映画「若おかみは小学生!」の始め15分くらいを観損ねたら他の人とぜんぜん違う感想になってしまった
映画「若おかみは小学生!」を観ました。
交通事故で両親を亡くした小学生の女の子が祖母の家の旅館に引き取られ、一癖あるお客さんと接することによって成長していく…という物語です。
ただ時間、劇場の都合で開始15分くらいを観損ねた結果、僕はそのようには読み取ることができなくなってしまった、という話です。
※1度目は最初の15分くらい観れず、ウリ坊が天井にいるのをおっこが見つけるところから観ました。すぐに2度目を観ましたがバイアスがかかってもうだめでした。
※原作は読んでないです。
(僕視点での)あらすじ
家族で祖母の住む温泉街を訪れていたおっこ(関織子)。その帰りに、高速道路の対向車線をはみ出してきたトラックと衝突し、車は大破。おっこだけが無傷で助かりました。そのときに空に浮かんで消えてゆく幽霊の男の子(ウリ坊)を見ます。
そして両親が亡くなってすぐくらいでしょうか、おっこは温泉街で旅館を営んでいる祖母に引き取られます。そこには事故のときにも見た幽霊の男の子、ウリ坊がいたのです。
ウリ坊は旅館にずっといる幽霊で、生前おっこの祖母と仲が良かったと言います。そして事故のときに自分がおっこを助けたと言います。彼は生前おっこの祖母が子供のときに屋根から落ちたのを助けたのでした。
祖母が旅館の女将さんと板前さんにおっこを紹介しているとき、おっこの祖母のことを想うウリ坊は跡継ぎがいないこの旅館の跡継ぎにどうかなってほしいと頼みます。
その頼みに「跡継ぎ!?」と大声を出してしまったおっこは若おかみとして働くことになったのでした…
おっこは若おかみになりたかったのか?
以上が映画冒頭までなのですが、おっこは若おかみになりたかったのか?という疑問が映画の最後まで消えませんでした。
ウリ坊が旅館の跡継ぎになってほしいと頼んだと書きましたが実際は「旅館を手伝いますって言え!」というような感じでそれに大声で「旅館を手伝う!?」 とおっこが大声を出してしまったせいで話が進んでしまうのでどうもおっこの意志ははっきりしません。
そもそも事故にあって1ヶ月で精神的ショックはないのか?
おっこが旅館来るのは事故にあってすぐです。旅館にいる幽霊たちと仲良くなり、仕事を手伝ってもらったり、友だちになったりする一方で時々亡くなった両親が生きているような姿でフラッシュバックします。おっこの中で両親の死は受け入れがたいものだったのでしょう、夢で両親が出てきたり、ふとした時に両親の姿が見ええ、おっこに語りかけます。
おかみの仕事とおっこ
妻を亡くしたお客さんの息子とおっこは喧嘩をしてしまいます。そのことををおかみという立場で息子に謝るように祖母は言います。
宿泊していた占い師の水領はおかみとして頑張るおっこを気に入り、宿泊客とおかみと言う関係なしに友人として車でショッピングに連れ出します。水領はおっこに服を沢山買いますがおっこは「おばあちゃんに怒られないかな」とおかみの立場を気にします。しかし水領は「友人として」とプレゼントします。
幻覚と幽霊と現実
先述もしたようにおっこは両親の死を受け入れられないので外の風景に両親の姿が見えたり、起きたら両親の写真に供えてあったプリンがなくなっているのを両親が食べたと思ったりします。
同じように彼女にだけ見える存在が旅館の幽霊たちです。占い師の水領とドライブして過呼吸になったときに両親の幻覚をみて取り乱しますが幽霊たちをみて元気を取り戻します。その時幽霊たちのストラップ人形も一緒にいます。
こうなってくると両親だけでなく幽霊も、おっこが環境とおかみの仕事に疲弊した精神を守るためにストラップ人形から生みだした幻覚なんじゃないか?とさえ思えてきてました。
関織子は「おっこ」になる
両親が1ヶ月前に亡くなってからおっこが家族のことで泣いたのは一度だけです。それは(詳細は伏せますが)泊まりに来たとあるお客さんをきっかけにしただけです。その時に幽霊たちを探すのですが彼女には幽霊がもう見えなくなっているのです。
そして、泣き止んで最後に言うのは「いいえ、私は春の屋のおかみです」なのです。
正直この言葉が恐ろしかったです。この瞬間、彼女は関織子ではなく「春の屋のおっこ」になったのです。
初回視聴時にこの作品で何度も繰り返される「春の屋は誰も拒まない」というセリフが両親から発されたのを見逃したので自分の読み取った中での春の屋や女将という仕事の重要性が低くなってしまったのでしょう。
映画はきちんと全部見ないと読み取り方が変わったしまうという結果でした。上映時間には間に合うようにしよう。