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【2022年11月フクシマ部現地ツアー】参加者レポートVol.1

こんにちは、グローバルシェイパーズ横浜ハブのひなたです🌞
今回から3回にわたって、フクシマ部主催の「福島スタディツアー」の模様をお届けします!

11月3日から5日、3日間にわたって開催されたプログラムを、1日づつ投稿していきます。一緒に福島に行った気持ちになって読んでいただけたら嬉しいです!

初回は、プログラム1日目。初めてこのツアーに参加したわたしからおはなしします。

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11月3日、朝9時の福島駅に続々と人が集まります。
かなり着込んできたのに、そんなに寒くもないな、と思いながら最初の集合場所「コラッセふくしま」へ。

今回で8回目となる「福島スタディツアー」。今回も全40名の参加者がそれぞれの場所から、それぞれの想いで参加しています。
当然知らない人ばかりの会議室は、ちょっとした緊張と、これから3日間へのワクワクにつつまれて、最初のプログラムが始まります。

福島大学 前川先生セッション

前川先生は関西エリアで長く教鞭を取られたのち、東日本大震災後の2014年から福島に移住されました。今はこの場所で福島大学教授として、非営利団体「福島学びのネットワーク」の運営者として、福島の教育の場で広く活躍されています。



「福島を忘れたら、人が人類たることをあきらめること」

生まれ育った関西から、震災後に福島に自身の拠点を移すことを決めた前川先生が、福島で教えることの意味をこう説明します。
原発事故をなかったことにしないために、原発から供給される電気で暮らしていた私達が事故を他人事と思わないために、県内外から福島大学に集まる学生たちの、地域を巻き込んだ活動を支援されています。

その中でも特に先生がご尽力されているのが、福島大学の地域実践特修プログラム(ふくしま未来学)です。
「福島で学ぶ」ことに焦点をあて、地域について実践的な力を養うために設定された科目群のことで、対象の科目を30単位を取得することで「地域実践特修プログラム」修了と認定されます。
プログラムの内容は学年によって大きく変わります。1年目は、福島の課題と魅力を知ることを目的とした政策提言型の学習、2年目の自主学習プログラムはより実践型の活動となっており、「高校生支援」「女性人口の流出抑制」「若者会議の運営」などそれぞれの興味分野に沿った活動を行っています。
講義にはこのプログラムに積極的に参加する福島大学の生徒3名も駆けつけて、それぞれの視点から福島で学ぶ意義についてお話を伺いました。


生まれ育った福島の「地元の良さ」を伝えるため、「何もないなら楽しいことをつくっちゃえばいいじゃん」と地元のフェスティバルを始めた学生。
震災当時は他人事に思っていたけれど、「福島にうまれたからと言ってあきらめることがあってはいけない」と高校生の居場所づくりや学びの支援をする学生。

「福島にうまれたからと言ってあきらめることがあってはいけない」
「福島はチャレンジする場」
「福島の子供をかわいそうと思ってほしくない」
「可愛そうだから助けたい、ではなく、ここから何かを学んで自分の街に活かしてほしい」
それぞれの思いで、福島を選び、ここで活動しています。

つい1年半前まで大学生だった私も忘れかけていた、
やりたいことへのモチベーションや、思いを形にする力、自分がやるんだという責任感を感じ、
「福島で学ぶこと」「福島で始めること」「それを福島で終わらせないこと」を考える時間でした。

※スピーカーのひとりだった本多さんは、当プログラムの一環として「女性の都市流出」課題に取り組んでいらっしゃいます。福島で描く女性のキャリアに焦点を当て、独自に作成した小冊子を、県内の高校や、都内の大学に配布しているそうです。
その小冊子「花束」に興味をもってお話をしたところ、「今日は冊子をもっていないので後日郵送します!」とのこと。
ご好意に甘えて送っていただくことになりました。
冊子をうけとったら、みなさんにもこちらでご報告します。


参加者はバスに乗り込み、東日本大震災原子力災害伝承館へと向かいます。
2時間ほどの旅路の途中、一人ひとり自己紹介をしていきます。普段何をしていて、なぜ今日ここへ来たのか。
日常では交差点のない専門・興味分野の人達が集まって同じ場所へ向かう、ちょっと異様で刺激的な空気に包まれてバスは伝承館へ到着しました。

東日本大震災原子力災害伝承館

福島だけが経験した原子力災害を世界に未来に伝えるために作られたこの施設は、2020年にオープンしました。
石巻の津波伝承館でも感じたことですが、更地となった海岸沿いに、新しくて大きな建物がぽつんと立っている図は、えも言われぬ喪失感と同時に、始まりの希望を感じさせます。

まず驚かされるのがその情報の量。
展示内容は目的ごとに主に3つに分けられます。「災害と復興の記録と継承」「原子力災害の経験や教訓」「地域コミュニティや伝統・文化の再生」
そもそも原子力発電所ができた経緯やそれからの歴史、震災前の街や人の生活、事故当時の詳細なタイムライン、震災からの学び、復興の軌跡と街の今、これからの取組み。
文章、実物の展示、映像など様々な形で情報にふれることができるようになっています。


さらに印象的だったのが、情報の質。
語り部の方からお話を聞く機会が、館内のいたるところに用意されていました。
私が参加した40分間の語り部セッションでは、震災当日に請戸でお仕事をされていた方のお話を伺うことができました。大きな揺れがあってもどうすればいいのか判断がつかずにしばらく仕事を続けていたこと、津波がくるなんて思いもしなかったこと、車で通りかかったおじいちゃんおばあちゃんを自分の車にのせてあげられずに、後に新聞の死亡者欄に名前を見つけたこと、
「その時何があった、よりもどう思ったかを伝えたいんです」という語り部の方の言葉通り、
展示ではわからない、ここでしか聞き得ない、稀有な学びの機会でした。


結局時間が足りず、展示の途中で駆け足でバスに戻りました。
プログラムで用意された時間だけではとても学びきれない量と質の情報。
屋上からの夕焼けがきれいだよとおしえてもらっていたのに、
また次回ゆっくりきたいと思います。


請戸小学校跡地


伝承館のすぐ近くに、廃校となった請戸小学校跡地があります。
15mを超える津波が押し寄せた校舎が被災しましたが、
当時の教頭が約2キロ離れた標高40メートルほどの大平山に避難を決め、教師・生徒全員が無事に津波をのがれました。

この場所は、原発事故による住民避難が一部解除されてから福島県初の震災遺構として整備され、2021年から一般に公開されています。


砂まみれのPC、ぬいぐるみ、校長室の金庫、曲がった時計、
震災遺構として残されている小学校はこれまでもいくつか訪れましたが、請戸小学校のように震災当時のまま保存されているところは数多くありません。


浸水を免れた校舎の2階は、展示室になっています。
当時請戸小学校に在校していた生徒は、その後県内外に避難しそれぞれの新たな生活を始めました。卒業生や保護者が請戸小学校へ、請戸へ、請戸から全国へ散らばってしまった仲間へ向けてへのメッセージが、黒板に、作文に記されています。

震災前の請戸の街の模型には、google mapでは見えない、みんなの思い出の場所が示されていました。
「ラーメンが旨いとこ」「夕焼けをよく見てた」「〇〇さんち」「プロポーズされた場所」

展示室をあとにして、校舎の外に出てみました。
天候に恵まれた福島ツアー、透き通った空に、秋の雲、ピンク色の夕焼けが広がります。
かなり向こうに見える小高い山。それが震災当時生徒・教員が避難した大平山です。
自分が小学校1年生だったら、今の半分の体だったら、どんなに遠く思えただろう。
自分が先生だったら、何十人もの子どもたちを無事に避難させる責任を果たせただろうか。

順路の最後に展示されていたパネルです。
「あなたにとっての大平山はどこですか?」

福島を訪れることは、震災当時のことを知ることだけではありません。
天災は誰にでも、いつでも起こり得る。その時あなたはどうしますか。防災への意識を問う、未来につなげる学びの場でもあります。


夕焼けがきれいすぎるその1

ホテルへの帰り道、油絵みたいに濃厚な夕焼けが空にどーんと広がっていました。
ひとしきりみんなで写真大会に。

グループワーク

はじめましてだらけの緊張感か、朝が早かったからか、
整理する間もなく流れ込む情報量に、頭も心もフル稼働でいたせいか、
このころにはもうぐったりでしたが、一日目の最後プログラムが始まります。


「探究学習」をテーマに掲げる今回のスタディツアー。
参加者たちはテーマ別のグループに分かれて、それぞれ一つの問いを決めています。
3日間を福島で過ごすなかで、
「このスタディツアーを通して考えたい「問い」はなにか」
「その問いに対するモチベーションはなにか」
「問いに答えるには、どんな情報が必要なのか」

私達のグループでは「まちづくり」をテーマに選びました。

この日最初の気付きは「まちづくり」の定義がとてもあいまいで、いろんな意味を包含するということでした。
ある人は、建築の視点から、ある人はITの視点から、私は人のつくるコミュニティの視点から、まちづくりに興味を持っていました。
議論は、まちづくりから「街」そもそもの定義の議論になり、これが私達の問いに繋がりました。

「街ってそもそも何だろう?」 
地理的な結びつき?同じ属性(仕事、年代など)の集まり?
「街に求めるものって何だろう?」
家族?仕事?食べ物?安心感?刺激?挑戦?
「今福島にいる人が、ここにいる理由ってなんだろう?」

私達なりに仮説を立ててみました。
ある人は「今福島にいる人はなにか共通の目的を持ってここにいるんじゃないか」
またある人は「みんな目的や理由は違うけれど、それが重なった先がたまたま福島という地だったんじゃないか」

明日からのツアー中、できるだけたくさんの地元の方にインタビューをして、この答えを探していくことになりました。

一日目のおわり

お夕飯とお風呂でさっぱりしたわたしは、すこしエネルギーを取り戻し、同じくまだ元気のあった参加者たちとしばらくおしゃべりをしていました。
どんなことに興味があるのか、なぜこのツアーに参加したのか、今日何を思ったか、福島の美味しいおつまみとお酒のちからも少し借りて、おしゃべりにはながさき、すっかり夜更かししてしまいました。


夕焼けがきれいすぎるその2


「広島=平和、では福島=何でしょうか」
前川先生が講義のはじめにホワイトボード書いた、参加者みんなへの問いです。

中高6年間、部活の大会で毎年福島を訪れていた私は、福島が大好きでした。
大会の予選と本戦の間には、練習もそこそこに会津にいって、喜多方にいって、飯坂温泉にいって、かりんとまんじゅうとままどおるを食べて、部活の先生や友達とのかけがえのない思い出をたくさんもらいました。
今日1日を過ごして、中高生の私は、浜通りを、震災を、原発を見ずに作った「自分の福島」が好きだったんだなと気づきました。

前川先生の問いに、たった3日間で答えを出せるとは思いません。
でも、今日の、そして明日あさっても待っているだろうインプットの洪水の中で、
自分が今知っていることはなにか、知らなかった(知ることを避けてきた)ことはなにか、
それを知って、自分の頭が考えたいこと、心が感じたいことはなにか、
に近づくためのヒントにできそうだと思いました。

自分にとって福島は何なのか?
日本にとって福島は何なのか?
世界にとって福島は何なのか?

プログラムは明日明後日と続きます。


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地域実践特修プログラム(ふくしま未来学)
https://www.fukushima-u.ac.jp/pro/coc.html

東日本大震災原子力災害伝承館
https://www.fipo.or.jp/lore/

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