音はケーブルを伝わって届く
僕にとってケーブルは大切な楽器のひとつです。2020年現在の文明社会で音楽を他人に届けようと思ったら、何かしらのケーブルを通さずに完遂するのってほんとに難しい。“アコースティック”と銘打ったライブの場ですら、会場には大小の差はあれどPAシステムが設置され、マイクロフォンやピックアップコイルで収音された音が電気信号へと変換され、途中さまざまな音響機器を介した先にある、大出力のアンプリファイアによる増幅を経た信号がスピーカーを通して空気を振動させ、はじめて聴衆の耳まで届くという何重もの電気的なプロセスが用いられているわけです。そしてこのプロセスの間にはほぼ100%と断言していいぐらいの確率で、何らかのケーブルが信号の橋渡しの役割を担い、音楽を誰かに届ける要素として存在しています。ライブに限らず録音でも放送でも、あらゆる音楽的な機器と機器の間をケーブルが繋ぎ、日々われわれ人間の耳へと音楽を届けるために持って生まれた導体抵抗と静電容量を発揮してくれているわけです。そんなケーブルに人類はもっと感謝をするべきだ。ケーブルに敬意を払え。ダイ・ハード3で飛んできたケーブルで真っ二つになったテロリストの人なんかは呑気に死んでないで泣いて喜べってんだ。あれはワイヤーか。
そんな現代の音楽を取り巻く環境において、エレクトリックギター・エレクトリックベースはケーブルの恩恵を最も受けている楽器の筆頭です。まず楽器にぶっ刺すシールドケーブルが1本無ければポソリとも本来の音を鳴らせない難儀な道具じゃないですか。僕はそんな楽器を専攻にしている人間なので、ケーブルを疎かにするのは自分の音を疎かにするのとほぼ同義だと考えています。だからこの自室の床にうず高く積み上げられたケーブルの山も決して無駄ではないのです。つい新しいケーブルを見かけると手にしてしまうのは必要経費なのです。浪費ではない。断じて浪費ではないんだ。
電気楽器を鳴らすうえで必要なケーブルの種類は数多ありますが、とりあえず今回はバンドマンにとって最もインスタントな消費行動の対象でもあるシールドケーブルの話です。大好きなんです。シールド。ベーシストは使い慣れた楽器とシールドが1本あれば、あとはもうスタジオのアンプ(ちゃんと整備されてるやつね)に繋げばそれっぽい音が出せてしまうので、僕はエフェクターよりも金をかけるべき機材(単体価格に限度はあるけど)だとすら思ってます。楽器屋の棚にも定番どころから聞いたことのないメーカーまで、いろんな商品が並んで誘惑してきます。店で買った完成品と自分でプラグと組み合わせて作ったものを合わせて30種類ぐらいのシールドを試してきましたが、シールド1本でアンプから出てくる音はだいぶ変わります。これが面白くて次から次へと新しい物に手を出してしまう。自分の楽器1本でスタジオを渡り歩くプロベーシストの中には、プリアンプやイコライザーのような感覚で複数種類のシールドを持ち歩いて、仕事に合わせて使い分ける人もいるといいます。ただこれ、僕のようなアマチュアはおそらく自分で演奏してるから違いが分かるのであって、人に聴かせてもかなりの高確率で「何が違うの?」って怪訝な顔をされるので、演奏者がケーブルを厳選する理由の大半は自分のためなんじゃなかろうか(演奏者であっても気にしない人はとことん気にしないし、マジで上手い人はケーブルの銘柄などお構いなしにヤバい演奏残してたりするし)。ちなみに僕も、バンドメンバーが素知らぬ顔である日突然使ってるシールドを変えても気付かないと思います。要は僕みたいな自分の意図した音を出せているか常に心配しているような人が、ケーブルに心を絡め取られていくのだろう。たぶん。
ともすれば僕自身はもはや音にこだわってどうこうではなく、シールドの自作そのものが楽しくなっちゃってるのも否めません。今は計り売りケーブルもプラグ単品も色んなメーカーの製品が驚くほど手軽に通販できるし、その組み合わせでやはり音は変わるので、あれも試したいこれも試したいとやってるうちに家の一角がケーブル置き場みたいになってしまいました。少しでもこの行為の実益を残しておくために例を挙げると、実際に試したものの中では僕的にはmogami2534が使いやすいです。静電容量値が低く、外来ノイズへの耐性も抜群に良い。学園祭学園でのベースの役割をアシストするのに申し分ないスペックを持っています。これにG&Hのプラグを付けて絶縁素材の編組チューブを被せたものを現在まで使っていますが、少なくともケーブル周りで深刻なトラブルに見舞われたことはこれまでありません。
今回のアルバム制作でも、あるスタジオでベース録音をする際に、手持ちの中でも優等生な2本のケーブルを選んで持って行ったら、片方(海外メーカーの結構高いシールド)はスタジオから見える東京タワーが発しているTOKYO FMの放送電波をかなりダイナミックに拾って卓まで届けてしまいました。これはもうスタジオと東京タワーとの位置関係と、発信されている電波の出力的に、アンバランス回路しか持たない電気楽器にとっては混線を避けるのがほとんど不可能ともいえる環境だったのですが、それでも持って行ったもう一方のmogami2534は、電波を拾いはしたものの比較的低いレベルにおさえてくれまして、結果的にこっちで録った音がOKテイクとしてアルバムに収録されています。楽器のシールドケーブルは音質も大事だけど、予期せぬ外来ノイズに強いのもマジで大事です。曲中の無音になるべきセクションで演奏者の意図を無視して照明由来のノイズとかをピーピー拾うケーブルは、即座に引きちぎって古新聞を出す時の縛り紐にでもしてやりたくなります。送るべき音だけをきちんと余さず送り、断つべき不要な音(とはいえノイズも立派な音であり、そういう音が必要とされる音楽や場面も確実にあります)はきっちり断ってくれる質の高いケーブルがあるからこそ、我々は余計なことに心を奪われず、音楽に集中して取り組めるのだと言っても過言ではないでしょう。少なくとも僕はそうです。まあ今もこの記事を書きながら通販サイトで見つけた新しいシールドに心奪われまくっていますが。
そんなことを書いていたら、もう『ユートピアだより』の発売が目前に迫っておりました。なんか偉そうな講釈垂れてきましたが、とりあえず現時点での我々の精一杯の音楽が収められたアルバムなので、とりあえずご興味ある方は聴いてみてください。「出会った時が新譜」とは僕が愛するスカパラの茂木欣一さんの言葉ですが、このアルバムは今この瞬間だけは、正真正銘言葉通りの新譜なので、古いものにはあんまり食指が動かないという方、なるべく新しいうちにどうぞ。