アドバンス・ド・蜜の味 7
数日後の日曜日――。
葛藤している。朝から黒川くんとコンパル大須本店で二人で朝食を食べている。これから彼といっしょに豊川稲荷へ行く予定だ。というか本当は金山駅で待ち合わせて名鉄に乗って向かうはずが、私が寝坊してしまって「じゃあ家まで迎えに行きますよ」と言うのでやんわり断ったんだけど「今ちょうど上前津なので降りて適当にどっかで朝飯でも食べながら待ちますよ」と言うので、ならいっしょに食べようかということで今、いっしょに食べているのだった。
わざわざ迎えに来てくれるなんて少しでも私と早く会いたいらしい。そもそも二人off会と称して何度も会ってる時点でこうなることはわかっていた。でも彼はまだ大学二年生なのだ。このまま順調に卒業して就職して収入が安定して「そろそろだな」なんて感じになるのが最短で5年後だとして私はそのとき29歳になってしまう。そんなに待ってられるか!。
ほんじゃあいっそのこと子どもつくっちゃおうかという奥の手もあるのだけれど、正直そこまでしてしがみつきたい相手でもないのだ。もちろん黒川くんとは気が合うし喋っていても楽しいし米津玄師みたな髪型もよく似合ってるし好きじゃないわけではないんだよ?。でもこのまま恋愛に突入したところで絶対に結婚というゴールにはたどり着けないことがわかっているから無邪気に踏み出したりできないの。
じゃあなんで呑気にデートなんてしてるのかと言えば行き先が豊川稲荷だからに決まってる。いっそのこと吒枳尼天様にスッキリ別れさせてもらおうっていう魂胆の綾目なのであった……。
――綾目さん?
気がついたら黒川くんが呼んでいた。「もしかして別の世界にトンでました?」「ちょっとね」そう言って私は笑ってごまかした。レトロな雰囲気の店内はブドウ酒色のベルベット生地の椅子が立ち並び、独り新聞を読むおじさんや朝からテンションの高いおばちゃんたちでにぎわっている。間仕切りには観葉植物が植えられ、壁の台には今どき珍しいブラウン管テレビが鎮座している。
♪~。
出し抜けにスマホが鳴った。珍しく兄・哲道からだ。何かあったのかな?。隠れて出るのもヘンだったので「ちょっとごめん」電話に出るとその内容はとても奇妙なものだった。
――よぉ。
どうしたの。
――お前、アイドル好きだったよな。
うん、それがどうしたの。
――アドバンスなんとかってグループ知ってるか。
蜜の味でしょ。なんなら箱推ししてるけど……。
次の瞬間、兄の口から思いがけない名前が飛び出す。
――実は中村のシュン坊から仕事の依頼でな。そのアドバンスなんとかってグループに詳しい人間を探してたんだがちょうどよかった。お前ら知らない仲じゃないよな。あいつの話を聞いてやってくれねえか。
いったい何がどういう事情で古本屋のオヤジにそんな仕事の依頼が?。意味がわからなかったけど断る理由もないのでひとまずOKしたのだった。中村先輩とはそこまで親しいわけではない。私が猫ヶ洞高校の文芸部に所属していたのは一年生のときだけで二年生になったら転校してしまったのだから……。
まあ、その1年間にとんでもなく色んな騒動があったわけなんだけれど今となってはすべていい思い出だわ。あの出来事を除いては!。
今から9年前――
新学期。猫ヶ洞高校一年の教室はもっぱら「扶桑姉妹」の話題で持ち切りだった。スポーツ万能でコミュ力の化け物でスーパー陽キャな妹・夏美と学業成績トップで高嶺の花で清楚で気品あふれる姉・真冬という漫画の世界から飛び出してきたような二年生の美人双子姉妹はすでに校内で有名人となっていた。
私はそんな扶桑姉妹という学園のアイドルを間近で見てみたいという邪な動機のみで当時、仲の良かった友達といっしょに文芸部のドアをノックしたのだ。でも実際に入部してみると噂は噂でしかなかったことを私は痛感するのだ。
扶桑姉妹の妹・夏美先輩はたしかにスポーツ万能ではあったのだけれど正直コミュ力の化け物というよりもいちじるしく精神年齢が低いだけであり、社会常識やデリカシーといった概念をいっさい持ち合わせておらず他人のパーソナルスペースにずかずかと土足で入ってきては嵐のように去っていく、ひたすら暴力的でひたすら傍迷惑なだけのひとだった……。
一方、姉の真冬先輩はたしかに学業成績トップではあったのだけれど正直見た目の印象は清楚というより地味の一言であり、普段はひたすら黙って読書しているだけで、いざ喋りだしたと思ったらモンゴル舞踊の話とか粘菌類の話とかチンプンカンプンなことを言う、高嶺の花というよりも常人には接し方がわからなすぎて敬遠されてるだけのひとだった……。
私には中学生時代にモテたという自負があったし、この程度の姉妹なら勝てると思ったの。それに私はそんなサイコパス姉妹に挟まれていつも苦笑いしている池下寧太先輩に心を惹かれていた。いや、惹かれていたというよりも私は彼がサイコパス姉妹に振り回されている姿を見るのが耐えられなかったのだ。
たぶん憧憬に胸をふくらませて勝手に大きくなっていた扶桑姉妹のイメージと実像との落差があまりにもひどかったもんだから私は勝手に幻滅して、勝手に裏切られた気持ちになって彼女たちを目の敵にしていたんだよ。そんなとき耳にしたのが「恋愛の神様」を祀るほこらの噂だった。噂に裏切られた人間がこの期に及んで噂に頼るとは何とも皮肉な話だよね。
何なら今現在も噂に頼ろうとしてるし……。
どうしよう。私、ぜんぜん成長していないや。笑。
でもあの忌まわしき「血の池事件」が勃発して私の目論見は水泡に帰してしまったわけなんだけれどもそんなことでめげる東山綾目ではない。神の御加護など要らぬと言わんばかりに私は次の日から池下先輩への猛攻アプローチを開始。やがて部活帰りに鹿子殿神社でデートする仲にまで関係性を築くことができたのだった……。
――ねえ、綾目さんってば!
気がついたら黒川くんがキレ気味で私を呼んでいた。
「今日の綾目さん、何か変ですよ」心配そうな彼に「そう?。いつも君はこんな感じだけど」返してあげた。朝食を取り終わった私たちはコンパルを出て上前津から地下鉄に乗り金山へ到着。そこから10時47分発の急行列車へ乗り込んだ。
ちょうど二人掛けの席が空いたので私がそこに座って彼を促す。となりに座った黒川くんは何だか緊張している様子で、握りこぶしを2つひざのうえに置いて固まっていた。電車はここからひたすら西へ向かう。所要時間は約1時間だった。
車窓を流れる町並みを眺めながら私は兄から相談されたことを黒川くんに話そうか悩んでいた。どうして中村先輩が蜜の味のことを詳しく知りたがっているのかはわからないけど、それなら私より黒川くんのほうがよっぽど適任だ。彼ほど蜜の味に詳しいオタクはそうそう居ないのだから……。でも黒川くんとは現在、非常にデリケートな関係なので下手な約束して「やっぱダメでしたー」みたいなことはしたくないんだよ。まあデリケートな関係って言ったら私と中村先輩もそんな感じなのかな。
あれは池下先輩と神社デートをしていたときだった――。
私たちは境内の隅に設置された青いベンチに座りいつも、学校のこと、家族のこと、テレビやアイドルのこと。色んなことを話した。その日はたまたま夏美先輩の話になった。彼は夏美先輩が今まで校内で巻き起こした騒動の話をしてくれた。
一年生のときに三年生のオタク先輩たちにランニングや筋トレをやらせてムキムキの体にさせてしまった話や、そのひとたちを驚かせるために校舎の壁をよじ登って3階の窓から部室へ入ってき話や、そのひとたちを引き連れてなぜか野球部へ試合を挑みに行った話など……。むちゃくちゃなエピソードを本当に楽しそうな笑顔で話してくれるのだ。そして最後にこんなことを言ったのである。
「夏美は、周りの人間を元気してくれる太陽みたいな子だよ」
私はその言葉に虫唾が走った。たぶん池下先輩は本当に心からそう思っているのだろう。だからこそ私は許せなかった。悔しかった。
キスして下さい……。
――え、どうしたの。突然の要求に彼の顔から表情が消えた。先輩、私のこと好きなんですよね。だったらキスして下さい。わ、わかったよ。でもここじゃあ。彼が言うので私たちは誰にも見られないよう本殿の裏へまわった。彼の両肩に手を置いて目をとじ顔をうえへ向け「どうぞ」と私は言った。でもいくら待っても唇が重なることはなかった。そのとき……。
「早くやれよ!」
境内の角から突然、部長(中村先輩)が飛び出してきたのだ。すると池下先輩はその声によっぽどびっくりしたのか信じられないことに私を置いて一目散に逃げていってしまった。私は恥ずかしいやら情けないやらで感情がぐちゃぐちゃになっちゃって「もう~、何なんなんですか~!」ブチギレて部長に迫った。
すると部長は私をキス魔だと勘違いしたのか、両手を前に突き出して「待ってくれ、俺は夏美と付き合ってるんだ」口走ってくるものだから、その瞬間、私のなかで黒い閃きがピカーッ光ってしまったんだよ。
むしろ好都合だと……。
どうやら、部長と夏美先輩は去年の夏休みから付き合ってたらしい。だったらこのひとを奪っちゃえばいいじゃん。そうすればさすがの夏美先輩もへこたれるでしょ?。なんて私は思ってしまった。ああ、なんてバカなことしたんだろう。
……稲荷~、豊川稲荷~。
嫌な思い出にふけっていたら目的の駅へ電車が到着したようだ。ふと隣をみると黒川くんは目をバッキバキに充血させながらこの電車に乗ったときとまったく同じ体勢でそこに座っていた。
「大丈夫?」聞いたら「綾目さんの太ももが自分の足に触れては失礼だと思いずっと固まっておりました!」なんて軍人みたいな口調で言ってくるもんだから私は「誠に御苦労であった!」敬礼で返してあげた。
楽しいデートになりそう。
豊川稲荷は駅から歩いて5分のところにある。駅前通りはアーケード街になっていてたくさんのお土産屋さんが並んでいた。名物・いなり寿司のお店もたくさんある。ただ日本三大稲荷と言われるわりには日曜日だというのにそこまで観光客で混んでいるというほどでもなかった。
私たちは微妙な距離感を保ちつつ総門をくぐって境内へすすんだ。すると黒川くんが口を開いた。
――ここは豊川稲荷って言われてますが実は神社ではないんですよ?。日本には昔、神仏習合という神道と仏教を融合させようというムーブメントがあってそのときに稲荷神はインドの女神である吒枳尼天と同一視されたんです……。
私は「へーえ」生返事しながら前を行く彼に付いていった。なんだかテツ兄ちゃんにそっくりだ。やがて大きな石鳥居の左右に狛犬みたいにして大きなお狐様の像が鎮座している光景が目の前に現れた。お狐様の像が真っ赤な前掛けをしているのを見て「かわいいー」喜んでたら「どこがかわいいんすか!」と返ってきた。
一番目の鳥居をくぐって、道幅が20mくらいある大きな石畳の参道をすすむ。縁日の日にはここに出店が立ち並ぶという。手水舎で手を清め二番目の鳥居をくぐると大本殿に到着した。ここにも狛犬みたいに設置されたお狐様の像が真っ赤な前掛けをしている。さっそく参拝だ。
ねえ、何をお願いするの。
――言えません。他人に言ったら叶わないので。
どうせガルルのことでしょ?。こないだ言ってたじゃん。
――ノーコメントで。
ねえ、どうやるんだっけ?。
――ひたすら合掌しててください。
なぜかちょっと投げやり気味で返ってくる。ねえ、おみくじ引こうよー。参拝を終えるや否や彼の腕を引いておみくじコーナーへ走った。さっそく賽銭箱に百円を投入しおみくじを引く。結果は……。大吉!。
やった~。ねえ、見て見て。喜び勇んで彼に見せに行くと「よかったですね」テンション低めのやつが返ってきた。黒川くんも引いたら?。聞いたら「僕はいいです」だってさ。そういうとこだぞ。
私たちはそれから霊狐塚へ向かった。石段をくだって本殿から張り出した縁側の下をくぐり抜けると唐突に杜が現れる。そこから参道を進みつづけて景雲門をくぐり抜ける。すると目の前に現れたのは狐、狐、狐!。
そこには真っ赤な前掛けをした小さなお狐様の像がビッシリと並んでいたのだ。しかそれぞれお顔が微妙に違ってとてもかわいい。
ねえ、いっしょに写真撮らない?。
――写真はちょっと……。
なぜ断る。ノリが悪いったらありゃしない。
ちょうど昼時だったので私は黒川くんに豊川名物・いなり寿司を所望した。さっそく私たちは境内から出て豊川いなり表参道という古い商店街の専門店へ入った。店内は和モダンな雰囲気でそこかしこに狐のマスコットが飾られていた。思わずキョロキョロしていると黒川くんに「そんなにキョロキョロしないで下さい」注意されてしまった。なんでダメなんだよ~。
豊川いなり寿司は例えるならコンビニのおにぎりのいなり寿司バージョンといった感じのB級グルメだ。梅、昆布、五目といった様々な具はもちろん、ピンクとか緑とかカラフルな揚げのやつもある。
うーん、どれにしようかなあ~。私は15分くらいかけてメニューを決め店員さんに注文をした。向かいの黒川くんを見るとなんだかぜんぜん面白くなさそうだ。どうしたの。さっきから暗いぞ。聞くと彼は「すみません」と言って言葉を詰まらせたあと意を決したように口を開いた。
――実はその、昨日、バイト先の女の子から告られちゃいまして。
よ、良かったじゃん。どういう子なの?。
――はい。僕はカラオケ屋でバイトしてるのですがそこの後輩です。
で、OKしたの?。
――なんでOKすることが前提なんですか!。
逆に何でOKしないのよ。
――綾目さんのせいですよ……。
えっ?。
――告白されたとき、僕はこないだ綾目さんに言われた「恋愛はお互いを傷つけ合うもの」って言葉が頭に浮かんできたんです。こういうことだったのかって腹に落ちましたね。相手の都合なんて考えない。とにかく何が何でもエゴを押し通すっていう強い利己的遺伝子を持った者だけが楽しめるデカダンス。とにかく何が何でも子孫を残したいっていう強い動物的本能をもっている者だけが勝ち残れるデスゲーム。もしそんなものが「本当の恋愛」だとしたらやっぱり僕には無理です……。
そう言って黒川くんは絶望みたいな顔をした。
そうかあ。そういう風に考えちゃうかあ。でも私が何か言い返そうとしたとき、店員さんがいなり寿司を持って登場したので私の心は一気にいなり寿司になってしまった。わー。美味しそうー!。
テンションが上がる。黒川くんはそんな私を「彦麻呂ですか」腐してきた。逆にこんな美味しそうな料理を目の前にして彦麻呂にならない人間なんているの?。言い返すと「知りません」だってさ。笑。
いなり寿司を一口ほおばる。
とりあえずさあ、もぐもぐ……。付き合っちゃえば?。
――食べながらしゃべらないでください。僕は人生における重大な選択を迫られてるんですよ?。それを、とりあえずってビールですか?。
なんだ、つまんないなあ。
――べつに僕はあなたを楽しませるために生きてるわけではありませんからね。僕の人生はもはや「余生」みたいなもんなんですよ。だって子孫を残すという生物最大の目的を放棄しているわけですらから。だったら僕は残りの人生を自分を楽しませるために生きようって決めたんです。他人を楽しませてるヒマなんてないんですよ。
そう言って黒川くんは、いなり寿司に齧りついた。そういえば夏美先輩も同じようなことを言ってたっけ――。
高校一年生のとき私は問題を起こして以来、文芸部に居づらくなりそのまま幽霊部員になっていた。そんなとき声をかけてきたのがよりによってあの先輩だったのだ。それはとある放課後のこと。帰り支度をしていたら……。
「綾目ちゃん見~っけ!」
背後から私を呼ぶ声がした。振り向くと夏美先輩が満面の笑みを浮かべて立っていたのだ。「な、なにやってるんですか先輩、ここ一年生の教室ですよ?」慌てて言うと彼女はイタズラっ子みたいな表情を浮かべながら「知ってる」勝手にうしろの机のうえに腰を下ろしてきた。突然の上級生の襲来にざわつくクラスメートたち。
しかもそれが校内一の有名人「扶桑姉妹」の妹・扶桑夏美と来たもんだからただごとじゃない。もしかして私ボコボコにされちゃうのかな。恐怖で震えていると彼女は「なんで来ないの」笑顔で聞いてきたのだ。おそるおそる答える。
だって、私……、部長と……。
――そんなことぜんぜん気にしてないよ?。
先輩にひどいことしてしまったのに。
――なんとも思ってないよ?。
でも……、戻れません……。
――大丈夫、あたしがなんとかするから。
夏美先輩は終始笑っていた。なんで、なんで笑ってるんですか?。私は彼女がまったくへこたれてないことに苛立ちを感じて、まだ数名の生徒が残っていたのだけれどついつい声を荒らげてしまった。私は先輩の彼氏に手を出したんですよ?。キスしたんですよ?。なんで何とも思わないんですか!。ドン引きするクラスメートたち。
でも夏美先輩はこれっぽっちも動じることなく、綾目ちゃんだけには本当のこと教えてあげると言って私の耳元へ顔を近づけると「あたし、たぶん23くらいで死んじゃうんだ……」耳打ちしたのだ。
――だから残りの人生、楽しまなくちゃね!。
彼女はそう言って飛びっきりの笑顔でガッツポーズをみせた。そのときは意味がまったくわからなかった。正直、このひとやっぱりサイコパスだとしか思わなかった。でも彼女が本当に23歳で亡くなってしまったことを私はあとから人づてに聞いて愕然としたのだ。何かの病気だったらしい。
彼女は彼女なりに一生懸命だったんだ。そう思ったら私はあのとき夏美先輩に対して素直に謝れずそれどころか盛大に逆ギレしてしまったことを猛烈に後悔した。正直、今でも後悔している……。
そういえば風の噂によると中村先輩は夏美先輩と死別してから姉の真冬先輩と再婚したらしい。それってどういう奇跡なの。今度、会うとき質問攻めにしてやろう。
ご馳走様でした。
15時48分。金山駅に到着――。
二人はここから地下鉄名城線に乗ってそれぞれ家へ帰るのだけど私はちょっと駅前のアスナルで買い物してから帰ると彼に告げた。名鉄の改札口を出る。だだっ広いコンコースを忙しなく行きかう人々を横目に見ながら黒川くんは「そうですか」とだけ言った。私はそんな彼に構わずズンズンと人混みを分け入っていく。
すると彼は勇気を振りしぼるように「綾目さん」私を呼び止めた。びくっと振り返るとそこには深刻な表情を浮かべた黒川くんが棒立ちしていた。
「あの、これからの僕たちのことなんですが……、もうこうやって二人off会をするのは最後にしませんか」
人混みがひたすら私たちを避けるように流れていく。
コンコースのど真ん中で告げられた終止符宣言に「そ、そうだよねー、私もそう思っていたんだよー」私は精一杯の笑顔で答えた。その声は自分でもわかるくらい震えていた。
私も二人で会うのは違うって思ってたの。これからは普通のoff会で会いましょ?。そう言うと彼も「ですよね。ああ、危なかった」表情を緩めた。危ないってどういう意味だよ。明るくツッコむと黒川くんはつづけてこんなことを言ったのだ。
「綾目さんのこと、好きになるところでした。笑」
バカ。そう言って私はその場を逃げるように駆け出した。なぜか涙があふれてきた。せっかく吒枳尼天様が私の願いを叶えてくれたのに……。黒川くんを諦めさせてくれたのに……。どうして涙が出ちゃうんだろう?。
トイレに駆け込もうと北口を出てPastelの前を通り過ぎると向こうからチューリップハットに長髪丸眼鏡。白シャツにサロペットといういかにも浮き世離れした格好をした男が歩いてきた。なんとなくその歩き方に既視感があったので目を奪われているとその顔を見て私はハッとしたのだ。
羊一郎くん!?。
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