【毒親③毒親から離れて】

こんにちは。あこです。
毒親の続きになります。
これまでの毒親記事です。




式の衣装の話

結婚式も近づき、準備で忙しくしていたある日母親からこんな連絡が来ます。

「式はスーツで出る」

どうやら結婚式までもお金を使いたくなかったようで、服装も勝手に決めて私に連絡してきたのです。
私的には着物で出てほしかったのですが、せめて両家で合わせないといけないと思ったのです。
義両親にも伝えなきゃいけない、違くていいのか含めて。
これは私でなく父と旦那も知らなくてはいけないこと。
私だけで完結できないことなのです。
それを私だけに言えば何とかなると思っていたようです。
「みんなで話し合わなきゃ」
「うるさいわあんたがそうしな」
まるで話にならない。
父にことの出来事を伝え、衣装については両家で打ち合わせをしないといけないと話すと父は「わかった」と理解してくれたようでした。
そして次の日に義実家に出向いたそうです。
驚いたことに訪問したのが父だけだと言うこと。
両親の衣装なのに母がいない。
父が全て背負ってやり過ごそうとしたのです。
言い出しっぺで勝手なことをする母が出向かないのはおかしいと流石に感じました。
父は昔から母の尻拭い役をしていたので、またか…といった感じでしたが…。


父は何をしてた?

こんなに暴言、贔屓、嫌味が多い勝手な母親に父は何をしていたのか?

私から見た父はとても明るくておもしろく、頼り甲斐のある大好きな父でした。
いつも遊んでくれたのは父。
子供のわがままを聞いてくれたのも父。
試合がある時に送ってくれるのはいつも父。
遅くまで遊んでた私を心配してくれたのも父。
いつもお金がないのにお小遣いくれたりして。
私の味方…のはずでした。

一方責任感が強いのか、家の問題を1人で解決しようとすることもありました。
何が起こったか教えてくれないんです。
しかも何故か平然とウソをつく。
誤魔化すのが上手いんです。
平然とするのがプロ並みに上手いと思います。
それだからか明るくて楽しいはずなのにあまり深い会話はしてくれない人でした。


離れて分かった事実

子供の頃は父が家族で唯一の味方だと思っていたのに、毒母と縁を切るとなったら私が精神的に不安定だと言う扱いを受けるように。
あれだけ母が暴言吐いてるのにそれに関しては何も言わないんです。
言わないどころか機嫌を取っているんです。
今まで一度たりとも私を庇ったことがない。

そして気づいてしまったのです。
小さい頃からあれだけ気にかけてくれたのは私を守るためではなかった。
むしろ母と私両方ともうまくやっていく為に気にかけてるだけで本当は私を守ってなかったのだと。
とても残酷な事実でした。

後で知った話ですが私がこれまでの仕打ちに嫌気がさしたこと、今まで辛かったことを知らせた後
父は後悔していたそう。
「もっと教育に関して口出せばよかった。
お母さんが教育は私がやるから口出すなって言ってたけどもっと俺が言っていればよかった。」

今更遅いんだよ。
今ならなんとでも言える。
しかもその言葉は私が求めてる答えではなかった。

私はただ、親として人として間違っている母親を正してほしい。
ただそれだけを求めていたのに。
少しも変える気はなさそうだった。
何故なら母は間違ってない、考えを改めるのは私なのだと本心では思っているからだろう。



毒母の後遺症

旦那と出会ってからたくさんの試練がありました。
それが毒親と縁を切ってからでも。
親子とは不思議なもので、どんなに嫌いな毒親でも性格や考えが似てしまうのです。
恐ろしいことです。
私はそれを「毒親の後遺症」と勝手に呼んでいます。
はじめは元々の自分の性格だと思っていたのが、実は毒母の元で形成された性格でした。

毒母の後遺症
・愛されたいと常に思っているから好きな人ができると周りが見えない。
・厳しく育てられてるから人にも求めてしまう。堅い。
・突然大きな怒りが押し寄せてくる。
・溜め込んだものを吐き出そうとすると制御できない。
・話し合いができない。少しでも意見されると「もういい!」と話を切ろうとする。
・言葉遣いが悪い。
・本心を言おうとすると涙が出て話せなくなる

よくよく見ると突然怒るとか話し合いができないなんかは母親の性格と同じなのです。
旦那に指摘されて気づいた時はびっくりしました。
それからは少しでも私から母を引き剥がそうと考えを改めるのです。
簡単なことではありませんでした。
たくさん旦那と衝突しては話し合いの繰り返し。
それでも側にいてくれた旦那には感謝してもしきれません。
本当に人生の恩人です。



毒親で辛い思いをしている人へ

今では家族で幸せに暮らしています。
もしかしたら人によっては親不孝ものだ!と思うかもしれません。
親の言うことは当然。絶対だと思うかもしれません。
しかしはっきり言わせてください。

そんな考えはもう古い

昭和だったらあり得たかもしれない。

でももし同情心で母を優先していたら、
まだ構ってもらえるかもと期待し続けていたら
今の幸せはなかった。
旦那と出会って気づけたその時がたった一度のチャンスだった。
私はそれを逃さなかった。
誰がなんと言おうと賢明な判断だと思っています。

親は子供を育てた時の態度と全く同じ態度で老後面倒を見られるそうです。
子供を愛情持って育てていれば同じように愛情いっぱいで老後も接してくれる。
逆に貶しながら道具の如く育てていれば同じような扱いをされて死んでいく。

少なくとも私は母親にされたことを絶対にしない。
子供をそんな目に合わせない。
大切に大切に育てていく。
むしろ悪い手本を見せてくれたことが唯一感謝していることです。

もし親や兄弟にけなされたり、ほめてくれなかったり、暴言を吐かれて辛いと思っていたら。

少しでもこの記事を見てみてください。

辛いかもしれませんが、毒親は変わることはありません。

期待すればするほど彼らの思う壺なのです。

彼らはあなたを貶すことでコントロールしようとします。

モラハラな恋人と同じなのです。

あなたの人生は誰のものですか?

せっかくの人生、自分を1番に考えて大切にしませんか。

もしあなたを大切にしてくれる人が現れたら、人生を変えるチャンスかもしれません。

親や兄弟の言うことが当たり前ではありません。

勇気を持って家族にされてる仕打ちを第三者に打ち明けてみてください。

地獄のループから抜けるために今一度自分の気持ちと向き合って、悩み、自分のために生きましょう。

あなたの人生はあなたのものです。

少しでも多くの人が毒親の洗脳から抜けられますように。



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