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クラシックを越えていけ

 あけましておめでとうございます。本年も何卒よしなに。

 ファッションや音楽をメインにしたブログを書いている。そこで去年の夏くらいから「クラシックなものはいいけれど、新しいものに目を向けることも怠ってはならない」みたいなことを、色んな言い回しで書いてきた(つもり)。

 クラシックなものが何故いいかといえば、いいものだけが残って、ぼくたちは結果だけを見ているからだ。
 ファッションに関して言えば、たとえばリーバイスの501だったり、ブルックスブラザーズのBDシャツだったり、コンバースのチャックテイラーだったりする。昔から愛され続けてきている、間違いのないものたち。
 でも、それらだって、リリースされて間もない頃は新作だった。新作に飛びついた若者たちが、現代まで残る名品にしてくれた。

 あらゆるものがそうだ。クラシックがいいのではなく、いいものだけがクラシックになった。
 それを忘れて懐古ばかりしていると、どんどん感度が鈍っていく。

 みたいなことを、色んな言い回しで書いてきた(つもり)。

 しかし、それでも、今のぼくはクラシックなものに惹かれている。

 クラシックなものというか……うまく説明するのは難しいしそれは前述のブログでやろうと思うのだが、ざっくりと「イギリスのロッカー崩れ、あるいはロック好き」みたいな格好がしたいのだ。
 別に鋲ベルトに革ジャンみたいなパンクスになろうってわけじゃあない。
 「イギリスのおしゃれな感じ」というふわっとした感じだとただメンズファッジに憧れている奴になりそうだし、音楽はぼくの骨幹だし。という感じで説明が難しいのでとにかく「イギリスのロッカー崩れ」だ。

 きっかけは、トレインスポッティングの1、2、そしてオアシスのドキュメンタリーであるスーパーソニックを観たことによって、これじゃん、この感じじゃん、ってなったという、特になんてことない話なんだけど。

 まるで今の流行に沿っていないものたちが、ぼくをどきどきさせた。
 好きなサッカークラブのカラーのシャツだったり、ケミカルウォッシュのLeeだったり、古着のM-51だったり、もみあげだけやけに長いマッシュヘアだったり。
 ロックと聞いて、知らない人はそれこそ鋲ベルトに革ジャンを想像するかもしれない。でも、そうじゃない。いや、それも間違いではないが、それだけじゃない。

 じゃ、何がロックなの?
 ひとつの要素として、自由であることだと思う。
 ギャラガー兄弟も、レントンも、とびきり自由だ。自分の思うように生きるし、それがうまくいかなくたって、その道を切り拓くために歩いていく。時には走っていく。

 そんな彼らに憧れるし、ぼくはアメリカよりイギリスのロック推しだ(アメリカも、悪くはない)。いやレントンになりたくは……ないか。

 流行っていなくても、世の中が認めなくても、自分が好きなものを好きだと表現する。
 それが生きていくことだと思うし、なんなら、そのために生きている、とも思う。
 自分が好きなものを、人の目が気になって引っ込めてしまう。そんな悲しいことはない。

 なんだか格好のつかない自分。しまらない自分。その生命線は、表現することをやめないことなんだろう。

 これを読んだ誰かに、大なり小なりの爪痕を残す。
 今日も生きている。好きなものを好きと言える自分は、結構好きだ。

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