バイクに乗るのが夢だった話2
カブ50での旅を投稿したいと思います。
僕の住む町は北海道の日高地方にあります。本州に渡るには、苫小牧から八戸・仙台・秋田・新潟・敦賀などへ渡る方法と小樽から舞鶴へ渡る方法、函館から青森へ渡る方法があります。節約のために函館から青森に渡るルートを使いたいのだけど、函館までは遠いのでカブでは苦しい。だから苫小牧からのルートが多くなります。
八戸をメインとして東北地方、新潟あたりを結構な回数ツーリングしました。給油すると必ずと言ってもいいほど「これで来たの?」と驚かれたりしたものです。ナンバーの「新冠」の文字を読めなくて「何て場所なの?」と聞かれたり・・・それはそれで楽しいコミュニケーションでありました。
小樽からフェリーで舞鶴に行っての旅が二度ありました。
どちらも、堺在住の娘と待ち合わせての旅です。一度目は舞鶴から兵庫県あたりを回って滋賀から経由、敦賀からの帰着でした。もう5.6年も前かな。
二度目は昨年。しまなみ海道への旅。
舞鶴から堺(娘と合流)神戸を経て尾道、しまなみ海道を乗って高松から神戸へフェリー、ここで娘と分かれて舞鶴へ。舞鶴から苫小牧へのフェリーに乗船し帰着。大方こんなルートでした。
網羅的な旅の記録はあまり綴る興味が持てないので、旅の中で印象的だった出来事を綴ります。
1回目の旅
その頃はまだ現役でしたから、夏休みを利用しました。テント泊を考えていたのですが、同行する娘に「真夏のテント泊は命の危険がある」とか「テントに泊まるなら私は同行しない」などと脅迫され、あっさりビジネスホテル旅となりました。舞鶴までは長旅で気持ちが踊っていたのを覚えています。
〜その1 フェリーでの出来事〜
舞鶴行きのフェリーは小樽発。夜中の出発です。娘とは舞鶴のフェリーのターミナルで次の日の21:00くらいに待ち合わせていました。20時間の船旅だ。
新潟沖に差し掛かった頃でした。船内に船長からアナウンスがあった。文言までは正確に記憶はしていないが、乗客の中に急病人が出たので、誰か医療関係者は乗客の中にいないか・・・というアナウンスだった。僕は「どんな急病なのだろう」と心配した。飛行機でも船でも事故ると運命共同体となる乗り物に乗った時、僕は勝手に全ての乗客と命を共にする一体感を感じている。その時もかなり本格的に心配した。一体感を共有する仲間だから。
同じアナウンスがもう一度流れた。「一回目では見つからなかったのだな」と激しく心が揺れた。何なら「教員免許ならありますがダメですか」と申し出ようと思った。乗客に不埒な奴がいたらその場を落ち着かせるくらいのことはできるかな・・・なんてことも思っていた。
その後、医療関係者がいたのかどうかはわからない。
しばらく時間が経過し、またアナウンスがあった。
「急病のお客様をヘリで搬出するので、船を減速する」という事だった。
大型の船です。わかる方も多いと思いますが、大型の船はブレーキで止まるようなことはできない。停止するにも原則するにもかなりの時間を必要とする。同時に一旦減速するとまた通常の速度に戻すにも時間がかかる。つまり、娘との待ち合わせには絶対に間に合わないということだ。娘に連絡しようにも電話は繋がらない。「圏外」なのだ。そんなことも考えながらでもあったが、急病の人の無事を祈りながら「どうやって運び出すのだろう」と思っていた。
明らかに船は減速し、ほぼ停止に近い状態になった。陸地の方向から「ドクターヘリ」がやってくるのが見えた。「かっこいいーーーーー」って興奮した。ドラマでしか見たことのない景色だったから。
ヘリは船のデッキには降りなかった。上空でホバリングしていた。「すごい技術だ」と思った。鳥肌がたった。そして、これもニュース映像などで見るのと同じ、スルスルと救急隊員が降下し、あっという間に担架に病人を乗せヘリに収容。あっという間に飛び去った。この間どれくらいの時間だったのだろう。ただただ鮮やかで、丁寧で見事なものだった。一体感を共有する他の乗客からも「よかったぁ」と拍手が上がった。
すごいものを見たと思った。娘と合流したら教えてやろう思ったのを覚えている。どれくらいの遅れになるかは不明だが、娘も子どもじゃないから到着の遅れを知る方法は多分あるだろうと割り切ることにした。
ヘリへの病人の収容の後、船内に再び船長からのアナウンスがあった。これはほぼ正確に記憶しています。
「皆様のご協力のおかげで、無事急病の方を搬出することができました。ありがとうございます。本船は目的地 舞鶴へ向け【全速力で】航行いたします。」
この「全速力で・・・」って部分が僕の胸に刺さった。かなりの時間のロスがあるのは一目瞭然。だから「全速力」で目的地に向かうという「定時運行を維持する決意」だった。プロ意識を感じたし、できることながら船長を激励したいと思った。「遅れたっていいですよ。あなたの判断とスキルに全てを委ねます」って。船内にどよめきが上がった。こんなことってあるか・・・それが正直な感想だ。
それから何時間経過しただろう。
船内に再びアナウンスがあった。あのスーパー船長からだ。
「乗客の皆様、ご協力ありがとうございました。みなさまのご協力のおかげを持ちまして、本船は目的地舞鶴に定刻通りに到着いたします」
今度はどよめきではない、船内で大きな拍手が起きた。「定刻通り、よかった」という拍手ではない。この船長やスタッフの働きっぷりに対する拍手だったと思う。少なくとも僕はそんな思いで拍手をした。「本当にやってくれたんだ」と。
定刻通りに到着し下船する際、船長には会うことてできなかったけれど(当たり前だ)、乗員のスタッフが見送ってくれるのだが、僕は「本当にありがとうございました。お見事でした。忘れません」って声をかけたのだった。
舞鶴港では娘が喫煙室でタバコをくわえて待っていた。
〜暗峠での出来事〜
「酷道」として有名な暗峠にも行ってみた。彼女のバイクは「セロー250」オフロードの名車だ。僕はカブ。パワーの差はどうしようもない。彼女が僕に合わせて運転することになる。暗峠では完全にカブが止まった。一速でも登れないのだ。
彼女は先に行ってしまった。僕はとんでもない斜度をカブ押しだ。
頂上に着くと、なぜか彼女はいない。僕がどこかで追い越したようだ。そんなことあるか?と思い、しばらく待ったが彼女は来ない。電話したが応答はない。仕方なく僕は再び峠を下った。娘を探しに行ったのだ。
途中、道から少し入ったところで彼女のバイクを見つけた。スマホも置いてある。僕は何事かあったのではないかと思った。スマホもあるから、彼女と連絡する術はない。僕はカブを置いて歩いて彼女を探しに行った。彼女が戻った時、僕がそこに来たということを伝えるためだ。
とにかく暑い日だった。35℃は超えていた。間違いなく。坂道を上る必要はないから、ひたすら歩いて下っていった。とんでもない汗が出ていた。
いくら探しても彼女は見つからない。「ひょっとしたら戻っているかも」と思い、急坂を再び上がってみたが、そこにはセローとカブがあるのみ。もう一度下ってみようと意を決した時、下から別のバイクが上がってきた。「峠を歩いている若い女の人はいませんでしたか」僕はそのバイクを止めて聞いた。どうやら下の方、本当に峠の入り口付近にその女性はいるらしかった。僕は再びカブに乗って峠を下って、汗だくで歩いている娘に出会うことができた。
「スマホ持って行きなよ」とか思ったが、そんなことは言わない。ただただ何事もなくて良かったと思った。自動販売機で飲み物を買って、二人で道端に座り込んだ。
話を聞くと顛末はこういうことだ。
彼女はあっさり峠の頂上まで行った。その時、僕と大きく離れていることに気づいて峠道を戻った。一番下まで。彼女も「何かあったのかも」とセローを置いて歩いて下ったのだそうな。その時僕は峠の頂上にいる。セローを置く場所が道路から少し入った場所だったので、ちょうど彼女がその脇道に入った時に僕は彼女を追い越してしまったのだ。
一緒に歩いて峠を上り、二台のバイクの場所についた。僕はそこから再びのカブ押しだ。彼女は「先に行ってるからね」と言い残して行ってしまった。こういう時「一緒に上がろう」とか言わないのが彼女の良いところだ。
汗だくで僕が頂上に着くと、峠の茶屋みたいなところで彼女は待っていた。「かき氷食べたいんだけど待っていてあげたから」と行った。
先に一人で食っていなかったのが彼女の優しさなのだろう。
〜ギリギリの航路選び〜
またまた娘の話になる。
帰りは、敦賀から苫小牧へのフェリーに乗船する予定だった。前日は三重県の津市に宿泊。どうやら荒天で予約していたフェリーが欠航になりそうな情報を入手した。同時に、出航時間の関係だろう舞鶴から小樽に行くフェリーは出るようであった。
苫小牧から我が家へは二時間ほど。夜着いてもその日にうちには家に着ける。だから苫小牧行きを予約したのだ。小樽から我が家へは六時間以上かかる。夜着いてからの六時間はかなりきつい。
でも夏休みとはいっても時間に限りがあるため、何としてもその日のフェリーに乗りたい。小樽からの六時間を覚悟して、便の変更をすることにした。ネットではやり方がわからなかったので電話をしたのだが、何度かけてもつながらない。そうだろう。僕と同様の事態になっている人がたくさんいるのだから。30分ほどかけ続けてやっと電話がつながり、小樽行きへ予約を変更した。
最終日、琵琶湖の近くのラーメン屋でのこと。どうやら天気が回復し苫小牧行きが出るということが分かった。再度、予約を戻したいが、ますますネットでは対応できずに電話をした。それこそまたまたつながらない。僕は完全に諦めてしまった。「諦めて小樽から帰るよ」と僕は娘に言った。
彼女は「ギリギリまでかけ続けてダメなら諦めたらいい」といい、彼女がフェリー会社に電話を始めた。間違いなく一時間近くは電話をしていた。リダイヤルして繋がらないと思ったらすぐ切ってリダイヤルを繰り返した。猛暑のラーメン屋の駐車場でのことだ。彼女は完全に意地になっていて「もういいよ」と言ってもやめない。そのうち、彼女の電話のバッテリーが切れてしまった。僕はバイクで旅をするときは必ず万が一に備えてソーラー充電のできるモバイルバッテリーを持っていく。旅の最中、彼女は隙あらばそのモバイルバッテリーをくすねようと狙っていた。彼女は言った。「バッテリーを出しなさい」
僕は素直にモバイルバッテリーを渡した。一時間を回った頃だ。なんと電話がつながった。そして、苫小牧行きの便に変更することができたのだ。「ありがとう、ありがとう」とありとあらゆる感謝の言葉を彼女に向けて発した。
彼女は言った。
「諦めちゃいけないんだ、ちなみにこのバッテリーはもらっておく」
彼女の電話のリダイヤル回数は500回を超えていた。
次回は「しまなみ海道への旅」を投稿したいと思います。