もし本当に最善を尽くしていれば、失敗を気にかけるひまなどなくなる。
≪ 今日の名言 ≫
もし本当に最善を尽くしていれば、失敗を気にかけるひまなどなくなる。
(ロバート・ヒリヤー アメリカの詩人)
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最善を尽くすことに意味があるのですよ。
反省しても意味は無い。
失敗する前に、最善をつくす努力をしたのかどうか、これが問題なのですよ。
最善を尽くさないで失敗するのは、失敗を積み重ねるということにも繋がります。
審判は自分の判定に疑念を持ってはいけないとも書かれているはずですね。
常に周囲の反応を気にして、自分の判定を判断しているとすれば、最善を尽くしているとは言えないわけです。
常に一生懸命に判定することで、自分の判定の精度は格段に向上するのは間違いないです。
周囲の反応を気にしている審判は、絶対に技術の向上はありません。
ですから一生懸命に判定することだけに意識を集中することです。
そうすれば、失敗は気になりません。
ですが、失敗したという意識がないと次にはつながらないのは言うまでもありません。
つまり、自分の判定を守るためには、一生懸命に最善を尽くして判定する以外にないのです。
精神的に強くなるには、この繰り返しです。
最初から強い人などいないのですからね。
「審判の裁定は最終である」という意味はそういう意味なのです