはミスドグッズがたくさんあったのかもしれない。

妹はDポップが好きだった。
でも好きなものは一部でいらないのをもらって食べた。
自分は何が好きだったんだろう?
大人ぶってオールドファッションだったかな。

そうだ。
昔は店員さんに言ってショーケースから出してもらっていた。
映画館に座席指定がない時代の話だ。
ショーケースに並ぶたくさんのドーナッツ🍩に目を輝かせたこどもがいったいどのくらい大人になったのだろうか。

たまごっちを連れてミスドに行ったことがあった。
妹が
「おやじっちになってる!!」
と叫んだ。
周りの人たちは優しく微笑んだ。

まだポン・デ・リングがない頃の話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?