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ライ太が突然いなくなって1ヶ月が経ちました

どうも、がーすーです。
ライ太が亡くなってから1ヶ月が過ぎましたが「あの信じられないことが起きて気がつけば1ヶ月か」と思ったり「色々と考えすぎて1日が長い…」と思ったり不安定な感じで過ごしています。特に寂しさの波が大きく、波の頻度は増え、間隔も短くなっている気がします。

グシャグシャと日々が過ぎ去って振り返ることができなくなってしまうのはなんとなくイヤなので少しだけまとめました。

遺影代わりにGoogle Nest Hub

Googleフォトにライ太の写真を全て入れてランダム再生して骨壷の横に置いています。不意に目に入る写真から想い出が引き出されたりしていいアイディアだったなと思います。気分の波が激しい時は悲しみが大きくやってくるので悩ましいですが…

それでも日常は進んでいく

当たり前のことですが、ライ太を失った悲しみに暮れていても「あんなことやこんなことしてたなあ」と思い出していても日々は進んでいきます。

娘はどんどん出来ることが増えているし、自分も友達と遊びに行ったりご飯食べたりもする。新しい家も着々と工事が進んでいる。

残されたひもまるのことも当然気になっていて、ライ太とくっついている時間が本当に長かったのでひとりで寂しくないだろうかとか、少しでも普段と違う行動をすると「体調不良か!?」とすごい心配になったりします。

長年連れ添ったパートナー感がある、特に血縁もないボーイズ

すべてライ太に繋がっている

そして、日々考えることがライ太と全て紐づいてしまい悲しみや喪失感に拍車をかけることがあります。「娘が大きくなったらどのように遊んでくれたんだろう」と考えたり「2匹ならよかったけどひもまるだけ残して長時間出かけるのはどうだろう」と遊びの予定を躊躇したり「新居では2匹で遊べる仕掛けをいっぱい考えて作ってもらっているのになあ」と申し訳無さと悲しさが同居した様な思いを設計事務所の方々に抱いたり…

娘の成長は喜ばしいことだし、遊びに行かないとか楽しまないと考えるのも違うし、新しい家は猫たちのためだけでなく娘を想ってのものでもあるし、など気持ちを切り替えようとするんですが、自分の悪い癖である「ネガティブイベントに全体を引っ張られてしまう」が発動してまうのでそこは治していかないとダメですね。これから先もっと大変になっちゃう。

改めて人生の有限性を意識する

この悲しさから学ぶことはやはり「後になって後悔しないように日々を過ごす」ということに尽きます。

大切な人との時間を作り出すのは結構難しくて、

  • 自分たちがその時間を作り出す

  • 相手がその時間を作ってくれる

  • 全員が健康でトラブルも抱えていない

これらが揃わないと会えないとなると、少なくとも自分が時間を作らなければ、会いたかったのに会えないまま…ということが起こりそうな気がします。

そして、まだ小さい娘と違い自分達で生活できてしまう猫たちとの時間は本当に意識しないと日々の育児や仕事にどんどん押し出されてしまいます。「最近は全然構えていなかった…」という後悔をライ太で経験しているので絶対に繰り返したくない。

とりあえず、ライ太が亡くなってからはひもまると過ごすことを意識して、一緒に寝る日を増やしたりしています。あらためてごめんね、ライ太。

股の間でくつろぐひもまる

仕事への影響

職業柄、メンタル不調と付き合いながら働く人と話す機会やどうしたら働く人が健康になるかを考えることが多いですが、正直ここ最近は面談に身が入らなかったり、考えがまとまらない日もあります(ライ太のせいだけにするのは言い訳っぽいけど)。そんな中で、悪くない変化を強いて挙げるなら、体調不良とプライベートの問題がリンクしている人により共感できるようになったことかなあ。

折り合いをつけながら、悲しみの波やそれによる調子の悪さも受け入れながら働いていけるようにしたいと思います(もちろん期待される役割は果たしながら)。

また、「時間は有限だ」や「悲しみは乗り越えていこう」といったよく聞いたり見たりするフレーズは自分のことになると受け止めたり実践したりするのが難しいんだと気づきました。それでも意識しないと後で辛いことが待っていると思うので頑張っていきます。そして同じような経験をしている人にも言葉は選びつつ受け入れていくことを について伝えていきたいと思います。

ライ太のおかげでいろいろと考えて少しだけ成長しました。
ありがとう。

加湿器を警戒するライ太

おまけ:こんなこと呟いてました

2年前にこんなこと言ってました。結局準備は全然できなかったけど、亡くなった時にみなさんからいただいたコメントは本当に癒されました。ありがとうございました。

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