留学
留学期間もちょうど半分になりました。
最近よく思うのですが、スマートフォンや携帯電話の無い時代に留学に行った先人たちは本当にすごいですよね。
今では、たとえスペインにいようとスイスにいようとスマホを持てば日本にいる友人や家族と即時に連絡が取れる。
海外に居ながらにして、一番甘えることのできる環境が手の中にあるのです。
日本で何が起きているか、即時に知ることもできる。
僕はこういう環境で留学できることをポジティブに捉えていますが。
時代が違えば、留学に踏み切る勇気がなかったかもしれません。
スマホというバーチャルな「日本」がすぐそばにあったからこそここに来れたのかも。
上述したように、「日本で何が起きているか、即時に知ることができる」という言葉には、逆の意味も含まれています。
情報の即時性が高まり、現地性が薄まっている現代では、ともすると留学するメリットは昔より少なくなっているのかもしれません。
それゆえに、留学することの目的をより深く考える必要があるのかなと感じています。
「留学」は昔より確実に身近なものになっているし、一般的にもなってきています。
ただ、目的の薄い学生が留学することも増えていることもまた確かかと思います。留学のハードルは良い意味でも悪い意味でも低くなっているのです。
目的や目標がある人にはぜひ海外留学をしてほしいと思います。
2年生の時にスペイン語を教わっていた先生がバルセロナで研究をされていてよくお会いするのですが、その先生がおっしゃっていたことですごい共感したことがあります。
それは、日本の一歩外に踏み出すと、肩書や所属が一切の意味を持たないということ。
この言葉には思わずうんうんとうなずいてしまいました。
確かにそうなのです。僕も日本では所属大学を言えばすごいと言われます。
所属や肩書で評価されるのです。
確かに嬉しいし、所属が僕の評価の助けになっていることを感じることはしばしばあります。
ですが、バルセロナで僕の大学を知っている人なんて、残念だけどほとんどいませんし、僕の大学のレベルがどうとかいうことを彼らは見ません。
逆に、個人としてどういう人間かをきちんと見て、そこを評価しているのです。(評価、といってもそんなに生々しいものではないですが)
これは心地のいいことです。すがすがしい気持ちになります。
日本で感じていたちょっとした優越感なんか、陳腐なものに思えます。
僕の留学の目標は、そういうくだらない呪縛から解放されて、中身で評価される人間に成長していくことです。
もちろん、評価に値する能力を身に着ける努力も怠ってはいけません。
ちょうど留学半分の節目、ということもあり、自戒も込めて感じたことを書いてみました。
日本な優秀な学生たちよ、日本の外に一歩踏み出してみるべし!!!!!!
こんな偉そうなこと言ってますが先日スマホすられました。
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